act.28 星屑
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「あ…、ぁ……あぁっ」
桜の精のように可憐に輝く少女は、震え、声を乱し、半狂乱に頭を振った。
大きく見開かれた紅い瞳からとめどなく滴が零れ落ちてゆき、世界は恐怖に染まる。
我が身を屠る絶対的な脅えに、黒の化身は、嘆きを――華奢な全霊で同胞へと謳った。
「……ンだよ、無茶苦茶だな」
鋭利な感触に、灰の艦長席にて操舵と戦艦内部の制圧に意識を集中していたスフィクスの青年は、濡れた緋色に苛立ちを滲ませた。
錯乱した精神の波動は、対象を選ばず、ただ無作為に、波紋のように並列する存在達を強烈に揺らした。その無遠慮な波動を受け、人である部分が軋みに苦悶を顕著にする。
「…イッ、テェし。おい、向こう――どうなってンだ。マーヤ」
『どうもこうも…、それなりに大変そうだけど?』
共有する魂へと語りかければ、事も無げな回答だけで。
「具体的に――わかんねーのか?
ヒデーだろ、コレは。身内も何もあったもんじゃねー」
『何? ヤケに気にかけるね。別に、アッチなんて何人死のうが関係ないんじゃない? 僕としては、ゲシュペントと君が無事なら文句ないし』
無慈悲な言葉は、ただ、乾いて響く。
人の生命に価値の欠片も見出さぬ、非情の生物に、灰への供物として捧げられた黒曜の青年は、億劫そうに自身の片割れを嗜めた。
「一応、任務だからな。そーゆーワケにはいかねーんだよ。
死なせちまうと、上がウルセーし」
『どうせ、殺すんだろ。非効率的。ホンット、人間タチってバカだね』
「…人聞きの悪い事言うなよ」
壮大な威圧感でもって他を圧倒する巨大ヴァイア戦艦・灰のゲシュペント。その、総てを掌握する昴みに坐する美貌の青年は、愛おしく伸びた脚を組み替え、口角を持ち上げた。
『まぁ、いいさ。どうであれ、僕には関係ないしね。じゃ、向こうの視覚(を送るから、受け取りなよ』
「オーケィ。やってくれ」
鷹揚に構える灰の化身は、次の瞬間、夥しい鮮やかさに、意識を染め上げられた。
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リフト艦へ繋がる通路は緊急用のそれを除けば、ただ一つのみだ。迷いようも無い場所を愛用のニードルガンを片手にしながら進んで――血臭に、しなやかな蒼の野生は足を止めた。
「………」
灰のスフィクスに処理された『敵』の残骸が散らばる光景を予測して、視線を上げる。そして――場の異常さに、崇高な冷徹さに凍りつく眼差しの、瞳孔を大きくさせた。
「………どういう…事だ」
鋼鉄の精神の持ち主である王者の風格を備えた少年が、銃を構えるのも忘れ、呆然と、それの動向を追った。ぺしゃ…、という粘性の水音が、筋張った六ツ脚でそれぞれ跳ね上げられる。その紅い飛沫の行方が、己の足元まで散らされ、孤高の野生は弾かれるように高出力光銃()を背中から取り出した。
――限界まで張り詰め向けられる、射すような殺意に――彼らは総じて、気配を不穏に揺らした。
(……一、……二…)
元々は、『人』であったのであろう、かつての原型を留める生物は、生体本来の中枢である頭部を失った状態でも機能し、地面を這った。移動の為、緩慢に脚を運ぶ度に、腹部から生える三対の節くれが、ギチと、耳障りな異音を立てる。
脚部の根元の皮膚は、無理な力で引き千切られていたが、裂けた部分から無造作に溢れていた体液が、硬質な外殻で覆われてゆく。爬虫類のそれに似た質感の、黒斑点が浮かぶ皮膚の変質が、彼らの視覚的な異常さを加速させた。
(…三体、……か)
此方の緊張に感応し、一斉に敵意を立ち上らせるものの、幸いにも、彼らの動作は緩い。
(何処から――いや、死んだ『敵』の一部が変態したのか…?)
ただ、頭部を潰されただけの憐れな遺体の多くは、その場に散らばるように、投げ出されていた。それらは、現状では特に変化は見られないようだが――。
暫しの逡巡、そして、猛き蒼の王者は熱戦を放つ銃器を片手で構えた。
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黒のリヴァイアスを襲う狂態の惨状を脳裏に映しこみ、灰の戦艦をその意志、瞬き一つで従える夜露の結晶のように麗しい青年は、大きく息を吐いた。
「……生態遺伝子進化システム――通称【LANS(】」
『何? 急に』
「ヒトゲノム遺伝子に人為的干渉を起こして、人類を次の段階へ人工的に進化させる計画。の、要になるはずだったプログラムだ。――道徳的な観点から、社会問題を起こす可能性があって……ま、他にも、例えば披検体への身体的な負荷なんかの問題で開発が頓挫していたはず――なんだが、な」
『回りくどい言い方よしなよ。要するにソレが原因だって言いたいわけ?』
「まー…な。断言は出来ねーけど、多分、な」
肘掛に右腕を乗せ、そのまま頬杖をつく姿勢で、灰の麗人は、再び盛大に嘆息した。
「マズイな。こーなると、ネーヤ嬢ちゃんや昴治じゃ対処しきれねーな。
ざっと見た感じじゃ、第三段階まで変態して……ッ、!」
ザワリッ、と全身が粟立つ感触に一瞬にして、レインは蒼白となり反射的に起き上がる。襲いくる嘔吐感に、薄い口許を覆い、紅色の珠玉を苦悶に滲ませた。やや、前のめりになり、微かに震える線の細い躰を、魂の片割れが内側から冷静に状況を分析した。
『――気持ち悪い。最低、最悪。
なんで、黒にいた連中がコッチにもいるのさ。艦内(なか)で生体変質なんてされると、スッゴイ迷惑だね。甚だしく不愉快。本体に、影響出るんだけど』
「……なか…? コッチにも【DUST】がいるのか…」
『…リフト艦の通路のトコ。始末した連中で、三匹…だけ、かな。黒の処と似たようなのがいるよ。それに、蒼い髪の人間もいるね。君と一緒にコッチに来たヤツ』
「――ブルーか、マズイ、…な。
【DUST】に通常武装は――通用しな…、ってか、気持ち悪ぃ…」
ズルズルとその場にしゃがみ込み、艦長席にうつ伏せるようにして、レインは己と意識を異にする存在へ願い出た。
「ダメだ…。マーヤ、一端本体とのリンクを切る。
お前は、ゲシュペントと切れるとマズいだろ…。直接本艦に…移動してくれ…」
『――構わないけど…、君は…』
遠慮会釈無い物言いを身上にする無情のスフィクスにしては、少々、歯切れ悪く返す。
「…悪ぃ…」
『………』
「…マーヤ…?」
本体である灰のゲシュペント、勇壮たるヴァイアの生体艦に意識を移した片割れは、己が内に巣食う異質たる存在の生誕に、大きく苛立った。
ゲドゥルトの海より出でし生命たるヴァイアは、外界に安定するために、一度、生体融合を行っている。対象が無機か有機かは特に選ぶ事は無い。本来、複合意識集合体でもある彼らは、常に、己の確定を他に求め、統合してゆく性質を持つ。よって、幾ら灰のゲシュペントが高密度に安定した存在とはいえ、胎内にて激しい生体変革が行われれば――感応して本能が刺激され、確立したはずの、個の境界が揺らぐ。意識が――無理に捻じ切られるような酷い苦痛を受けるのだ。
――そして、痛みは、人の器を保つ程に強く精神を苛む。
故に、かつて『人』であった病的な膚に際立つ美貌の青年は、スフィクスの魂を本体へと還し、己はヴァイアとの接触を断絶するという手段に出た――のだが。
『なんでもない。それより、【DUST】とやらは、どうするのさ』
「ああ…、多分――榊の仕業だからな、アイツを止めれば事は済む」
ゲシュペントとの精神的な繋がりを強制的に断ち切り、苦痛を和らげたレインは、軽く頭を左右にすると、柳眉に険を刻み込んだまま起き上がった。
「マーヤ。ブルーに、ひとまずリフト艦まで下がるように伝えてくれ。
後は――俺が、対処する」
『……了解。全く、面倒だね』
「文句は後だ。それより、本体は頼んだぜ」
『君は? 何処に行くのさ』
颯爽と場を去るヴァイアの美しき贄は、マーヤの問いに、艶っぽく応じた。
「サービス満点、出張ヘルス♪」
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輪郭の掠れた世界が、瞬きを数える度に、実感を伴ったソレになる。
「……? …」
見慣れない少し――褐色かかった白の天井。部屋に香る強い薬液が、ツンと鼻の奥を刺激した。世界を満たす、無機質な人工の灯火から逃れるように、目蓋を下ろす。すると、心配そうにハスキーな声が誰かの名前を呼んだ。
「……昴治。昴治…、大丈夫? 目ぇ醒めた?」
綺麗な桜色の髪を大きなみつあみにした看護士が、そっと声をかけてくる。優しい響きだと、安堵の呼吸を洩らして、急速に外界に向かい意識が覚醒した。
「……クリフ…?」
「昴治! あー、もう良かったわ〜。麻酔が身体に合わなかったんじゃないかとか、このまま目ぇ開けなかったらどーしよーとか、目一杯、心配したんだからっ」
「……俺、…そっか、手術を受けて…」
「そーよ。思い出した? 下半身の麻酔なのに、手術中に眠っちゃって――ホント、心配したんだから」
「どれくらい…?」
眠り込んでしまったのかと尋ねて――その間、何処か愛おしい夢を見た気がすると、昴治は掠れた記憶を追った。そんな少年に、クリフは己のIDを取り出して、時刻を確認する。
「そーねぇ、一時間は経ってないわよ。幸い、神経は傷ついてなかったから、縫合だけで済んだわ。少し――跡にはなるかもしれないけれど。後遺症なんかは無いはずだわ」
「そっか。……ありがとう、クリフ」
「あ、アタシにお礼言っても仕方ないわよ。手術したのは別の子なんだし」
春の陽だまりのような暖かな笑顔を向けられ、クリフは照れ隠しに、わざと突き放した口調で返す。男の癖に、こうも可愛いのは反則だと――鼓動を早めるクリフだが、ふと、ある事を思い出して、ベッドに上体を起こす愛玩動物のような少年を眺めた。
「……クリフ?」
その視線の意図を測りかね、空色の瞳を大きくさせる昴治に、気さくな看護士はゆっくりと頭を振る。
「んーん、なんでもないの。ゴメンね。
ネーヤちゃん、だっけ? さっきまで、アンタにベッタリだったのに、どっかに行っちゃったなって思ってサ」
そして、少し離れた棚の方へと薬を用意する為に、背中を向けた。
「ネーヤが…?」
心配させてしまったな、と呟く患者に、クリフは背中越しに朗らかに応じた。
「なーに言ってるのよ。怪我人なんだから、心配されてなんぼでしょ。それより、一応、手術は問題なく終わってるけど、二次感染と炎症の危険があるから、薬は、ちゃんと飲なきゃダメよ。わかってる?」
「あ、うん。ありがと…」
コ ウ ジ
「――え?」
「包帯はコッチで取り替えるから、自分で触っちゃダメよ。移動は車椅子ね」
「……ん? ああ、うん。車椅子って…そんな、大袈裟だよ」
「大袈裟なもんですか。結構パックリいってたのよ。安静にしとかないとダメよ」
コ ウ ジ
「――? ネーヤ?」
遠く、近く、まるで壊れかけた蓄音機の音が飛ぶように、歪に湾曲して響く。
――愛しい、声。
可憐に綻ぶ一輪の華を求め、彼女が咲く中空に視線を流し――、
「そうそう。薬なんだけど、カプセルと錠剤どっちが―……」
甲斐甲斐しく立ち働く看護士が、なかなか自分の身を大事にしない困った患者に向き直った時には、
「……こう…じ…?」
彼は、最早、視界から消え去っていた。
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――ソレは、異常であり、異端であり、異質であった。
常に命の消失と隣り合わせに生きて、喪う事でしか、己の存在を確かめられぬ程。
彼にとって『死』は身近であり、傍らに在る同胞のようでもあった。
逆説的に説えば、『生命』に対して、『死』に対面する機会の少ない他の誰よりも、深い見識を持つ。よって、世界に拒絶されるソレの歪みを、正しく理解していた。
「……バケモノ、か」
元々人の造形であった彼らは、腹肉の部分から、大量の血液を溢れさせていた。高熱で焼き切れた部分は容赦なく抉られ、しかし、傷口から血液の代わりに赤黒い気泡が。何事かと訝しむ間にも、体組織は再生していた。『人』であったモノは神経を直接触るような、異音で節を鳴らす。
頭部も失い、人体の核であるはずの心臓を吹き飛ばして尚、脚を止めぬ異質達。
恐怖では無く、本能的な嫌悪に、凄烈なまでの孤高を魂に抱く王者は微かに眉を寄せた。
「……どうする…」
高出力光銃(で薙ぎ払ってみたものの――程度予測していたが、効果は皆無だ。
対抗手段を模索する戦闘術に長けた少年に、不意に、その声は響いた。
『死にたくなきゃ、退きなよ』
「……」
直接、意識に語りかけてくる精神感応の能力。それを利用しての会話自体には、既に順応した。今更、驚愕する事も無い。だが、その声質には違和感を覚えた。
『ボサッとしないでくれる? 君がどーかなると、アイツがウルサイんだよね。
僕は、どーでもいいんだけど』
「……スフィクス、か…?」
『そうだよ。僕は、マーヤ。この、ゲシュペントの意志でもある。
さ、納得したらリフト艦へ行ってくれる? 隔壁、落とせないだろ』
「………」
人智を越えた生命体でも無ければ、人の精神に易々と侵入する芸当など無理難題であろう。相手の得体が知れぬ以上、安易に信用するのは危険だが、無闇に反発してこの場に留る意味も無い。
「……あの男はどうした」
異能の獣と化した敵を警戒しつつ、撤退するブルーの問いに、不遜に声は応じた。
『レインの事? さぁね。それより、早く退きなよ。邪魔だよ』
「………」
流石の物言いに多少感情を逆撫でられつつも、威風堂々たる貫禄にて、しなやかにそれを受け流し、蒼の王者は撤退行動へと移った。
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『人』の形をした敵――は、もう艦内には存在しない。
先刻、全滅させたので、全てだ。
よって、ゲシュペントに捧げられし美しき贄、黒闇に艶めく青年は、何の障害も無く目的の場所まで辿り着いた。
「フン――。なっまいきに、防護壁か」
通常の電子鍵など、灰のスフィクスであるレインには、全く意味を成さない。それを見越して独自のシェルターを下ろしているようだが、所詮、人類の知恵。解除に手順を踏む必要がある為、少々の時間を要するが、その程度だ。
恭しく頭を垂れ、主を迎えるように扉は従順に道を開けた。
暗がりにモニターの青白い光だけが灯る陰気な部屋で、『彼』は、全ては予定調和だと、嗤った。
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荘厳な白の甲冑という雄々しき出で立ちで、黒の姫君を護り通す勇姿。眩く輝く断罪の翼を手に入れた白輝の騎士は、奇蹟のように、スクリーンに映る深遠の星の海に在った。
「………」
床の感触は、酷く冷たい。
周囲は、薄い非常用の蛍光灯の光だけで照らされており、薄暗い。
右足の怪我の所為で自力で立つ事すら難しく、眼前に迫るように勇壮な甲冑の騎士の姿があり、胸の奥に去来する言いようも無い感情に瞳が潤むのを感じた。
綺麗――だ。
あの機体に愛しい人たちが搭乗している。
生々しい裂傷と空隙を魂に抱えたままで、世界を護る、誇り高き少年たち。
(…祐希…、イクミ…)
コ ウ ジ 。
「……ネーヤ…?」
宇宙の闇を煌々と遍(く照らす輝きに意識を奪われていた昴治は、不安に揺らぐ少女の呼びかけに、上体を捻るようにして背後に向き直った。
「………っ…」
中空に舞う、神秘の少女。黒のスフィクスは、虚空を望んだまま、白く透ける頬を溢れる滴に濡らしていた。
丈の高い帽子に包まれた藤色の華の髪は、千々に乱れて解け、重力に逆らうように扇状に広がる。彼女は救いを求めるかのうように、宇宙(うえ)へ華奢な両腕を伸ばし、息も奪う程に美しく、ブリッジの縦に開けた空間を舞い踊った。
神秘と不可思の存在、人でない人型――ヴァイアの意志、スフィクス。
一夜の夢の如く儚き少女の、その涙は淡く桜色に弾ける光の結晶となり、闇に融けた。
「…いったい、なにが…」
あったというのだろうか。
自分の記憶が無い、一時間程の間に。
黒の戦艦に咲く薄桜のスフィクスは、亡羊の嘆に沈み、御伽噺の赤い靴の少女のように、華麗に――悲愴に回り続ける。
「………」
悲嘆に暮れる異質なる者の、切々たる舞踏に意識を奪われていた昴治は、ふと我に返り周囲に視線を送った。
「……? え?」
意思と感情のある特別な艦とはいえ、現在の黒のリヴァイアスは、その操舵に人の手が必要だ。ブリッジが無人であるはずが無い――のに。
「! どうしたんですかッ、大丈夫ですか!? 皆ッ、副艦長!?」
ブリッジ・クルーの全員が、それぞれの席や、冷たい床に倒れこんでいた。
火急の事態に色を失くした昴治は、直ぐ近くの一人に駆け寄って、その無事を確かめる。
すると、その肉体は温かく、規則正しい呼吸も感じ取れた。
「……眠ってる…、だけ?」
安堵するのも束の間、たおやかな容姿の少年の耳元に、粘着質な破砕音が届いた。
咄嗟に視線を上げる――先に、肉塊は無様に血塗れた床を這いずり廻っていた。
「な――、に…」
ゴクリと喉が鳴る。
『ソレ』は、異常な殺意――いや、意思があるようには到底思えないが、それでも、明らかな害意を内包していた。
節がギヂ、と耳障りな怪音を立てる。
そして、前へ進もうとして、上から押し潰されるようにブヂリと破裂した。
「………」
悪寒が――背筋を一気に駆け上がる。
ただひたすら――混乱した。
『ソレ』は何なのか、一体何処から出現したのか、どうしてココにいるのか。
コ ウ ジ 。
「っ! ネーヤ…」
絶対の信頼と愛情を寄せる人の恐怖を敏感に感じ取ると、桜の花弁のよう舞い落ちる涙もそのまま、可憐な神秘の少女は、泣き濡れた紅珠に強い閃きを灯した。
コ わい の ?
「……ネーヤ。アレは何なんだ? 皆は一体どうしてっ…」
アレ が、 イヤ なの ?
「……ネーヤ…?」
巧く意思の疎通が測れない。
そのもどかしさに、黒のスフィクスの最愛の存在である少年は、焦燥感に駆られた。
何が、とは言えない。
けれど、何か――このままでは、何か、取り返しがつかなくなる、予感が。
全部 コ ワ ス ヨ
「ネーヤッ?」
コージ すき スキ ダヨ 。
「ネーヤ! ダメだ、まっ――…ッ!」
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アナ た が す き
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ダークグリーンの瞳と赤みの強い髪の持ち主、欠落した倫理観を通して世界を見下す青年は、後頭部に突き付けられた銃口の感触に酷薄な笑みを浮かべた。
コポコポと気泡が弾けて、乱立する機器からは、絶え間ない電子音が反響する。
モニターの奇妙に白い光だけが、無機質な部屋を照らしていた。
「…余裕だな。榊」
「そろそろ来る頃だと予想していましたからね」
「――【DUST】を止めろ」
「おやおや、随分と非情な事ですね。レイン殿」
容貌の鋭利さを際立たせる銀フレームの眼鏡の位置を、手馴れた様子で修正する。
「どのような結果になるか、お分かりでしょう?」
「……【楽園計画(】の遺産を今更持ち出してどうするつもりだ。榊」
「貴方に答える義務はありませんね」
「フン、まぁいいさ。今回の件に関しては、後から詰問すればいい。それより、早く【DUST】を――生体チップの信号を止めろ。まだ、ショーテンしたくねーだろ。さ・か・き」
鉄の感触を押し付け、猫撫で声で甘えるように名を囁いてくる美貌のスフィクスに、榊は低く喉を鳴らした。
「そうですね。ここまで追い詰められては仕方ありません」
「………」
椅子に深く腰掛けたまま、振り向きもせずに、降参の意思を示す人格破綻の探求者。
その余りに聞き分けの良すぎる姿勢に、釈然としないものを抱え込む。
「大人しく、解除コードを入力しますよ。いえ、正確には自滅コードですかね」
「……無駄口叩いてンじゃねーよ」
「おやおや。貴方がやれとおっしゃったんでしょうに」
細胞の限界まで際限無く再生を続ける【DUST】は、開発研究者によって体内に組み込まれた生体チップによって、意思も命も失って尚、生物の道理に反して四肢を稼動させる。
また、用済みとなった【DUST】の廃棄方法といえば、至極簡単明瞭だ。
同生体チップによって、変質化組織の分解信号を送るだけでいい。手元にある端末で、予め設定されているコードを入力するだけ。それだけで、彼らは溶解し霧散――する。
そして、跡形も。
肉の一片すら残さずに、消えて失くなる。
塵となる――のだ。
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2007/07/16 加筆修正