※注意※
本篇のオリジナルである『無限のリヴァイアス』は
1999年10月6日〜2000年3月29日に放映された作品です
10年前の作品である為、当時の記憶も曖昧であり
今後、オリジナルと異なる展開となる可能性があります







act.4 リプレイ
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 母の胸に抱かれるような幼く柔らかな安堵感を覚えた。
 一面の闇は心を壊す化生の貌を潜ませて、只管(ひたすら)に安息を与える優しき腕(かいな)として傍に在った。永遠とも覚えそうな微睡みの中、ひとつ、懐かしい呼び声が届く。

 じ、 ……こ、 … じ、 ね、 

 ひどく遠い場所から響く音色に、胸を締め付けられる郷愁を呼び起こされ、少年は大きく喘いだ。

 嫌だ。呼ばないで。

 ね、ぇ ……、って、 ね、 じ、

 嫌だ。思い出してしまう。

 って、 ば ……、 ね、 こー …、

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。

 ねぇ、 ……、 も、 かげん、 に ……

 必死で諦めたのに、望まない未来を受け入れたのに。

 ちょ……、 ホラ、 も… おき ……

 呼ばない、で。

「ねぇってば!! いい加減に起きなさいよ、昴治ッ!!」

 ―――…ッ!

 カン高い少女の声は怒り心頭という様子で狭苦しいコンテナ部屋に弾けた。正しく、叩き起こされるといったシチュエーションに目を丸くして、十五の年齢の割に随分と幼い顔立ちが益々あどけなさを増す。
「……え、え、ええ? えええええ?」
「…えええ、って、なによ? まだ寝ぼけてるの?」
 ふんわりとボリュームのある藍色のキュートショートに瑠璃の瞳が合間って、地球の海原を連想させる母性の少女――…、色褪せていた記憶が鮮やかに蘇る、そう、彼女は、
「あお…い?」
「以外の何に見えるってのよ? ちょっと、昴治、ホントに大丈夫?
 ブリッジでオペレーター役なんて任されて疲れてるんじゃ…。っていうか、昴治は巻き込まれ過ぎ。なんで一般生徒がツヴァイに混じってオペレーターなんてしてるんだか…」
 ぎこちなく少女の名前を呼ぶと、さも当然とばかりに肯定され、あまつさえ不機嫌そうに何事かを罵られ、その現実感の無さに放心するばかりだ。何故、何が、どうして。思考の袋小路に迷い込んだまま、ゴツゴツと行き詰まりの壁に向って幾度も頭を打ち付けているような心地になる。
 少女が身につける服装は――…、リーベ・デルタ研修生の臙脂色の制服。襟元のストライプリボンが愛らしい。腰回りのラインが際立つ丈の短いジャケットや、少し屈めば下着が覗けるミニスカート等の仕様は設立者の趣味なのか。いや、今はそんな瑣末を追求しているばあいではなくて。
 あおい。
 蓬仙あおい。
 地球(ホーム)からの幼馴染。しっかり者で世話焼きの少女で、年の頃は十四、五――、歳。
「そ……ん、な…。バカ…な」
 な、はずが無かった。
 スフィクス化した己が身体が十五の歳で姿を留めるのは必然として、思い出の泡沫に優しい面影を残す少女は今頃は花も恥じらう乙女の十八歳だ。十代の成長は特に顕著で、どうひっくり返っても十八歳の女性を、十四、五の少女と見間違うなんて有り得ない。
「ちょっと、ホントにどうしたの?」
「……ッ、」
 はた、と我に返り自身の出で立ちを顧みてみる――、と薄いベージュ色のカーゴパンツ、Vネックのカーディガンセーターは深い焦茶色。足元は上等なクッションのスニーカー。つい先刻までと何ら変わらぬ姿だった。灰のスフィクスであるレインに上から下まで一式揃えて貰ったその通りだ。
「…制服、じゃ… ない?」
 ボロ布と大差の無い掛け布団代わりの薄灰色の布を巻くって、ペタペタと服の質感を確かめる草食系幼馴染に、潔い物言いが魅力的な藍色の髪の少女は怪訝そうに眉を潜めた。
「なに寝ぼけてるのよ? それが制服じゃないならなんなワケ?」
「え、」
 十四歳の『蓬仙あおい』の目には黒のリヴァイアスを司るアーヤ――、いや昴治の格好が自身と同じ臙脂の制服姿に見えているらしく、戸惑う昴治の頭を本気で心配し始める始末だ。
「んもー、本格的に寝ぼけてるなー。
 ま、いいか。それより、昴治! ニュースよ、ニュース!! ビッグニュース!!」
「え、な、何?」
 現状を掴み切れぬままではあるが、寝起きから元気溌剌な少女の勢いに気圧されて昴治は惰性で聞き返した。すると、あおいは大人しい方の幼馴染の寝惚けた顔に、ぐいと上体を折り曲げほんの少しの距離を残す急接近をして得意そうにビッグニュースとやらを披露する。
「なんと、この艦(ふね)の中に大人の人がいたんだって!」
「え! 大人!?」
 仰天の事実を鸚鵡返す昴治の反応に気をよくしてか、あおいは更に饒舌に語り出した。
「そう! 私も詳しくは知らないんだけど、なんかね、軍関係の人らしくって。
 この艦の操舵にも詳しいらしくてね、これで大丈夫だって皆浮かれちゃっててねー」
「………」
「って、どーしたのよ昴治。嬉しくないの?」
「え、あっ、いやっ…。よ、良かったよな。うん、ホントに良かったよ」
「ヘンなの。ま、いいわ。じゃ、私はこずえを起こしてくるから。
 昴治も早く祐希と尾瀬を起こしてあげた方がいいんじゃない?」
 付け足したような歓喜の言葉を訝しがりながらも、少女は特に追及する事でも無いと、さっと踵を返した。臙脂色のプリーツスカートの裾がヒラリと際どく翻るのに、思わず照れて視線を逸らしてしまう昴治は、直後に表情を強張らせた。
「えっ、って、え? ゆ、祐希と、イクミ? な、なんで? ええ??」
「なんでも何も、三人一緒のコンテナ部屋で寝てるからでしょ?
 ほら、早くしないと始業時間になっちゃうってば」
 無情に言い捨てて簡素な布カーテンを潜り、部屋――と称するのも痴(おこ)がましいが――を立ち去る胸きりの良い少女の後姿を未練がましく視線で追いながら、昴治は進退極まる呻き声を喉の奥から絞り出したのだった。
「何なんだよ…、もう」
 時を遡ったかのように久しい口癖を無意識に零している自身に気付き、真っ直ぐな淡い茶金の髪に宇宙から望む母なる惑星の輝きを灯す眼差しの少年は、どっぷり自己嫌悪に陥る。
(…兎に角、起こさないと…なんだよ、な?)
 埃臭いというか、狭苦しいというか、兎に角決して居心地の良くない四角い灰色の部屋で、自分以外のもう二人の人間が雑魚寝しているのを視界に入れ、昴治はそろそろと呼吸を吐き出した。
 中に人がいるのだろうと思わせる、こんもり盛り上がった薄汚れた布の膨らみを、恨めし気に見つめては、溜息を吐く。幼馴染の少女が颯爽と姿を消してから既に十分程は経過しているだろうか、未だ状況も整理出来ぬまま、ぐるぐると同じ場所を悩み抜いていた。
(……、ホントにワケ分かんないけど…。
 多分『ココ』はリヴァイアスの内部(なか)で、リヴァイアス事件当時で…、でも…――)

 どうして。

 簡素な寝床の上で上体を起こし、膝を抱え込んで昴治は考え込んだ。『今』に至るまでの経過を辿ろうにも、妙な腕に襲い掛かられて目を覚ませば、過去のリヴァイアスの真っ只中という状態なのだから、幾ら考えても答えが出るはずは無く、無意味な行為なのは自分自身でも理解していたが。
「! そう…だ、さっき…あおいが言ってた…」

 "大人の人"

 凄惨の情景が記憶に真新しい四年前のリヴァイアス事件の折、少年少女だけの閉塞された世界が彼等の狂気を駆り立てていったのだ。そこに"大人"という理性の因子は存在していなかった。
「…会いに、行ってみよう」
 ぐ、と過酷を背負う少年は握り締めた拳に力を込め、決意も新たに瞳の強い光を灯した。
 そうと決まればと、早速寝床から完全に起き上がり、昴治は粗末な布を丁寧に畳んで部屋の角へ揃えた。妙な几帳面さは『ひと』であった頃から変わらない彼の資質だ。よいしょ、と膝を押して立ち上がり、噂の"大人"とやらの所在について惑った処で、男部屋に闖入者(ちんにゅうしゃ)が訪れた。
「やっほーい! イックミー、おっはよー!!」
「ちょ、コラッ! こずえ!! 男子の寝込みを襲わない!!」
「なによー、あおいちゃんだって、さっき同じことしてたくせにー」
「してない!! 何時までもグースカ寝てるから、起こしに行っただけでしょ!!」
 ――…、キンキンと一際カン高い声で騒ぎ立てるのは――、見覚えのあるツインテール、くりっとした二重瞼が愛らしい幼げな風貌の少女、逢仙あおいと特に親しい友人関係にある彼女の名前は、和泉こずえ。あどけなさを残す愛らしい笑顔と、挑発的な肢体、自由奔放で開放的な性格だが、そのワガママなところがまた良いと男子生徒のファンが多い美少女だ。
「んもぉー、イクミったら。まーだ寝てるんだ。お寝坊さんなんだからぁ。
 そんなイクミはぁ、アタシの あつぅ〜い キ ス で 起こして ア・ゲ・ル」
 更に付け加える特筆事項としては、尾瀬イクミの『彼女』である、という一点が思い出される。
「ばっ…! 何、バカな事言ってるのよッ、こずえ!! ほ・ら・行くわよ!!」
「やだー!! あおいちゃんのイケズぅ! 邪魔しないでよぅ〜!!」
 花も恥じらう乙女として、親友として、決して見過ごせぬツインテールの暴走を必死で引きとめ、その腕を掴んで男子の寝室となっているコンテナ部屋から引き摺り出そうと躍起になる常識人のあおいに、二人の一連の遣り取りに、昴治はただただ唖然とするばかりだ。
「やーっ、腕痛いってば! あおいちゃんのばかーっ、放してよぅ!!」
「その取っ手にしがみ付くのをやめればいいんでしょ! もう、いいから来る!!」
「いーやー! なによ、あおいちゃんの自分勝手! エッチ!
 自分は良くてアタシはダメな理由がわかんない!!」
「えっ…、ち、って! 何よそれ! 何もするわけないでしょ!? こずえじゃあるまいし!」
「あー!! 聞き捨てならない! あおいちゃんって、アタシの事痴女みたく思って無い!?」
 色恋沙汰に奥手な良妻賢母派の藍髪の少女と、恋愛自由論を信条とする積極的で奔放な恋のエキスパートの間の、実にちょっとした言い合いが徐々に不穏さを帯び始めた。口喧嘩版キャットファイトのような展開を前に呆然としていた華奢な少年も、慌てて二人の仲裁を試みる。
「あ、あおい。和泉。その、二人とも落ち着いて…」
 が、案の定興奮状態の少女達の耳に、今にも消え入りそうな遠慮がちにな声が届くはずも無く。
「そこまでは言ってない!! ってか、そうじゃないって言うなら素直に部屋を出なさいよッ!!」
「それはそれ! これはこれ! は・な・し・て・よ!!」
「あ、…あのぅ…」
「昴治は黙ってて!!」
「相葉は黙ってて!!」
 どうにか場を収められないかと果敢な挑戦に立つも、ピッタリと呼吸を合わせた二重音声の威嚇に、すっかり呑まれて昴治はスゴスゴと退散した。触らぬ神に祟りなし、君子危うきに近寄らず、女の口喧嘩に下手に関わればどんなとばっちりが飛んでくるか分からない。
「だいたい、あおいちゃんはイマドキ貞操観念強すぎるのよ!!」
「学生の内から貞操観念が低い方が問題――…っ、!?」

 ガウン!!!

 夫々勝手を言い張る姦(かし)ましい喧嘩舞台に幕を引いたのは、不機嫌な猛獣の咆哮にも似た銃撃音。それは圧倒的な存在感で以て全員の意識を惹き付けた。

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 軍属としての道を選択してからというもの、軍規に縛られ軍務に駆られる日常を送る健康な青年男子にとっては、三大欲求の解消は極めて切実な問題と成り得る。
 食欲・睡眠欲・性欲。
 これらの欲求のうち『食』は規則正しく満たされ。『性』は必要に応じて自己処理を行うか、合法に一晩のパートナーを選択すれば良い。しかし『睡眠』に関しては――…、幾ら良質の眠りを得ようとも、目覚めの頃には欠乏の虚しさが付きまとう。成長期の肉体は実地訓練による酷使や、作戦行動に於ける極度の緊張で、自覚無く疲労を溜め込んでいるのだ。
 よって、つまり、
「ぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ……、
 ウッセェんだよ! サカリのついた猫みてーに騒ぐな!!」
 壱型機動部隊部隊長・相葉祐希上級大尉の寝起きは絶望的に悪かった。
「ゆ、…ゆぅ……、き……?」
 呆気に取られる少年少女の視線に――おそらく全く気付いていないのだろう。自らを取り巻く状況の異常性に目もくれず、天井へ向かって一発弾丸を撃ち込んだ黒髪の若者は、そのまま薄毛布へ包まって積極的に睡眠を採ろうと試みる。しかし、常識外れな行動で周囲を沈黙させた彼を再び刺激しようという勇者はその場には居なかった。
 ――ただ、一人を除いて。
「…もー、祐希くん。いー加減にしなさいね〜、キミ。
 幾ら眠いからって、寝惚けて発砲はナイでしょぉ〜。イクミ君に当ったらどーしてくれんの」
 ごろごろ、と寝起きの舌足らずな甘い声が粗末な毛布の下から響いて、無体を働く青年の隣の盛り上がりが、むっくりと起き上がった。肩口まで伸ばされた毛先に独特の癖を残すウェービーヘア、甘えたがりの面影を残しつつも 『それ』 は酷く卑猥な姿形をしていた。
「あ、イクミー! おっはよー☆」
 フリルとリボンで盛り付けたポップキャンディのような声が、キンと鼓膜を震わせていくが、まだ夢現の境界を越えないのか、ぼんやりと生返事を返すだけ。
「んー?」
 腫れぼったい瞼を擦り上げ乱れ髪を掻きあげる、そんな何気ない仕草ですら色香が纏わりつく。決して女性的ではなく、当然中性的なそれとも違う。確実に男性であると一目で判別が付くにも関わらず、悩ましいのだ。――…艶めかしいのだ。人類の歴史には人心を惑わせ王臣を狂わせ、一国を滅亡させたという傾国の美女の名が刻まれているが、妖妃の破滅的な美貌は眼前のそれの如く形作られていたのではないかと、言葉も無く見惚れる。『これ』がかつての親友だなんて到底信じられない――と言うよりも信じたくない。
(…わわわ、な、なんかもう、む、むりッ!!)
 訳も無く赤面してしまう自分に混乱して、昴治は騒ぎの中心から逃れようとの思いひとつだけで、フラフラとコンテナ部屋を後にした。

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「えへへー♪ こらー、イクミ起きろー☆」
 ぴょーん、という擬音でも付けるのが丁度いいだろう、そんなはしゃぎっぷりでツインテールの少女は『十八歳』のという注釈付きの恋人の胸へ飛び込んでゆく。咄嗟の出来事で少女の存在を正確に判別出来ぬ状況ながらも、流した浮き名に恥じぬフェミニストは反射的に小さな生き物を受け止めた。柔らかくて温かくて弱い、少しでも力をいれたら粉々に砕けてしまいそうな。
 無知で無力な口先だけの若造が護り切れなかった、壊してしまった、助けられなかった、
「こ……、ずえ…」
 驚愕に揺れる翡翠の虹彩、瞳孔が息を呑むように大きく開く。イクミの狼狽ぶりに軽い気持ちで男部屋へ突撃した少女は逆に吃驚して、戦々恐々と恋人の腕の中戸惑いの表情を浮かべた。
「え、やだ、どうしたの、イクミ? そんなに部屋に入っちゃダメだった?」
 うるっと泣き出しそうなつぶらな瞳に上目使いに見つめられて、イクミは慌てて両手を振った。
「やっ、違う! 違うから、ゴメン。ちょっと寝ぼけててさ。ゴメン、こずえ」
「! うんっ!!」
 自慢の彼氏が絶対的に自分に甘い事を知っているだけに、こずえは嬉しそうに笑顔を輝かせた。臙脂色の制服、プリーツのミニスカ、左右に揺れるハニーブラウンのツインテール。かつて姉の面影を追って恋した少女。見間違えるはずもないが、しかしその姿は『十四歳』のままだった。
「………」
 無邪気な恋人を胸に収めたまま、イクミは周囲を見渡した。全体的に暗い。おそらくは積み荷のコンテナを収納しておくスペースなのだろう。天井には様々な太さのケーブルが束になってエネルギーの流れを作っていた。カラダに掛けられた粗末なボロ布は毛布代わりなのだろう。どれもこれも、確かに見覚えのある――、
「…リヴァイアス…か」
「……? イクミ? 本当になんか変だよ。熱でもある?」
「ん、いや心配要らないさ。こずえ。
 それより、変な事を訊くかもしれないけど、答えてもらっていいかな?」
「…え? あ、う、うん…」
 サラサラと手触りの良い少女の髪を手櫛で楽しみながら、イクミは極上の微笑を浮かべて『彼女』を籠絡した。明るい社交家で場を和ませる達人、時にその定まらない生き方がお調子者として捉えられてしまう事もあるが、和泉こずえは自分の言葉も行動も、何処までも寛容に受け止めてくれる彼氏が大好きで自慢だった。
 オトナなアレコレに興味のある御年頃、けれど今一歩が踏み出せない微妙な関係に焦れながらも、そんな砂糖菓子のような距離感を二人で共有する。それが楽しくて、嬉しくて、幸せで。
 けれど、無垢こそ最大の罪との戒めを象徴するような無防備な少女は、頬を寄せ甘酸っぱい恋心を寄せる少年が、なにか、どこか、掛け違えているような気がして困惑を強めた。
「ここは、リヴァイアスだよね?」
「…う、うん。そうだよ…?」
「今、リヴァイアスを動かしてる勢力は? ツヴァイのまま?」>
「…え、えっと。ツヴァイ…、だったけど。ブルーの一派が占拠してるみたい…」
 リヴァイアスへ乗り移った直後では無く、ブルー政権に代わった頃か、とイクミは得た情報を整理してゆく。孤高の王者であるエアーズ・ブルーとその取り巻きの小悪党連中。彼等の統治時代はまだ艦内の治安は危なげながらも均衡を保っていた。ブルー政権の崩壊後から急速に艦内は荒れ始めたと記憶している。なら、『今』はまだ少女等を保護する段階では無い。
「他に何か変わったことは?」
「え、う、うんと、ね。アタシもさっきね、あおいちゃんに聞いたばっかりなんだけど。
 なんか、艦内に『大人』の人がいたんだって」
「! 大人!?」
 血相を変えたイクミに両肩を強く掴まれ、こずえは微かに脅えを表情に浮かべながら答えた。
「う、うん。詳しくは知らないけど…」
「その人は今何処に!?」
「えっと、た、多分ブリッジだと思う、よ?」
 恐怖の為か当惑がそうさせるのか、上擦り震える高い声に我に返った『イクミ』は、手の平に簡単に収まる十四歳の少女の肩をそっと放して、壊れ物でも扱うようにゆっくりと抱き締め直した。
「ふ、ふぁっ!? イッ、イクッ、イクッ、イクミッ!!?」
「ゴメンな、肩痛かったよね」
 耳許に直接吹き込まれる低音に、耳年増で実体験の伴わない純情少女が、ぐるぐる目を回した。片やまだまだ初心(うぶ)で未熟な女子生徒、相手どるのは百戦錬磨と囁かれ、一騎当千との呼び声も高い至上最強の色事師(いろごとし)。
「あっ、ああ、あのねっ。へ、平気ッ! 平気だからッ!!」
「平気じゃないだろ。ホントにゴメンな、こずえ。
 …愛してる……」
「〜〜〜〜〜〜ッ!!!?」
 不意打ち過ぎる台詞を効果倍増の耳朶を甘噛みされながら告白された日には、もう恥ずかしくて顔から火が出そうとか、照れ臭くて相手の目が見れないとか、そういう微笑ましい次元の問題じゃなくなる。

 大・パ・ニ・ッ・ク、だ。

 ツインテールも愛らしい甘えん坊な少女は、なけなしの力を振り絞って恋人の腕から逃れた。そして、あうあうと頭上から湯気を噴き出して、ほぼ逃げ出す格好で部屋を駆け出ていってしまった。

「…あーりゃりゃ、ちーっとやりすぎたか」
「何やってんだお前は…」
「あれ、ゆーき君ったら目ぇ覚めてたの? 黙って他人の濡れ場を覗き見なんて、やーらしー」
「アホか」
 部下の軽口を慣れた様子でいなして、祐希は面倒そうに起き上がった。片膝を立て乱れ髪を手櫛でザックリ整える姿に、野放しの雄の色気を感じさせる。しなやかに鍛えられた筋肉も美しい壱型機動部隊隊長の剣呑たる眼差しは、用心深く周囲を窺っていた。
「…あおいは?」
「俺とこずえがイチャイチャし始めたの見て、呆れて出てったみたいだねー」
「……まぁいい。
 話は聞いた。どういう仕掛けかはしらねーが、どうやら『ここ』は『過去のリヴァイアス』のようだな」
「みたいだねー。ご丁寧に、登場人物まで用意してくれちゃって」
「つまり、今日も入れて残り七日間」
「リヴァイアスの乗組員の『誰か』に化けたあの子を見つけ出せ、って事か」
「……厄介だな」
「厄介だねぇ…」
 当時のリヴァイアスには四百四名の少年少女が避難を余儀なくされていた。事件の際、祐希やイクミはVGの操縦者として活躍していた背景から、リヴァイアス艦内でも名が通っていた。その他ツヴァイの面々や、チームブルーの連中など、ある程度の知名度のある人間に化けてくれていれば助かるが、それこそ名も無き花のような一般学生にでも姿を変えられていたら正直お手上げだ。
「まー、あの反応ならこずえは"白"だと思うけど」
「…お前…、そんな理由であんな三文芝居を…」
「えー? 割りと本気だったけど? それとも、ヤキモチ焼いてくれた? た・い・ち・ょ・お」
「…死ね。」
「隊長の愛が痛い…」
 ワザとらしく泣き真似をしてみせる副官を足蹴にして、祐希は兎に角――、と腰を上げた。
「やるしかねーな。こうも不利で不平等とは思わなかったが」
「あの子はチャンスは一回だけって言ってたし、慎重に行かないとねー。
 取りあえず 『大人』 のトコに行ってみましょうか」
「…ああ。おそらく、朔原の事だろうな」
「多分ねー。ブリッジにいるらしいけど、ブルー一派とトラブってなきゃいいけど」
 『ブルー』の言葉に、ぴくり、と黒髪の青年の剥き出しの肩が揺れた。大概の事には無関心なだけに、その反応は顕著だ。一抹の不安を覚えた副官は念の為と忠言を呈した。
「あのねー、祐希くん。言っておくけど、ココがどういう理屈の世界なのか分かんないだからね?
 ブリッジに飛び込んでイキナリ過去のブルーに殴りかかるってのはナシだよ? いい?」
「バカを言え」
「分かってるならいーんだけどね」
 確かに壱型機動部隊の隊長職を任命される立派な軍属が、青臭い若造のように無茶な暴走はしないだろうと納得して、イクミは行きましょっか、と上官を促した。

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 リーベ・デルタの生徒の中でも特に成績優秀者を集めたエリート集団『ツヴァイ』が舵を取る無人艦リヴァイアスには、一際大きな衝撃が奔っていた。心も体も未発達なままで宇宙に放りだされた、少年少女達だけの小さな箱庭は、シナリオに無い人物の登場で閉ざされた扉をまだ見ぬ未来へと開いた。
 予定調和の悲劇を回避する事で、運命の天秤が傾きを変えてゆく。
 これが、どのような結果をもたらすのか、未だ彼等は知らない――…、

「おい、聞いたか? "大人"だってさ…」
「ああ、なんでも。上の連中が遣う部屋で倒れてたとかって話だぜ」
「技術者なんだろ、あのロボット開発したさ!」
「ええ!? 俺は軍人だっていう話を聞いたぜ?」
「どっちにしろ、このリヴァイアスに乗ってた"大人"には違いないよ!」
「ああ。これで――…、

 皆、助かるかもしれない。

 テロリストとしての痛烈な誤解、保護してくれるはずの『大人達』からの拒絶、助けを求め必死に伸ばした傷だらけの手を、踵の先で蹴飛ばされる理不尽への恐怖と憤懣。黒のリヴァイアスに鬱積し蔓延したこれらの悪感情が霧晴れるかのように消えてゆくのを、誰もが肌で感じ取っていた。
「………」
 艦全体がかつての勝戦パーティに似た高揚に包まれる中、思わしくない表情で通路を歩く影がひとつ。漂流生活を続ける少年らの誰もが"大人"の存在を、この上無い希望として捉えている――というのに、少年――四年後にはリヴァイアスのスフィクスとして、人類の福音として君臨するアーヤ、いや相葉昴治にとっては"大人"は違う意味を持つ記号だった。
「…大人。大人…、か」
 昴治の視点では『大人』は一人では無い。姿形の変わらぬ己自身は兎も角、人としての時の流れに沿って成長を遂げた弟と親友は、控え目な評価でも完全に『青年』の分類だ。それなのに、リヴァイアスの搭乗する生徒たちの眼(まなこ)には、四年前の彼等の姿が映り込んでいるようだった。
(……大人…の存在があるって事は、少なくとも『ココ』は『過去のリヴァイアス』を模しているだけで、決してそのものじゃない、って、コトだよな?)
 むぅ、と眉をひそめて考え込む。やはり一人で行動するのは迂闊だったかもしれないと、今更になって後悔が湧いてくるが、あの時はもう居た堪れなくてどうしようも無かったのだ。それに『今』の彼等に自分が『黒のスフィクス』であると幾ら説明したところで、信じて貰える可能性はゼロに等しい。身の潔白を証明する第三者が必要なのだ、と誰に聞かせるでもない弁明を脳内で繰り返す昴治の腕が、誰かの手によって乱暴に引かれた。
「え、」
 誰、と思う間こそあれ、二の腕を掴まれたまま、ズルズルと――事件の当事者にも関わらず、未だに昴治に認識は無いのだが――所謂女生徒がポイントと引き換えに春を売る『遊楽区画』へと引き摺りこまれたのだった。

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「……わッ!?」

 とす、ん。

 物資の絶対量が問題視され深刻化してゆく閉鎖された王国では、滅多に目にかかれないベッド。安っぽい造りでスプリングが大きく軋むそれは、日々繰り返えされる饐(す)えた行為の痕跡が見て取れた。その上に仰向けに突き飛ばされ、昴治は咄嗟に両腕で体重を受け止める。
「なっ…、に?」
 当時のリヴァイアスの艦内は未整備の区画が多く、艦の中心であるブリッジとの距離に比例して、混沌さを増していた。茶金の柔らかな髪に、華奢な身体つき、福音という絶大な能力(ちから)を内在させるも、黒のスフィクスの器は非力な少年でしかないのもまた事実だ。早々(はやばや)と秩序を乱し暴走する一派からすれば、偶然ブリッジクルーへ抜擢された平々凡々とした『相葉昴治』という存在は、ポイントを掠めるにしても、集団暴力の対象にするとしても、性的捌け口としても、最適な人材だった。
「………?」
 しかし、四年前だろうと四年後だろうと大差無く社会の諸事情というものに疎いのが、彼、相葉昴治たる所以とも言える。自分自身の置かれた危機的状況をイマイチ理解出来ずに、小動物がそうするようにコクンと小首を傾げる仕草が、ひどく幼く無防備だった。
 固いベッドの上から見上げる視界の中に『居る』少年は、四〜五名程度。本来ならばこの手合いの犯罪は個人が特定されないよう立ち回るものだが、全員が堂々と素顔を晒していた。そのうちの一人だけは、何処か落ち着きなく周囲を気にしてオドオドと目線を彷徨わせている。若しかすると、彼だけは非人道的行為に反対なのかもしれないが、グループからの孤立や報復を恐れてそれを口に出せずにいるのだろう。
「…何の用かな」
 集団性による陶酔状態にでもあるのか、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべる少年らに、昴治はあくまで対等な立場としての態度を崩さずに静かに問い掛けた。スフィクスの能力は属するヴァイア艦の内でこそ最も発揮するが、ホームエリア外でもその自在は健在であり絶対性は損なわれない。
 いざとなれば、互いが存在する次元の軸を歪めて逃げられる。信義を欠いた無法者共如きが、文字通り『手の届かぬ場所』へと姿を消す事が可能であり、奥の手を隠し持つからこその強気でもあった。
「何の用だと思うのかな〜? ボクちゃんはさー」
 一党のリーダーと思われる履き潰したスニーカーのような顔面の少年が、いやらしさを全面に押し出すかのような猫撫で声で、獲物の表情を覗き込んだ。
「………?」
 品性の欠片も無い少年他等の目的は図りかねたが、どうにも宜しく無い展開だと察して、昴治は能力(ちから)の前準備を始めた。先代黒のスフィクスである黒の姫君(ティターニア)もとい、ネーヤから"資格"を継承したとは言え、未だ自身の能力には戸惑いが大きい。既存のスフィクスとは違い、死を超えぬまま『人』という生命の形を昇華した少年には、未だに人間であった頃の『常識』が強く意識を縛り付ける。
 次元を歪める、というスフィクスからすれば呼吸(いき)をするのと同じ容易さで――そもそも、スフィクスには呼吸の必要は無いが――可能なそれも、新米スフィクスにとっては、なかなか難しい。
「いやさァ、君。なんつったけ? 名前は知らないんだけどさーァ。
 あれでしょ? アレ。ブルーのお気に入りのオペレーター」
「……、!」
 掌に次元の隙間を捕らえつつあった昴治は、不意打ちの単語に一瞬で心を乱された。折角捕まえた断裂がスルリと指の隙間から零れるのに、しまった、と顔色を変える。
「お、顔色変わったねー。なんだァ、ホントにお気に入りなんだ?
 だったら、イーッパイ可愛がってやんねーとなーァ。
 オレさァ、基本オトコはきょーみナイんだけど、君ならイケるし」
「………、え、っと。
 要するにブルーへの腹いせに俺を痛めつけようって話、かな?」
「そーそー。なんだ、キミ。察しがいいじゃんか。
 オレ達チンピーラーだからさー、やっぱブルー様と直接遣り合ったって無理なワケよ?
 だったらどーぉすればいいかなーって話でサァ、弱い者イジメするしかないじゃん?」
「あまり良い選択じゃないよ、それ」
 チンピラ風情と自身を評するだけあって、態度も思考も行動も三下だ。こういう後先を考えない連中は、四年前のリヴァイアス事件当時に確かに実在していた。しかし、『それ』が最も顕著であったのは、後期ツヴァイ政権の頃。権威が失墜し、規則(ルール)が崩壊した時期だ。
 冷酷無比にて孤高の王者が玉座を蹂躙し絶対権力を握るこの時期に、悪目立ちすれば生贄の羊として無残な結末を迎えるのは必須――だというのに。全く以て悧巧とは言い難い選択だ。
「なんだァ、ずいぶーん強気でしゅねー。
 一応さァ言っておくけど、キミの弟も親友クンも助けに来ないし、来ても無駄だし?
 オレ達、ちょーTUEEEEEEEEEEEの。マジで。
 だからさー、まー、大人しく可愛がられろ、よ…っとォ!!」
「! ちょっ…、」
 ぐい、と胸元を掴み上げられ息苦しさに昴治は抗議の声を上げて、暴力の主を睨み上げ――、
「グガッ!!!!」
 た、と同時に、既に無法の少年Aは左側へ異常な勢いで吹き飛んだ。風圧の余波を受けて黒のスフィクスの金茶の前髪がふわりと靡く――、一気に開けた視界に映り込む酷い惨状。先程まで悪の講釈を垂れていた加害者は壁に背中を打ちつけ白目を剥き泡を吹いていた。
 残りの三名も床の上に大の字で気絶しているだとか、くの字に身体を折り曲げて悶絶しているだとか、鳩尾を両手で押さえ嘔吐を繰り返しているなどと壮絶な状況で、昴治は被害者側の立場も忘れて少しばかり同情をしてしまう。
 狼藉者一派のうち、如何にも”脅迫を受け従っているんです”と言った様子の少年一人だけが、嵐の如き難を逃れ、ヒィィ、ヒィィィィ、と切れ切れに悲鳴と共に、這う這う(ほうほう)の体で逃げ出しいくのが見えた。
(だ、大丈夫かな…?)
 九死に一生を得た少年の逃げ惑う背中を思わず追った昴治の視線が、不意に美しき天上の色彩を捉える。
「……え、…」
 無様な逃亡者などには目もくれず、スイと洗練された所作で人の世に創生より美しい"蒼"は跪いた。
「…御迎えに、あがりました」


      アーヤ様  



 記憶に在る『彼』よりも、ずっと大人びた響きで、"彼"は見知らぬ黒の主の名を呼んだ。

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2009/08/20 初稿



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