act.31 斜陽
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 灰のゲシュペント奪還作戦成功により、地球軍との合流を果たしたヴァイア艦二隻は、大型ドッグに迎え入れられた。その後、忙しない空気の中、見慣れぬ大人たちが入れ替わり立ち代りし、リヴァイアスとゲシュペントの内部に踏み込んでいた。
 無論、今回の作戦が一般乗組員には公開されず秘密裏に進められていた面を配慮し、各々の部屋で待機している少年少女等には気取られぬように、ではあるが。
 彼等に関しては、ヴァイア艦の緊急メンテナンスが必要になった等の、それらしい言い訳を含ませ、強制的に一週間の休暇を与え別で用意したホテルへ移動させた。
 状況を知る人間に関しては、事情聴取、事後処理等への協力が求められ。また、怪我人に関してはそのまま政府の息がかかった病院へ搬送となった。

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 作戦完遂から――丸二日。
 相葉祐希は、それはもう、分かりやすく、目に見えて、不機嫌であった。
「ゆーき君たら、そんな顔しても、しょーがないっしょ?」
 常に前向きに場を和ませる能力の持ち主、翡翠の瞳が整った顔立ちを際立たせる同僚が、今にも誰彼構わず殴りかかりそうなお子様を宥めた。
「……ウルセェ」
 案の定、効果は皆無。
 この手の付けようのない暴れん坊に関しては、ただ一人を除いて、誰が諌めようと結果は同じなのだから、仕方が無い。
 手傷を負っていたエアーズ・ブルーが病院に入院となったのは、当然としても。無茶をしたため、拳を傷つけた祐希と、スフィクスと強い精神感応を行ったという理由から、身体的な影響が無いかどうかを診断するという名目で、ほぼ、強制的に病院へ搬送されたイクミは、本人達の意識としては全く健康体そのものなのだが、ベッドの上の生活を余儀なくされていた。
「…じょーだんじゃねェ。何時まで、ンなとこに閉じ込められなきゃなんねーんだ!」
 ガンッ、とベッドの縁に八つ当たり以外の何物でもない蹴りを食らわして、飢えた獣のような少年は、イライラと病室を歩き回った。
「ま、ねー。結局、あれから昴治に逢えてないし、ね。
 灰のヤツの言葉からすれば、無事――なんだろうけど」
 ――ああでも。君達の大好きな彼は、少し、変わってしまったけれどね。
 気になる言い草だと、溜息が零れた。
 全く、そこまで言っておきながら、肝心な部分には触れずに去ってゆくのだから。
 灰のスフィクスは、無垢と純真の黒の少女とは違い、かなり世知辛い性格のようだ。
 関係者の話によると、昴治は怪我の治療と、スフィクスとの交流による心身のケアを含めた入院が必要らしく。それはそれで、得心はゆく。疑問なのは、彼が面会謝絶扱いな事。
 そこまでの重傷を負ったのかと最初は慌てたが、看護の人間等からは、命に別状は無いとの通り一辺倒の返事ばかり。同じ病院施設にいるにも関わらず、部屋番号すら聞いても答えぬ徹底ぶりだ。――不安を駆るには、十分過ぎる要素に、イクミとて苛立ってはいた。
「…これは、強攻策しかないかなー」
 病室を歩き回るのにも飽きたのか、不貞腐れてベッドに仰向けに転げたお子様の様子を視線で追いながら、剣呑な内面を覗かせる少年――の、台詞を遮るように、ノックの音。
「よーっす! 若者ども、腐ってるかー?」
 そして、部屋の主の承諾も無く開け放たれる扉の先に、低迷した現実を打破するチカラを持った人物が、彼の血縁と共に現れたのだった。

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「失礼します。私は、第三特務艦隊所属、第一ヴァイア艦・ゲシュペントの艦長を勤めさせていただいております。カイリ・朔原と申します。
改めて、今作戦の成功にお喜びと感謝を申し上げたい」
 傍若無人な兄とは対照的に、礼節を重んじる態度で艦長服を着込んだ長身の青年は、頭を下げた。
「あの時の…! ――いえ、ご無事で何よりです」
 喪失に無条件の恐怖を感じるトラウマの少年は、深手に死相を色濃くしていた朔原の無事を心から喜んだ。愛しい人の無事を願う余り表情をなくしていた顔に、笑顔が浮かんだ。
「まー、堅い挨拶は抜きだ。抜き。
 それより、お前等ココに軟禁されてンだろ。出れるよーに、上と掛け合って来た。サッサと荷物纏めろよ。服も取ってきたから、着替えろ」
 そういって、病院側が少年等に入院患者用の部屋着に着替えを強要してから、返却されてなかった普段着を投げて寄越すレインだ。
「……うっわ。今ハジメテ、君の事大好きとか思っちゃったかも」
「はン。なんなら、惚れてもいーゼ」
「うーん。俺の心はもう昴治だけのモノだから、それは無理かなー」
「ンだ。男なら、惚れ気の一つや二つバーンといけよ。甲斐性ねーなァ」 「それはただの浮気性の言い訳だと思いまーす」
 ハーイ、と手を上げて突っ込みを入れるイクミは、無駄口を叩きながらも手早く身支度を整えてゆく。
「おい、兄貴はどうなってんだ」
 先に着替えを済ませた目付きと態度の悪い少年が、横柄に訊ねる。
「…昴治なら、病院の外で待ってるぜ」
「! バカヤロウ! それを早く言えよ!!」
 神秘の生命、人類の種と全く異なる存在である灰のスフィクスに罵倒を浴びせつつ、彼と、傍に控えるダーク・ブラウンの髪の青年を押し退けるように病室を飛び出していった。
「…行ってしまいましたね」
 その、ある意味若者らしい性急さに目を丸くしつつ、朔原艦長――カイリは、乱暴に開け放ったままの扉を唖然と見つめた。
「俺等と一緒じゃなきゃ、外に出らンねーってのに。すっげー、猪突猛進。
 ま、どーせ、入り口で警備の連中に止められるか」
 事の成り行きを面白がるように肩を竦め、美貌の青年は、もう一人の少年に向き直る。
「準備オッケ?」
「おっけーおっけー。元々、着の身着のままだったしねー。荷物なんて無いに等しい訳だ。
 で、さ。昴治は病院の外に出れば逢えるからいいとして、ブルーは?」
「アイツはまーだ、入院。
 脇腹、思いっきり抉れてる上に、ロクに手当ても無い状況で無茶してたからな。最低でも、縫合したトコの抜糸が済むまでは、ここに缶詰だな」
 幅広い社交性や、見事な話術、高い能力を満遍なく持ち合わせる、ある意味万能な少年は、漆黒の艶を纏うスフィクスの青年の説明に、やはり手傷を負っていたのかと確信した。
「それじゃ、ま。いきましょっか」

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 作戦を終え、漸く辿り着いた地球は、夏の盛りの季節。
 人類の子ら全ての母は、躍動と生命が溢れる強すぎる輝きに、傷ついた少年達を迎えた。
 カナカナ…
 情緒や趣の一切を感じさせない、無機質な病棟の壁に、橙のフィルムが焼き付く。
 カナカナカナ…
 頬白い少年は、死人の瞳で、蝉時雨の日暮れを眺めていた。
『以上が、政府の決定事項です』
 カナカナ…
「   …!         !!」
 カナカナカナ…
『貴方の意思は問題ではありません。
 私達には、人類の種を生かす義務があります。大儀のための栄光ですよ』
 カナカナ…カナカナ…
「 ッ、        !」
 カナカナカナ…
『どうしてもご協力いただけませんか? ならば、私どもとしてもそれなりの対応を行わざるを得ません。ひょっとすると――親しい方にご迷惑がかかるかもしれませんね』
「ッ!!」
 カナカナ…カナ…
「  …   …」
『ご協力、いただけますね?』
 カナ…カナカ…
「    …」
 ………






朱色から薄墨に染まる西の空には、暁の星が一際美しく輝く。
――…もう、蜩の声は聴こえなくなって、いた。


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「いいから、退けよ!! 邪魔だッ!!」
「申し訳ございませんが、貴方をお通しするわけには参りません」
「はァッ!? ワケわかんねーッ!!」
「おー、やってるやってる」
 病院のエントランスで黒の制服に身を包んだ屈強そうな警備員達を相手に、今にも飛び掛からんばかりの勢いで吠え立てる少年。その予測した通りの展開に、魅惑的な漆黒のスフィクスは物見高く囃し立てた。
「呑気に構えている場合でもないでしょう。騒ぎになれば面倒ですよ?」
 相も変らぬ少々風変わりで捻じ曲がった性根の兄に溜息を吐き、カイリは足早に騒ぎの中心へ近付いた。
「失礼。私は、第三特務艦隊所属、ヴァイア艦『ゲシュペント』の艦長カイリ・朔原と申します。彼の退院許可はここに――」
 灰のゲシュペントの艦長の肩書きは、はそれなりに権威を持つようだ。彼の名に敬礼を取った後、手渡された書面にを恭しく受け取った。
「――確かに。そちらのお連れの方もですね。失礼致しました。どうぞ、お通りください」
「最初ッから、そーやって退いてればいーんだよ! 三下がッ!!」
 兄への逢瀬の邪魔をされた事が余程癪に障ったのか、乱暴な捨て台詞を残して、気性の激しい少年は外へと駆け出して行く。
「あ――! 相葉君。お待ちください。一人ではまた止められて――って…。行ってしまいましたね」
 逸る少年の腕を掴もうと伸ばしたはずのそれは、行き場もなく、軽い嘆息と共に下ろされる。
「…ヘタに乱闘にならなければいいのですが」
 幾ら許可証が此方に確認出来るとは言え、暴力沙汰にでもなれば、折角苦労して?ぎ取った退院許可そのものが取り消される可能性も、無きにしもあらず、だ。上層部としては何かとカンの良い身内は、己自身の保身に目障りになるだけで、不愉快な事この上ない。連中の狙いとしては、リヴァイアスの福音の枷として、彼等を子飼いにしておきたい処なのだろう。
「まー、お兄ちゃんが関わると、ゆーき君たら盲目だしねー。
 しょーがない、しょーがない」
 気性の荒い天才少年の形振り構わぬ様子とは対照的に、同じく、愛しき人への想いを募らせるはずの翡翠の瞳をした毛並みの美しい猫は、面白がる口調でのんびりとお子様の後を追う。
「お前は、随分余裕だな?」
 普段の争奪戦でも常に一歩引いた場所から、間を空けて足を踏み出す少年――尾瀬の性質を常々目にしてきた人外の美貌を誇る異質は、改めて、その温度差を指摘した。
「ん? うん、まーねぇ。余裕ってワケでもないんだけどね。
 俺は――…」
 戸惑いに、深い響きの声が揺れて。甘い顔立ちに陰影が濃く降りる。
「祐希クンより、いっこオトナだからねぇ。それなりに、落ち着いてなきゃでしょ」
 わざとらしく朗らかに言い放つと、心の奥底に闇と牙を潜めた少年は、足取りも軽く出口へと向った。
「…伝えないんですか?」
 未だ、己の運命の道行を知らぬ純真なる魂達に、立場は違えど――共通する傷を抱く青年は、殊更静かに、問いかけた。
「いずれ、分かる事だ。それに、昴治自身が望んでねーからな」
「…貴方は、これが最善だと――?」
「――さぁな」
 灰の艦長職を戴く程に立派に成長した可愛い弟の――請いて縋るような眼差しに、人類の支配者の如く傲慢な態度で、常に他を圧倒し翻弄する絶対の存在は、蠱惑的な笑みで美しい面差しを彩った。

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「遅いなぁ…」
 黒塗りの高級車の、広いスペースが確保された後部座席で、一人所在無さ気に小柄で愛らしい顔立ちの少年は、溜息を吐いた。
「…車から出ちゃダメだって言われてるし」
 ふぅ、と。
 更に溜息がこぼれた。
「そんなに経ってないはずなのに、…もう随分逢えてない気がする」
 おそらく防弾仕様なのだろう――厚みが感じられる薄藍の窓ガラスから、病院の入り口を見遣って、空色の瞳に惑う想いを廻らせた。
(……俺、は)
 視界に映りこむ世界で、鮮やかに降り注ぐ夏の日差しに応えるように、生き生きと緑を濃くさせる木々が、吹き抜ける風に梢を揺らしていた。
(俺――は、…)
 車内は冷房が行き届き、逆に、肌寒さを感じさせる程に冷えていた。
「………」
 華奢な印象の少年は無意識の内に、柔らかなトーンの水色のパーカーの上から、自身を抱き締めるように腕を組んでいた。
(俺は、どうしたら…)
 『失くしたくない』
 それだけが、確かなただ一つの――願い。
 世界中の人々をなどと、傲慢な事を言うつもりは毛頭無く。
 ただ、愛する隣人の温もりと存在を護りたいだけなのに。
「……もう、ぐちゃぐゃ…」
「兄貴ッ!!」

 !

 久しく懐かしい、傍らの声に昴治は思わず俯いていた顔を上げた。
 途端、何度も何度も言い聞かされていた言葉が全て彼方に吹き飛び、年に不釣合いな幼い顔立ちの少年は、内側から車のロックを開け、外に飛び出した。
「祐希!」
 踏み出した足――靴の裏側に感じる土の感触が、奇妙に遠く感じる。まだ、あの遥かに見上げる空にいるような、完璧な錯覚。地球に、己の存在が馴染まないような、得体の知れない違和感を感じ取りながらも、昴治は目の前の幸福に小難しい思考を手放した。
「兄貴ッ! 兄貴、兄貴、アニキ、あにき、あにきぃっ!!!」
 それはもう、いっそ大袈裟な程に全身できつくきつく抱きすくめられ、ここ数ヶ月ですっかり背丈を伸ばした弟の腕の中に、すっぽり収まる形になってしまう兄は、苦しさに喘いだ。
「ちょッ…、ゆ、ぅき。苦しい、って」
「アニキ、兄貴、あにきあにきあにきっ!!
 ――無事で…よかった。心配したんだ! すごく、ホントに、すごく心配した…!!」
 昴治の抗議を他所に、捕らえる腕の強さは増すばかりで――。
「こーら、お兄ちゃんから離れなさいね。このブラコン王子」
「! イクミッ!!」
 ぱっ、と。
 それこそ、可憐な花のような笑顔を咲かせて、腕の中の兄が親友の名を嬉しそうに呼ぶ。当然のように、兄の対人関係には非常に度量の狭い祐希は、それが面白くない。
「やっほーい、久しぶりーん。昴治」
 未だ無体な弟の腕の中に納まる、同年代の人間と比べて随分と小柄で愛らしい少年は、高く澄み渡った地球の空の色をした瞳を、ふわりと和ませた。
「イクミも無事でよかった…」
 穏やかなそれで、無事を噛み締めるように声をかけると、いい加減戒めが苦しいのか、昴治はさり気無く弟の腕を引かせ自由を得ると、気儘な猫のような性質の友へ向き直る。
「それはコッチの台詞っしょ。
 ――何処も、怪我とかしてない? 痛いトコは? 酷いコトされなかったか?」
「ンだよ、それ。心配しすぎ」
 再会を果たした親友は、まるで、小さな子どもの始めてのお遣いを出迎える母親のような口ぶりだ。それがまた、世話焼きの彼のイメージに妙にハマっていて、昴治はクスクスと軽やかに笑う。
「そりゃ、大事な昴治の事だしねー。心配もするっしょ」
 夏の時期特有の灼熱の煌きに反射し、翠の波紋を増す対の眼差しが、蕩けるように甘く愛を囁く。
「全く、二人とも大袈裟逢だって。
 それより、早く車に乗ろう? 流石に、ここで立ち話は暑いしさ」
 ――しかし、悲しいかな想い人は、それはもう天然記念物並みに、色恋に疎い。
 今のも、心配にかこつけたさり気無い告白だったのだが、揶揄り甲斐のある年下の恋敵からは全身の毛を逆立てられ警戒されるものの、当人には一向に伝わらないのだから、どうしたものか。
「兄貴」
「え?」
「乗るんだろ。奥、座れよ」
「あ、うん」
 リムジンの後部座席の扉を開け、祐希は兄の腕を掴んで少々強引に引き寄せる。そんな弟の様子に内心で小首を傾げながらも、有無を言わさずに奥に座らされる昴治だ。そして、当然の如く隣に陣取る気性の激しいお子様に、イクミはブーイングを飛ばす。
「えー、なーんでちゃっかり祐希君が昴治の隣なワケですか? ここは平等に昴治が真ん中でしょ。真ん中。祐希君の隣になんて座っても嬉しくないですー」
「ウルセェよ。尾瀬ヤロウ。コッチだって、テメェが隣でもガマンしてやってんだ」
「なら、昴治君に真ん中に座ってもらえばいいと思いまーす」
「ウゼーから、黙れ。アホ」
 はいはーい、と挙手で意見を述べる、色々な意味合いで憎らしい年上の提案を、祐希は全速力で却下した。最早、罵倒に思考を回す気が無いのは明白だ。兎にも角にも、久しい兄の存在を全身全霊で確かめたくて、仕方が無いのだろう。良くも悪くも、何事にも真正面に相手に向き合う姿勢は、流石、お子様、と。たったの一つしか違わない年の差を妙に実感してしまうイクミだ。
「やーれやれ。イクミ君はお兄さんなので、ガマンしますよーだ」
 ワザとらしく肩を竦めて、これみよがしな溜息と共に、助手席側の後部座席に乗り込む。お調子者の仮面は被りなれて、もう、顔の一部のようにしっくりと馴染む。
「それで――、しっかり乗った後で訊くのも間抜けだけどさ。
 この車って誰の?」
「ん? ああ、コレ? レインのだって」
「へー? これって、純正ガソリン車っしょ。めっずらしー、お金もちー」
 世界の様相を一瞬にして書き換えた、歴史に残る――いや、人の歴史を引き裂いた大厄災カラミティ・ノヴァによって、地球の総面積の約半分が死の海に沈んだ。当然、地球が本来有していた地下資源も殆どが失われ、今の時勢に、ガソリン車などという骨董を利用しているのは、余程のその筋のマニアか、金持ちの物好きくらいだ。
「――フン。いけすかねーヤツ」
 ガソリン車、と聞いて。明らかにそわそわとしながらも、悪態を吐くのを忘れない機械好きな弟に、昴治は可笑しそうに吹き出した。
「ッ…、何笑ってンだよ! 兄貴ッ!」
「ごッ、ごめんごめんっ。でもほら、確か祐希って、メカ関係好きだろ?」
「…キライじゃねーけど」
 素直に好きと言えないのが天邪鬼な性格の所為なのか、それとも、財力と権力というステータスを持つ相手に、男としての自尊心が甚く刺激されるためなのか。兎に角、愛しさを自覚した兄以外には見境無く牙を剥く少年は、不貞腐れて素っ気無く吐き捨てた。
「なら、後からレインに他の車も見せてもらったらどうかな?
 マンションの駐車場に、他にも保管してるって話だったから」
「まだあるのかよ!?」
「うへ〜、ホンットにお金持ちなんだねー、彼。
 なにそれ、それは自分で稼いだのかな。それとも、実は資産家の跡継ぎとかいうオチ?」
「んー…、さぁ?
 そこまでは俺も訊いてないから…、でも――」
「でも?」
 興味深そうに先を促す翡翠の眼差しが、くるりと瞬く。
「連合軍の中でも結構、地位があるんじゃないかな? 何か、敬礼されてたし。
 んーと、なんて呼ばれてたかなー…」
「…ますます、いけすかねー…」
 完全にヘソを曲げて呟く年下のお子様を間に挟んで、交わされる会話。それに加わる気は微塵も無いようだが、止める様子も窺え無いので、口にはしないが、無体な少年とて話の内容には興味があるようだ。
「うーん、俺、組織の階級とか詳しくないからなぁ。
 ちょっと待って、この辺まで出掛かってるんだけど。えー…、とー」
「こーじ君、こーじ君。そんな無理に思い出さなくてもいいですよー?」
 直接本人に訊けば済むことだし、と必死になる親友を宥めるイクミだが、何故か妙に意地になって思い出そうとする昴治だ。
「それはそーなんだけど、でもほらなんか、自分で思い出したっていう達成感が…」
「ンなことで達成感を得なくてもいいっしょ〜?」
 そんなにムキにならなくても、と苦笑してしまう社交的な性格の少年は、多少呆れながらも協力を申し出る。結局のところ、惚れた弱みというヤツで。こんな珍しく聞き分けの無い昴治も可愛くて仕方がないのだ。
「階級ねー、少尉とか、中尉とか、大尉とかー」
「う…ん、そんなのっぽいんだけど」
 琴線には引っ掛かったようで、可愛らしい面に小難しい表情を浮かべて考え込む栗鼠の仔のような少年に、そっかー、とイクミは全面的な協力の姿勢だ。
「ま、軍の階級なんて似たような名前だしね。これより下は、准尉でしょー、軍長、軍曹」
「の、辺りのヤツが他の連中にペコペコされるかよ」
 さり気無く的確な指摘をしてくる不遜なお子様に、知識と見識の広い翡翠の眼の少年は、方向性を変えた。
「だよね。じゃ、上。少佐、中佐…。大佐とか?」
「あー、それ、…かな?」
「うん? どれ?」
「う。ちょっと自信がなくないけど――多分。
 確か――うん、そう。『中佐』…『シルエッティール特務中佐』って呼ばれてた」
「しるえってぃーるぅ? ンだよそれ、ご大層な名前しやがって」
 誰彼と見境無く睨み付ける鋭い眼差しが怪訝そうに歪められ、胡散臭い奴だと、香りたつ美貌の主――灰のスフィクスを酷評した。
 ――しかし、普段ならば祐希と同じレベルで小気味良い軽口を叩いてくるはずの、翡翠の相貌に線の細い優男風の甘いマスクの少年は、呆然と――ただ、呆然としていた。
「…イクミ? どーかした?」
 その並々ならぬ様子に圧倒されながらも、恐る恐る訊ねてみる昴治に、俯き加減の姿勢で思索の海へ旅立っていた、爪を隠すタイプの能ある鷹は、バッと視線を上げる。
「昴治! シルエッティール特務中佐ってのは――何処で聞いたんだ?」
「え? 病院でだよ。他の軍人さん? に呼ばれてるのを聞いて――」
「灰の艦長さんじゃなく、レインの方、だよな?」
「うん…、多分」
 何故こうも繰り返し確認してくるのかと不思議に思いつつも、素直に問いかけに答える昴治。習い性故か嘘や隠し事が十八番となっているイクミは、らしくなく、随分とあからさまに動揺していた。
「尾瀬…?」
 積年の確執を越え、漸く兄弟としての絆を取り戻した愛しい『兄』以外には、全く以って非情な程に興味の無い傍若無人のVGの操舵の天才も、怪訝そうに眉を寄せた。
「…シルエッティール――、特務…長。…特務中佐…。
 ……だとしても、どうして――」
「おいッ…?」
 普段、表に出ている社交的で快活な性質の裏側に潜む狂気の一面。その片鱗を覗かせるように、己の内の思考へ深く沈む一つ年上の同僚に、祐希は益々不審を募らせる。
「…イクミ?」
 また、当然の事ながら――陰の部分を色濃くする横顔に不安を感じて、陽だまりのような愛情を胸に抱く少年は、気遣うように親友の名を口にした。
「ん。――うん、うん?」
「うん? じゃないよ。急に血相を変えて。レインさんの事で何かあるのか?」
「うー…ん」
 真っ直ぐに見つめる空色の眼差しは、決して無遠慮に他者の心的領域を踏み荒らしたりはしない、控えめで――けれど、的確に確信に触れてくる。
「そーだなぁ。ン、なんでもない。ちょっと気になっただけだし」
「イクミ。ホンットーに、なんでもないのか?」
 問題がある時、それが困難であればある程、自分一人で解決しようとする悪癖のある親友に念を押す昴治。その様子を苦笑で受け流して、飄々とした性格の灰褐色の毛並みの少年は、翡翠の瞳で愛想を振り撒き、片手をヒラヒラとさせた。
「うん。だいじょーぶ。なんでもない、なんでもない」
「…なら、いいけど…」
 釈然としないまま、取り敢えず折れる。この調子のイクミに何を言っても無駄だということは、短くも無い付き合いでよく理解している。無闇に追求しても、逆に引っ掻き回されて有耶無耶になってしまうのは目に見えている。
 そうこうする内に、車の主である黒の美貌を纏うスフィクスの青年が戻り、助手席に彼の弟であるゲシュペントの艦長を乗せ、黒塗りの車――ベンツは走り出した。

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2007/07/16 加筆修正



公演ホールへ