act.12 クロス・オーバー
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不安を掻き立てる甲高い悲鳴、何かが激しく転倒する落下音、カッ、と酷く硬質な靴音が、息を呑む静けさの中一際大きく響き渡り、無幸の子ども等の耳を打った。
「ぐっ、あ…、」
容赦無く蹴倒された無様の暴徒が呻き転がるのは、黒のリヴァイアスがブリッジの艦長席より下段の床上。蛮行の主と共に吹き飛んだ凶器は、脅えた表情の少女の足元へ滑り込んだ。鈍い輝きを前に、ひっ、と喉を鳴らして後退る愚かな無力さを誰が責められようか。
「…ブ、ブルーぅ。良かった、来てくれたんだね」
固唾を呑み見守る子ども等の中、口火を切ったのは同年代の生徒等より豊富な人生経験から、精神的に成熟している怠惰な雰囲気の美女――クリフだった。女の性を演出するふくよかな胸をギュッと寄せ、祈るように縋るように手を重ねる姿は可憐とも健気とも――しかし、それは猛毒の棘を隠し持つ婀娜花で、決して気を許して良い存在では無い事をチームの長であるブルー自身が良く理解していた。
「…どういうことだ」
「あ、アタシは止めたんだよ? マズイから止めなってちゃんと言ったさ!
けど、フーのヤツ全然話を聞かなくてさぁ」
「状況を説明しろ」
「……っ、あ、そ、そうだね。御免。でも――…、」
チラリと不安そうに背後を窺う、そこには腹を押さえて悶絶するチーム補佐の姿が。心配そうに気を散らすのは彼の身を案じてのものか、はたまた己の身の安全を願ったものなのか、恐らくは後者の意が有力だろう。同じチームであろうとも、所詮は他人同士の馴れ合い、誰しも我が身を第一とするのは生物としての本能に准じる当然の行動だろう。
「――…他の連中は?」
「あー、妹が今呼びに行ってるよ。あと五分もすれば来るんじゃない?」
「…分かった。それまで、アレを見張ってろ」
「えっ、ええ? アタシ一人でぇ?」
「問題無い。騒ぎ出すようなら、黙らせるまでだ」
詐欺師の息子として悪名高いチームのナンバー2は、話術や頭脳戦に長ける反面腕っ節は劣るが、それなりに修羅場の経験しており、温室育ちの連中と比べればやはり強さの土壌が違う。到底、か弱さを強調した女の細腕で抑えられるようなものでは無く、素っ頓狂な悲鳴をあげるクリフに蒼の支配者は只管に冷静、流石の王者の貫録を見せつけた。
「…もぅ、分かったわよぅ」
渋々ながらも命令に従うクリフは、扇情的な紅の甘髪をしどけなく掻き上げ、仕方無いと肩を竦めた。そして、艦内で呆けているツヴァイの男連中に適当に目星をつけ、ウィンクひとつ、媚びるように肉感的な肢体をしならせ、手伝い代わりに呼び寄せる。
「テキトーに縛っておいてねぇん」
「わ、分かった。おい、誰か何かもの探して来い!」
「ああ。…っても、そんなのあるかな…」
ぶつぶつとボヤキながら駆け足でブリッジを後にする数名の男子生徒、残りは狼藉を働いたブルー傘下の少年の見張りにつく。ツヴァイの残りの面々は、人の抜けた箇所を補填・兼任したり、医療道具を取りに出たりと、細々慌ただしく動いていた。ヴァイア艦の通常航行が自動モードで問題無いとは言え、流石に完全無人とはゆかない為、ピンガーやシステムエラーを察知する重要個所には、固定の面子が腰を据えているのは流石のエリート集団ツヴァイの面目躍如といったところか。
ブリッジの下へ蹴り飛ばされ失神している部下と、その対処に右往左往するクリフと名も知らぬ生徒達の様子を見てから、黒の王国が絶対なる蒼の王者――エアーズ・ブルーは被害者である護衛対象の要人へと視線を遣った。ブリッジへ一歩踏み込んだ瞬間に状況を把握し、危険物を排除した為被害は最小限に抑えられているはずだが、しかし――…、
「朔原さん、大丈夫ですか…っ?」
「…ええ、問題ありません。咄嗟に避けましたから」
「でも…、血が――、」
現実世界の黒のリヴァイアスの司・黒のスフィクスであり、またヴァイアの王である『福音』の刻印を背負う幼く柔らかな雰囲気の少年が、慌てた様子で朔原へと駆け寄り、憂いに揺れる瞳で懼れるように見上げる――己が運命を呪うでもなく只管に有るがままを許容するだけの無力な全能の神は、戸惑う指先で朱色の滲む首筋を届かぬ距離で切なげに辿った。
「え? ああ…、これは違いますよ。大丈夫です、ご心配には及びません」
見つめる先は右側の首筋、ハイネックの服で隠してはいたが、元々傷を負っていた箇所だ。視点が低く、様々の事情から伏せがちな昴治は気付いていなかったが、上から覗き込んだなら、厳重な包帯の存在感は抜群で、先程のクリフの台詞もそんな怪我の様子を見て取ってのものだった。
「急に動いたから傷口が開いただけです。
痛みもありませんし、…平気ですよ」
「…そう、ですか?」
くるりと純真無垢そのもの、真摯な黒の双眸を瞬かせる心健やかな至上のスフィクスへ、朔原は実に落ち着き払った大人の態度で応じる。諸々の事情により、今でこそヴァイア戦艦の総督といった大層な地位に就いているが、元々は何の後ろ盾も無い一平卒だけあり、荒事にも慣れたものだ。
「――それに、お一人だけですか?
相葉君と尾瀬君の姿が見当たらないようですが」
「えっと、…イクミは俺やゆ――、相葉さんとは別行動だったんです。
それで、ブルーさんが迎えに来てくれた時に、イクミがいなくて…。
今、相葉さんが艦内を探しています」
「そうですか。…いえ、そうですね。寧ろ好都合、ですね」
「……? あの、何かお話があるんですよね?」
「ええ、とても大切な話です。
此処では何ですから、場所を変えましょう」
「は、はい」
何やら意味深な呟きを漏らす朔原の物々しい様子に気圧され、促されるままに頷く神妙な態度も愛らしい神秘の少年は、物言いた気な視線をそっと寡黙な蒼の王者へと差し向けた。しかしながら、王の孤高の魂は不動にて少しも揺らがず、目まぐるしく変わりゆく周囲の状況へと、ひとつずつ的確に処理をこなしてゆく。
「やほーい、男手つれてきたよー!」
クリフ・ケイの実妹である、可愛らしい毒舌が魅力的な快活なお転婆少女が、ぴょこん、とチームの男衆を三名程引き連れてブリッジへ飛び込んでくる。続いて、手頃な紐を見つけ駆けつけてきたツヴァイのメンバーがやってくる。普段は互いの存在を快く思わぬ、それぞれの面子が協力して暴徒と化した少年を縛り上げるのを確かめ、ブルーは端的な言葉でチームメンバーへ命じた。
「別室へ押し込んで、見張りを立てておけ。暴れるようなら大人しくさせろ」
「わ、分かった。言うとおりにしておく。
けどさ、…その、処分とか、どうする…つもりなんだよ?」
チームブルーのメンバーにとってリーダーの命令は絶対だった、殺人術として名高いマーシャル・アーツの達人である王の強さは途方も無く、それに加えて他者を容赦無く切り捨てる非情の性質、ハイペリオンの政界・裏社会を支配する有力名家を生家とする諸々の事情から、チームの面々からも特別視され畏れられるのだろう。
「事情を確認してから判断する。
――話を聞き出せる程度には、…加減しておけ」
「…あ、ああ。分かってる、アンタには逆らわねぇよ」
今回、予想外の暴挙に出た少年はチームブルーの補佐役で、リーダーであるブルーに最も近しい人物だ。現在のチームのメンバーは掃き溜めで慣れ初めた連中が大半であるが、そんな中フー・ナムチャイという人物だけはチームの中で特殊な存在であった。
そんな彼の暴走に王がどのような制裁を下すのか、怖々と訊ねてみたのは、ギョロリとでかい目玉を忙しなくさせる溝鼠のような男子生徒だった。未だ十代の学生の立場にありながら、既に強者に媚び諂い弱者を虐げ喰い物とする悪相が見て取れる――性質(たち)の悪い種類の人間だ。
「…話は纏まりましたね。さて、ユイリィ――いえ、副艦長」
「はい」
現在の艦内の勢力図は王者エアーズ・ブルーの一派が大きく幅をきかせており、続いてツヴァイの面々、朔原は存在の特殊性から全会一致の黙認により、派閥抗争とは全く異なる場所へ席を下ろしていた。しかし如何に朔原が優秀な『艦長』あろうとも、流石に不眠不休で艦の指揮を執るわけにもいかない。朔原不在の際には今まで通り副艦長ユイリィ・バハナが責任を持つ流れになっていた。特に不満の声が上がらないのは、彼女の能力や人間性に多くの者が疑問が感じていない事と、反対したからと言って、さて誰が彼女の代わりを果たすのかという根本的な問題があるからだろう。
「交代して頂けますか、航行ルートは最初に説明した通りに――…、
敵襲を受け難い航路を選択してありますが、万が一"襲撃"を受けるようでしたら、防衛システムを展開した上で、先程頂いた予備のIDカードに緊急連絡をお願いします」
「分かりました」
簡潔な返答ではあるが、そこに迷いは無く。
ひとの命を預かる者、覚悟の重さを焔とした少女の双眸に、悲愴さは微塵も存在しない。
不安に揺らぎながらも、決して希望を見失わず、前を目指し続ける精神的な強さは流石の一言。
「それと、パイロット組がここに来たら、連絡を下さい」
「了解です、朔原艦長」
「…お願いします」
異常な状況下にあっても『艦長』との呼称が耳に馴染む自身に微苦笑を浮かべながら、朔原は待ち呆ける黒のスフィクスへと優しく呼びかけた。
「さて、行きましょうか。"昴治"くん」
「!!」
え、と驚きに大きく見開かれる揃いの空色、くるりと瞬きながら飛び出しかけた心臓と呼吸を呑み込む。その反応の素直さが好ましく愛おしく、よしよしと滑らかな栗色の髪を手のひらで可愛がるのは、ある意味無残なコドモ達の『敵』であるはずの大人のひとり――というのに柔らかな物腰と穏やかな口調のままで禁を破る姿に、人類の犠牲として捧げられし少年は、ただ、茫然とした。
「…っ、さ、朔原っ、さん!?」
それはもう大変に分かり易く、あからさまに狼狽してみせるのは、人を超越し次元を異とする稀少にて至高の存在の少年だ。
己の直ぐ傍に影のように付き従う、洗練された雰囲気の黒スーツ姿も凛々しい情報部が精鋭と、事も無げに地球連邦政府最高機密を口にしてみせた、ダークブラウンの髪に知的な闇紫の瞳、柔和な雰囲気の中に毅然とした振る舞いが際立つ戦艦総督を、反射的にオロオロと見比べてしまう。
「………」
平静を装ってはいるが、黒の出で立ちに蒼の面影が美しく映える王国が支配者とて、多少なりとの動揺が見て取れた。『敵』であるなら、例の計画の妨げになるのなら、いっそここで――との物騒さが際立つ禍々しき眼光に、ふ、と感情の制御に長け、良くも悪くも狡猾な大人の見本のような人物は大様な頬笑みを浮かべた。
「大丈夫。少なくとも『今』の私は君達の味方ですよ」
「……っ、どういう…、」
「説明は後程に、さぁ、行きましょう」
「…はい」
完全に予想外の方向へ転がり始める展開にぐるぐると目を回しながらも、人類生存の鍵である『福音』の宿命を負う少年は、唯一絶対の味方である頼もしき蒼に縋る視線を寄せ、覚悟が滲む一歩を踏み出した。
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四百余名の少年少女等だけで構成される箱庭の王国、不完全で歪な、正気と狂気が交錯し、互いを口汚く罵倒しながら、慈しみ殺し合う最悪の可能性の世界。呪いの言葉を吐く度に侵蝕される足場は、脆く、危うく、今にも崩れ落ちそうで、終焉の黒鳥に脅え続けるくらいならば、と、
(…自殺した生徒もいたとか、そーいえば、そんな噂が流れたよね。
噂話の真相を暴く程物好きじゃないから、実際どうなのか知らないけど)
可愛らしい女生徒達の後ろ姿を追いながら、悲劇を過去とした四年後(いま)となっては懐かしくすらある、重苦しく張り詰めた空気の中を、足取りも軽く飄々と歩み往く自由気儘の灰色猫。生活区から少し外れた場所へと、だがこの辺りは――…、と宜しく無い事態に眉を顰めて穿った。
「えーと、ちょっといいかな。本当にこんなところに?」
拒絶の背中を向けたままの少女達へ、『嘘』では無いのかと言外に仄めかしてみせると、癒しの雰囲気を纏う内気なひとりが、申し訳無さそうな視線を肩越しに送り何事かを言いかける。――が、知的な眼鏡の似合う勝気そうな性格の少女が、恫喝の視線で気弱な方を押し留め黙らせた。
「………」
少女達の説明は、こう、だった。
貴方の彼女の和泉先輩が、素行の悪い集団に無理やり連れ去られるのを偶然目撃してしまった。素知らぬ振りをするわけにもゆかず、しかし、FA課の自分達の力では到底解決出来そうにない。そこで彼氏でVGのパイロットである尾瀬先輩を探していた。和泉先輩が心配なので、助けて欲しい。
(…溜まり場って感じじゃないなー。でも気配はある…ってことは"幻"じゃないのか。
ややっこしいなー。あーもう、あっからさまに罠ッポイし、どーしよっかー)
ぴょんと跳ねたツインテールが可愛らしい我儘お嬢様が、本当にこんな場所へ攫われて来たというなら、例え仮想の世界であっても『カレシ』としては一大事。白馬の王子様よろしく颯爽と助けに駆けつけたいところだが、『誘拐事件』自体が狂言である可能性が非常に濃厚になってきた。
しかし、過去の自分よりも余程善良で無害そうな女生徒等が何の目的も無く、それこそ愉快犯の有り様で他人を陥れるとも思えず、さてどうしたものかと次の判断に迷い胸の内で唸るのは、壱型起動部隊の副官を務める、若輩ながらも優秀な且つ無駄に艶めかしい軍属の青年だ。
「ここです。入って貰えませんか、尾瀬先輩」
「此処、って…。え、っと…下?」
内装工事の資材置き場として使われていたのか、内骨が剥き出しの仄暗い空間の中、煩雑に置き捨てられ危なげに積まれた空コンテナの影に、よく目を凝らせば床に僅かな継ぎ目が見て取れた。四隅の外側に指を掛ける場所もあり、そこから引っ張り上げて扉を開けられるようだ。最初から存在を知らなければ、若しくは、余程慎重で注意深い性格でも無ければ、気付きもしないだろう。
「隠し部屋になっているみたいです。…詳しくは知りません」
落ち着かない様子で忙しなく眼鏡の縁を指の背で押し上げながら、まるで誂えたかのような説明台詞を実に硬質な口調で事務的に擬える姿に、ひとつ、これ見よがしな溜息を漏らす。
「あのね。…あー、もういっか。君達を責めてもしょーがないしね。
それで、誰に頼まれて俺を此処に連れてきたのかな。La petite coquine(ラ・コキーヌ)
流石に黙って閉じ込められる程、おバカさんじゃないからねー?」
にっこり、華の顔(かんばせ)を夢心地に綻ばせる、甘美な艶蜜の誘惑は、未熟な性には過ぎる毒にしか成り得ない。う、と口籠り後退る少女達を、『敵』であると認識しても尚、無暗に威圧しないように、脅えさせないようにと、気遣ってしまうのは最早生まれついての性分だろう。
「……っ、ごめんなさいっ!!」
「!?」
とん――…。
か弱く愛らしい花の姿形に惑わされ、完全に油断していた。可哀想に痩せこけた少女の細腕が思わぬ力で胸を押すのを、他人事のように目で追う。一歩、よろめいた先に、在るべき足裏の抵抗が、
「……っ、」
――…無かった。
切り取られたかのように正確な真四角の黒色、底無しの奈落へと吸い込まれる錯角に、反射的に肌が泡立ち、生理反応から全身が総毛だった。
咄嗟に『敵』の腕を掴み引き寄せると、驚愕に目を見開きながら無抵抗に墜とされる黒髪の少女。智貌を引き立てる華奢なフレームの眼鏡が慌てた指先に弾かれ床を滑ってゆく。
「けいちゃん!!」
「ヤダっ!! うそ、ケイ!!」
残された少女等の表情が絶望に引き攣り痛ましい悲鳴を上げるのを、四角く切り取られた視界の中で、銀灰色の毛並みも美しい残酷な獣は酷薄な笑みを浮かべながら、優しい葬送を接吻けた。
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黒のリヴァイアスが新しきスフィクスでありながら、人類の存亡を賭けた『新天地計画』(プロジェクト・ホーム)の要でもあるヴァイアの支配種『福音』でもある、思わず庇護の腕を伸ばしたくなる愛らしさの少年は、連れてこられたリフト艦の懐かしさ再現性の高さに驚き忙しなく周囲を窺った。
「…不謹慎だけど懐かしいな」
厳ついオペレータ席の椅子の背凭れを手のひらで撫で、そっと瞼を下ろすと、脳裏に次々と浮かび上がる四年前の事件の出来事達。それらは、決して良い想い出とは言えない類のものではあるが、既に"人"では無い神秘の生にとって"人"であった頃の記憶は、酷く特別な尊い存在して色褪せる事無く輝き続ける美しい宝珠だ。
「"アーヤ"、その座席の"misson"キーを押して頂けますか?」
「え? あ、はい」
人外の存在であるスフィクスと情報部から特別派遣された隠密の青年へ、くるりと若き総督は振り返り指示を出す。百聞は一見にしかずとのスタンスのようで、事前説明は殆ど無くリフト艦まで連れてこられた二人に、『敵』か『味方』か距離を測りかねる軍属が薄く頬笑みを刷く。
ヴン、と、不協和音の反響、一瞬空間が歪(ひず)んだ気がしたのは思い違いだろうか。
『よ! 遅かったなー、って。あれ、もう二匹はどうしたんだよ』
「!!」
『おや、本当に情報部の狗が混じっているようだね。
全く【CELSUS】(セルサス)は勝手が過ぎていけない』
『お前だけには言われたくねーだろ、それ』
『君に言われるのも不本意だけどね』
「……なんで、」
呼吸を呑み目を見張る、完全に断絶されたと思っていた仮想世界に、現実への糸が繋がっているなんて、と差し込んだ希望の光にうち震え安堵にへたりと腰が抜けてしまう。
「…っアーヤ様!」
咄嗟に片腕で腰を抱き留めるブルーに、オトコマエだねぇ、よっ、色男〜、と緊張感無く囃し立てる無責任なイイ歳した軍属二人。そんな楽天的――と言うよりも常識外れ――な上官達。
灰のゲシュペントが化身である故に特別な地位を確立する、傲慢のスフィクス『レイン・シルエッティ』特佐と、祖父を連邦政府の重鎮に父を陸軍総司令とする、名家ファルネウスが御曹司、良くも悪くも鳴り物入りのエリート『遊佐・ファルネウス』上級大佐の二人に、ハァと心労で胃に穴が開きかねない苦労性のヴァイア戦艦総督は溜息をつきつつ話の先を促した。
「お二人とも、戯れは程々に願います。それよりも、早く現状の説明を」
『んぁ? アイツ等放置でいいのか?』
「ええ、構いません。
本来は同席して頂く予定でしたが、…彼さえいれば問題ないでしょう」
オペレータ席のささやかな通信画面に映し出された無駄に尊大な上官二人へ、目配せる朔原の言葉が指し示すのは只一人、未知の生命体『ヴァイア』に於ける唯一無二絶対遵守の少年。
「え、え? 俺っ?」
オロオロと狼狽る様子に、大丈夫ですよ、と幼子を宥めるように優しく語り掛ける灰の艦長だ。
『…ま、お前がそう言うなら』
『君のブラコンは年と共に深刻さを増しているね』
『変態は黙ってろ。
じゃあ、"アーヤ"と…それにブルー。
お前達に今の状況を伝えておく、あんまり時間無いから手短に説明するな。
特に"アーヤ"は、よーく聞いておけよ。お前にしか出来ない事があるから』
「…! お願いしますっ」
恐らく、"スフィクス"としての能力を必要とする内容が混じるのだろう、身の引き締まる思いの中で姿勢を正し食い入るように話に耳を傾ける万能のスフィクス。そして、至高の存在の傍で半歩程の距離を置き、常に周囲を警戒して気を巡らせるのは、かつて黒の箱庭に君臨した蒼の王。かつてトレードマークとしていたバンダナも無く、如何にもSPといった風体のスマートな黒服姿だが、そのシンプルさが逆に元の素材の良さを際立てていた。
『さて、じゃあまずは、"ロスト"についてだ』
小さな画面の向こう側、革張りのソファにスラリと長い脚を組み踏ん反り返るレインは、昴治達が囚われる仮想世界への情報から切り出した。
『俄かには信じ難い話だがな、"ロスト"はタダの仮想世界じゃない。
四年前のリヴァイアス事件、その当時とリンクしている可能性がある』
「…え……? リンク、って…、そんなこと…」
法螺話にしては度が過ぎているが、堂々と言い放つ態度に戸惑う福音、幾らスフィクス――ヴァイアが人を超越した存在であるとは言え、『生命体』である以上は自然法則に従うのが道理だ。時空(とき)を遡なんて芸当、それこそ高次の『神仏』の類でも無ければ――…、
『理屈は不明だけど、"そこ"が過去のリヴァイアスへ繋がって可能性は高い。
絶対、と言い切れる程の確証も無いのが現状だけどね』
「…そんな、……? え、っと…」
『ああ、自己紹介がまだだったね。君の事は"これ"からよく聞くから、つい私まで旧知の仲の気分になっていたよ。改めて初めまして、"アーヤ"。私は遊佐・ファルネウス。見ての通りのカッコ良くて優しくてお金持ちなお兄さんだ。まぁこれからひとつ宜しく頼むよ』
「は、はい。宜しくお願いします」
遊佐・ファルネウス――、この人が同族の徒であるレインが言っていた『スゴイ人』なのかと、改めてモニターの向こうに大胆不敵・余裕綽々と構える年上の軍属の姿を、まじまじ観察してしまう昴治だ。確かに鼻梁が一筋に通り口角ひとつ眉のラインとっても完璧だ、ふわりと甘やかな蜂蜜(ハニーブラウン)が風も無いのにサラリと揺れて、長めの前髪を掻き上げる仕草が荘厳雰囲気の高尚な絵画から抜け出たような浮世離れした存在感を放っていた。
(…はー。なんでこう、みんなイチイチ美形なんだろ。
なんだか、…目のやり場に困る…、気がする。
…同じ空間にいるのが、申し訳無くなってくるというか)
身内に結構な顔立ちの『弟』がいるので、それなりに『美形耐性』が高い昴治だが、根元の部分が庶民体質の為、なかなか美形揃いの光景には馴染めないようだ。蛇足ではあるが、黒のスフィクス殊『相葉昴治』とて、綿菓子のようにふんわりと甘く愛らしい容姿の持ち主なのだが、当の本人は自身の価値に対して怖ろしい程に無頓着である。
「その、リンクしてるって…どうしてそう思うんですか?
そもそもリンクって具体的にどういう…」
事なんですか、と訊ねる言葉に、待ってましたと我が意を得たりの表情で遊佐は諳んじた。
『リンクの可能性に気付いたのは、私とレイン――、
つまり"ひと"と"スフィクス"の記憶に食い違いが発生したからだよ』
「…食い違い?」
記憶違いや勘違いなら可笑しくは無いが、食い違い、と違和感ばかりが先立つ単語に瞬く昴治。その疑問に応えるように、レイン――灰のスフィクスの器である無暗に艶めかしい黒髪の青年は説明に補足を加えた。
『――"カイリ"がな、リヴァイアス事件の際にそこに"居た"事になってんだ』
「え」
そんな馬鹿な、と無垢の瞳を大きくさせる福音の少年に、レインはあくまで冷静に状況を綴った。
『そうだ、"在り得ない"事だ。
四年前に起きたリヴァイアス事件、アレが悲惨だった理由のひとつにガキ共だけで宇宙に放り出された背景がある。それなのに、コイツの記憶では"カイリ"が艦に乗っていた事になってンだ』
「……そんな、!!
レインは!? レインの記憶は変わって無いのか!?」
『ああ、俺の記憶は変わっていない。
ただこれが、"事実"が変化しているのか、"記憶"が書き換えられるのか、どっちなのかって話になるんだけどな』
「……記憶だけを入れ替えるにしたって、そんな、」
『そうだな、記憶の改竄がそう簡単に行えるとは思えない。
幾ら"ここ"が敵の腹の中といってもな、流石にスフィクスと謂えども単独でそんな真似が出来る程万能じゃねーしな』
「…失礼、特佐。私の記憶に影響は無いようですが」
余りの事実に驚きを隠せず愕然とする黒のスフィクス、その背後で気配を抑え控えていた影が、一歩前へ踏み出ると同時に短く疑問を差し挟んだ。
『ああ、そーみてーだな。どうやらゲームの参加者は影響しないみてーなんだわ。
カイリも記憶に変化は無いってたしな。どーゆー理屈なんだか』
「………」
『ま、どちらにしろ関係してくるのは間違い無い。
そこで行動した事が過去へ影響を与える可能性を念頭に入れて行動してくれ』
「分かりました」
「…了解」
可愛らしい容姿の少年スフィクスと、その警護にあたる寡黙の剣は、共に重なるように了承の意を返した。
『それと、もうひとつ。こっちは朗報だ。
"外界"との連絡が取れた、遊佐の子飼い部隊がコッチに向かってるところだ。
残念ながら、今は通信不能状態へ戻ってるけどな。
ゲームの期限終了前に救出を受けられる可能性が出てきた』
「…本当ですか!?」
『ああ。…けどな、あくまで"可能性"だ。
万が一、"フレイヤ"とやらが意味不明な能力で外を完全に遮断してるようなら、難しいな』
「……そう、ですか」
『そーへこむなって。そこでお前の出番なんだから』
分かり易く残念がる素直な反応に、火力重視の巨大生体艦ゲシュペントの化身は微苦笑を洩らし、心優しき黒の少年へ愛おしげに声を掛けた。"福音"たる能力の一旦が同種族の青年へ少なからず影響を与えているのだろう、どうにも、昴治へ態度が甘くなりがちな灰のスフィクスである。
「…出番?」
『そうだ、さっきも言ったが、"ロスト"は過去の"リヴァイアス"と繋がっている可能性がある。
"ロスト"自体の支配権は"フレイヤ"が掌握してるが、四年前のリヴァイアスは違う。
――どういう意味か、分かるか?』
「……え、と。」
ぱちくり、戸惑うばかりの幼い面に、モニター越しに指先を突き付け、妙に勝ち誇った態度でレインは口上を続けた。
『つーまーり、だ!!
"ネーヤ"を探せ、そこが過去のリヴァイアスなら居るはずだ、幻じゃない本物のネーヤがな。
そんで、見つけたらここに連れてきてくれ、ネーヤを使って脱出出来るかもしれねーんだわ』
「…ネーヤを…、…分かりました、探してみます。
――て、"フレイヤ"探しはもういいんですか?」
『ああ、そっちはこの際二の次にしてくれていい。
連中が律儀に約束を守るとは思えないしな、何を考えてンだから知らねーが、大方何かの為の布石――、つまりは"時間稼ぎ"と考えた方が妥当だろ。ゲームは七日間目いっぱい引き延ばして、その間に別の脱出方法で抜け出した方がいいな』
「――はい!」
力強い頷きに頼もしさを感じ、人類へ絶大な発言力を誇るレイン・シルエッティールは満足げな表情を浮かべた。その背中で優雅に脚を組み直し、言葉を付け足すのは超然とした清冽な空気を纏う柔らかな百蘭の髪を揺らす高官だ。
『此方でも手を尽くしてみるけど、黒姫(ティターニア)の協力を得られるに越したことはないからね。ひとつ、宜しく頼むよ。
それと――情報部の蒼いわんわんに質問があるんだけれど、いいかな?』
「………。はい、ファルネウス上級大佐」
わんわん、との表現に微妙な間を置きつつも、大人の対応で受け流すブルーに、遊佐は性質(タチ)の悪い笑顔で、美しい面を一層彩るが如く華やぎ咲かせた。
『イケナイ事、考えて無いかな?』
「…どういう意味でしょうか」
『そのままの意味だよ。…さて、そろそろ通信も限界のようだね。
朔、アーヤ、それとわんわんも、精々頑張りなさい』
にこにこと、表面だけは矢鱈と愛想よくしかし灰桜の双眸は底光りを残し、"ロスト"へ取り残される遊戯参加者達それぞれの胸に、チクリと猜疑の棘を押し込んで空々しい応援の声は消えていった。
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2010/12/8 初稿