act.5 再会と再開
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 初代の黒のリヴァイアスにおけるスフィクス『ネーヤ』の後継として、人類という種の保存の為に過酷な犠牲を強いられる痛ましき少年の名を恭しく呼ぶ蒼の騎士(ナイト)の登場に、福音たるには余りに幼い存在は、驚きも顕につぶらな瞳を大きく見開かせていた。
「……っ、そ、…え、ええ、っ?」
「有史相互発展機関、情報部所属・エアーズ・ブルー。
 階級は軍規により申し上げる事は出来ません。どうぞ、ブルーとお呼び下さい」
「…ブ、…ブルー、さん?」
 二年――前、最後に目にした彼の姿を思い浮かべては、眼前にする人物との明らかな違いに昴治は当惑し、声を震わせ上擦らせた。
 エアーズ・ブルー。
 かつては土星の衛星でありながら、リヴァイアス事件に巻き込まれる形で宇宙の塵と化したハイペリオン出身の、寡黙で好戦的な帝王。冷徹たる刃の切っ先を喉元へ突き付け、見渡す限りの世界を非情の業で屈伏させる絶大なる存在は、思わず目を疑う程に紳士的な成長を遂げていた。
「ブルー、で結構です。アーヤ様、お怪我はございませんか」
 背中の途中まで伸ばされていた美しい蒼の髪は短く、トレードマークのバンダナも無い。上質な黒のスーツを着込み、黒のネクタイでキッチリ襟元を止め、頭(こうべ)を垂れる姿は圧巻の一言。そもそも、エアーズ・ブルーたる人物が何者かに従属する、という事自体が俄かには信じ難くあった。
「………」
「…アーヤ様?」
 無言のままの黒のスフィクスの様子に怪訝そうに眉を顰め、隠密機構とも揶揄られる情報部へ所属する青年は、ふ、と透明な視線を上げた。そこで初めて、昴治は軍属としてのブルーの姿を真正面から認めた。
「……ッ!」
 サラ…、と長めの前髪が揺れ、宇宙の深淵より望む地球の輝きにも似た珠玉が、控え目な二重の奥深くで愛おしげに瞬く。土星圏の人間の特徴なのか、温度を感じさせない陶器のような膚、凛々しく筋の通る鼻梁は高く整っており、薄く形良い口唇は青味がかって見える程、血の気が無い。涅槃の湖底を望みて咲く、白蓮の華。花弁のひとひらに至るまで、幾星霜を氷棺へと縛られる永劫の呪い。
「………」
 それは現実から切り離された、神秘的な美しさで――…。
 呼吸(いき)を、していないのでは、と 、 思った。
 そうと腕を伸ばして、頬に掛かる蒼の色彩を撫で払いながら、目尻近くの皮膚へ触れる。冷たい。けれど、存外柔らかい、ひとの感触。生命の息吹を確かめようと惑う少年の華奢な指先は、戸惑うように呼吸を継ぐ部分へと辿り着き、周囲のそれよりもほんの少しだけ温度の高い、悩ましい弾力を親指の腹で撫で擦る。
(……やわらかい、 …いき、してる )
 命を紡ぐ美しき手弱女(たおやめ)や、生まれたての童子の描く曲線的な柔らかさでは無く、血の通った生物としての手応え。温もり、触れて、確かめて、繰り返す程に距離が遠くなる。決して届かぬ宇宙(そら)の惑星(ほし)を強請る、無邪気な、残酷な、現実に胸を締め付けられる気がした。
「……ブルー…」
 二度と共に歩いては行けないのだと。
 互いの吐息が触れ合う、絡み合う視線を間近にする今でさえ。
 存在していないのも、同じこと。

 ――ああ、泣きそうだ。

 只でさえ四年前のリヴァイアスが舞台という喪失の記憶を騒がせる世界観だというのに、これ以上、彼等に刺激を与えてはいけないと言う事は、痛切に理解していた。強烈な催眠暗示のプロテクトが作用して、最悪の場合には海馬への過負荷が脳死を引き起こす可能性すらある。

 だから。
 決して――、

 思い出さないで。

 ひとつ、堪え兼ねた想いが睫毛を濡らして、音も無く零れ落ちてゆく。
「――…、 ッ、」
 のを、認めた瞬間、情報部の闇に暗躍する蒼き刃の如き青年は、発作的に幼き肢体(からだ)を力の限り胸に掻き抱いていた。

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 リーベ・デルタの宇宙事故から死ぬ思いで逃れ、リヴァイアスという未知の艦(ふね)へと一縷の希望を掛け乗り込んだまでは良いが、無人の戦艦という異様且つ異例、そして絶望的な状況が少年等の行く手を遮った。それでも、故郷へ、家族の元へ生きて還る日を夢見て始まった、子どもたちだけの漂流生活は、一人の"大人"の介入で様相を変えていた。
「大丈夫。兎に角、ゲドルゥトへ潜航して本星を目指しましょう。
 政府が開発する可潜艇(※ゲドルゥトの中で長時間の航行を可能とした艦)では、リヴァイアスの潜航・航行能力へ遠く及びません。先に示したルートで進んで下さい」
「は、はい!」
「分かりました。朔原さん!」
 艦長席へ静かに腰を落ち着け、丁寧な口調で的確に指示を出す"大人"を、ツヴァイのメンバーは勿論、ブルーを筆頭とする新政権一派も受け入れていた。艦内で発見された彼を無条件に信用するのは危険ではないかとの不安の声も上がっていたが、現在のリヴァイアスの全権を掌握する少年の意向に従い、然程の混乱も無く 『艦長』 として無事に起用されたのだ。
 最も反発するだろうと思われた箱庭の王が率先して"大人"――軍属だと名乗る人物を重用したという事実もさることながら、実際に大人――、朔原の実力は疑いようも無いものだった。灰のゲシュペントの艦長として責を負うだけあり、ヴァイア艦自体への知識は深く、その性質について細部に至るまで精通している。ヴァイア艦隊総督の肩書に恥じぬ戦術・戦略の智謀には素人にもそれと分かる違いが感じられ、また巧みな話術と他人(ひと)を惹き付ける天賦のカリスマ性から、僅かな時間指揮下にあっただけで、ツヴァイの面々の多くはすっかり朔原へ心を預けていた。
 ――テロリストとしての誤解が生み出した、未熟で滑稽な逃走劇。
 当所無く漂うばかりの永遠の宇宙(そら)で、人も、物資も摩耗してゆくばかりの喪失の日々。
 エリート集団として将来を有望視されていたツヴァイの少年少女等とて絶望に例外は無く、幾ら気丈に振舞おうとも、払拭し切れぬ最後の日のイメージに心の奥底では皆怯えていたのだ。
 四方を遮る厚い壁で圧し潰されようとしていた運命の箱庭を救ってくれるのでは、と彗星の如く現れた大人に過剰なまでの期待を寄せてしまうのは当然の流れだろう。
 ――無論、全員がブルーの決定に心から受け入れるはずもなく、一部の反感も買っていたが。
「おい」
「はい、…ええと、フー君? でしたね」
「……ッ、フーでいいッ!」
「分かりました。それで、どうかしましたか?」
 ブルー政権の補佐的な位置を確保するフー・ナムチャイ。十人前の容姿に人並み以下の体力だが、頭の回転が早く、驚くほどに口が立つ。仲間内で詐欺師の息子と揶揄される程に、話術・人心操作への卓越した能力を持ち合わせている人物だ。その彼が威嚇の意を込め朔原へドスを効かせた。意識して低くさせた声にはそれなりの迫力が籠っていたが、二周りも年上の軍属からすれば、脅えた仔犬が尻尾を丸めて必死に吠えたてる姿にしか感じられない。
「…ブルーが認めてるから艦を任せてるけどよ。
 俺は、アンタを信用してるわけじゃねーからな! 覚えておけよ!
 ヘタな真似したら、許さねーぞ!!」
 鬼の居ぬ間――もとい、ボスの居ぬ間。ブルー不在の隙を突いての堂々の敵視宣言に、現役で灰の艦長を務める軍の若き実力者は、つい、と腕を伸ばしてぽんぽんとフーの煮えた頭を撫でた。
「……ン、なっ!! なにしやがンだよ、アンタッ…!!」
 バシッ、とつれなく叩き落とされた右手を擦りながら、朔原は完成された『大人』の笑顔で応じる。
「君は責任感が強いのですね、良い事です。
 長所を忘れず、弱さを克服して、立派な大人になって下さい」
「……ッ、ば、っ、バカかッ!!
 ここで死ぬかもしれねーっつぅのに、何呑気な事言ってんだよ!!」
 裏社会の掃き溜めにドブを啜って生き延びて、騙し騙され、真黒に汚れた腹を探り合い、ペテンの才能で潰し合いの世界を舌先三寸の綱渡り。強者の威を借りて、寄生虫のように這いずり回って来た少年にとって、真正面から手放しで与えられる賛辞の言葉は眩し過ぎて苦痛ですらあった。
「そうさせない為に私がいるんですよ」
「……っ、けっ、バカバカしいッ!
 俺は見回りに行くから、ブルーにはそう伝えておけよ!!」
「はーい、はぁい」
 成人に満たない年齢にも関わらず、色香を振り撒き、悪女としての片鱗を覗かせる女生徒が間延びした返事で応じ、その緊張感の欠片も無い態度を咎める余裕も無くフーは逃げるようにしてブリッジを後にした。
「ねぇねぇ、フーのヤツさぁ。耳まで赤くなってたよねー?」
 そんな仲間の動揺した背中を見送って、快活な愛らしさの中に小悪魔的魅力を併せ持つ少女が、早速口さがない噂話を始める。流石の姉に隣に聞こえる程度の小声で、だが。
「なってたわねぇー、ま、あいつもヤキが回ったってコトじゃないのぉ?
 でも、ぶっちゃけアタシもさーぁ、キュンとキちゃったかも」
「うわ…。そりゃ、結構カッコイイけど、超年上じゃん…。
 お兄様ったら、守備範囲広すぎ」
「ちょっとぉ、お姉様でしょお?」
「はいはい、すみませんでしたー。おねーさまー」
 全く悪びれない態度で舌を出しておどける妹に、仕方の無い子だと微苦笑を浮かべ性別不詳の美貌の主――クリフ・ケイは緩やかに伸ばされた髪を色めいた仕草で掻き揚げた。

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 黒のスフィクスとして、人類の福音として、『新天地計画』(プロジェクト・ホーム)の最重要人物として――人類最古にて初のスフィクス成功例、レイン・シルエッティール特佐と同等の立場にある『アーヤ』の保護に向かったブルーは、リヴァイアスの意思を具現する少年の、手折れそうな程に細い腰に、華奢な肩のラインに、抱き締めた背中の薄さに、眩暈のようなものを感じていた。
「…あっ…、あ、ああ、あのっ……」
 困惑し切った声が弱々しく響くばかりで、当のスフィクスに抵抗の気配は無く、そのことが逆にブルーへ余裕と冷静さを取り戻させる切欠となった。
「…申し訳ありません、…」
 人の世へ執着を抱かぬ性質の青年にしては珍しく、強く後ろ髪引かれる思いで両腕の拘束を解く――と、あからさまにホッとした様子で胸を撫で下ろす幼いスフィクスにザワ、と胸の奥が騒いだ。
「…大変失礼しました。アーヤ様、お怪我はございませんか?」
「あ、え、えと、はい。だ、大丈夫デス」
 突然肺が潰れそうな勢いで抱き締められて、隙間も無く密着した胸から力強い鼓動が伝わり、『生きている』そんな些細な"当たり前"が酷く喜ばしくて、彼らの未来を守れる事実が誇らしくて、女々しく涙なんて流してしまった自分が恥ずかしくて――境界を失って入り混じる感情に翻弄されるアーヤはブルーの質問にぎこちなく答えた。
「畏まりました。それでは、参りましょう」
 颯爽と立ち上がった二面性の蒼を纏う青年からキレイな手を差し伸べられて、こんな大層な扱いを受けていいものだろうかと惑いながらも、アーヤは恐る恐る自身の成長を止めた手を重ねた。
(……うわ、手の大きさ…全然違う……)
 リヴァイアスを監視という名目で支配した少年――王者エアーズ・ブルーは周囲の少年等に比べて身体的に早熟であった。俊敏さ最大の武器とするマーシャル・アーツの遣い手だけあり、大人顔負けの長身は縦にひょろ長いだけの虚仮威し(こけおどし)では無く、硬く鍛えられていた。
 それでも、当時の彼はまだ『子ども』だったが。
 今、この場に在る人物は、色々な意味で『大人』に見えた。
(……ちょっと、悔しい…かも )
 出所詳細一切不明な対抗心に、アーヤはぎゅ、と心臓を鷲掴みされたような痛みを感じた。

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 過去のリヴァイアスを模した仮想世界――と予測される――は細部に至るまで再現されていた。生々しい閉塞感や鬱積した廃退の空気までもが当時のままに迫り、嫌が応にも記憶は揺さぶられる。十四歳、なんて丁度中途半端な年頃だ。子ども、として扱うには肉体的にも精神的にも不相応で、かと言って完全に大人として接してしまうには、彼らは余りにも未熟で不安定だ。
 その危うさに、本人達が一番気付けないのが最大の問題なのだろうが――…、
「……ふーん」
「なんだ」
 ブリッジへ向かう道すがら、周囲の――興味本位であったり、敵意であったり、色に染まるもの――視線を受けながら、イクミは意味深に鼻を鳴らした。半歩先を行く祐希がそれを聞き咎めて、肩越しに部下の様子を窺う。
「いやー、なんかこう感慨深いものがあるなぁ、って」
「…ロクな思い出なんかねーだろ、ンなトコ」
「まー、そりゃねー。でも、こうしてると、やっぱりあの時とは色々と違うなーって」
「あ?」
 副官を務める男の突拍子の無い主張や独特の感性には随分慣れたが、感覚だけの物言いを即座に理解出来るスキルは持ち合わせていない。当然、今後一切持ち合わせるつもりもなく。どういう意味なのかと短く問い返せば、何がそんなに楽しいのか鼻歌でも歌いだしそうな上機嫌で、二年の軍生活で見事に卑猥な方向に成長した腐れ縁の友人は、例えばね、と謎かけのような口振りで話を振った。
「"今"の俺達が事件に巻き込まれたとして、まず最初にすることは?」
「…なんだそりゃ」
「いいからいいから、答えて答えてー」
「ったく、…そうだな。
 ――…動力と通信、物資の確認。
 通信が生きていれば政府軍へ救援信号を、テロリストの誤報は致命的だからな。
 万が一、情報操作が掛るようなら、
 ……穏健派が多い木星圏の衛星都市へ向かうのが最善――、か?」
「うんうん、そーだね。俺も大筋そんなトコだよ。
 遊佐さんとか、朔原さんとか、コネ持ってる人へ直接通信掛けてみるとかね」
「で、それがどーした」
「四年前の俺達にはそういう選択肢は無かったでしょ?」
「ガキだったからな」
「あははー、そーなんだけど、うん。
 成長したなぁ、っての? そういう時の流れをしみじみ感じちゃってさー」
「テメェは何処の年寄りだ…」
「まーまー、それにほら、こういう声とか? あの時の俺は気付かなかったなーと思って」
「声?」
「うん、声」
 言われて壱型機動部隊を統率する若き軍属は暫し周囲に耳を澄ます。すると、確かに副官の指摘通り、様々な感情が『声』という媒体を通して辺り一帯に満ちていた。

 ――カッコイイよね、あの二人。
 ――クソ、いい気になりやがって…!
 ――やだー、アタシ抱かれたい!
 ――ヒーローだ! アイツ等は俺達のヒーローだぜ!
 ――いつか、ボコボコにしてやる。
 ――クソッ、クソッ、クソッ、クソッ……。
 ――ね、ちょっとさー、危険な香りがたまんなーい。

「………」
 ブリッジへ向かう二人組の青年――、VGを操舵し四百余名の生徒の命を救う彼等は、リヴァイアスで名を知らぬ者のない有名人だ。主艦を護る戦闘の様が誇張され艦内に広まり、彼等の活躍はちょっとした英雄譚となっている。その影響から、女生徒は勿論男子生徒からも憧憬の眼差しを受けている。勿論男子の何割かは、嫉妬や羨望混じりものを送りつけてくるのだが。
「なんかさー、こういうのいいよねぇ?」
「…お前…、マジで精神科で診てもらえ」
「えー? 違うって、祐希君。誤解だって。
 ほらさー、オトナになると、こういう剥き出しの感情に接しなくなるじゃん?
 如何にも青春真っ只中十代少年少女の欲望の迸りって感じがして、ワクワクしない?」
「………」
「ちょーっと楽しみなんだよねー。
 誰か、喧嘩売ってきたりしないかなー♪」
 良くも悪くも、十八歳の余裕というやつなのだろう。自分達を取り巻く世界が『仮想』という気楽さも相まって、先行きの見えぬ現状に対しイクミは非常に肯定的だった。優秀だが性質(タチ)の悪い片腕の処世術のひとつでもある楽観主義は、時と場合と上官の機嫌を弁えずに如何無く発揮されていた。
「俺に釘を刺しておいて、テメェは暴れるつもりかよ?」
「えー? だって、降りかかる火の粉は払わないと。自己防衛だよ、自己防衛。ね?
 それにさ、よーく考えたらココって仮想(バーチャル)なんだしさー。
 現実(ホント)だと、とても出来ないよーな事してもオッケーだと思わないかい、祐希君?」
「…お前が言うと洒落にならねーンだよ」
 テロリスト潜伏の情報から政府が幾度も制圧の武力を向けたヴァイア艦の中には、不幸な事故から消息不明となっていた十代半ばの少年少女等が身を寄せ合い生き延びていた――という衝撃的かつ残酷な報道に全世界が震撼したのは、既に四年も前の出来事になる。
 一時は宇宙進出に於ける子どもの安全性だの、実施訓練に年齢制限を設けるべきだの、政府軍の情報管理体制に問題が無かったかだの、毎日のように実の無い関連ニュースが流れていたものだったが、今となってはその凄惨さと共に人々の記憶から忘れ去られつつある。
 しかし、当事者である子ども達にとっては生涯忘れえぬ強烈な体験であり、それも、事件の核心に限りなく近い場所で迷走する艦(ふね)の行方を見続けた祐希にとっては、事件の後期、暴走した『尾瀬イクミ』の狂気に血走った姿は今を以てしても強く脳裏に焼き付いている。
 普段は人懐っこく愛嬌を振り撒いている副官が、時折冗談に交えて不穏な台詞を吐く度に、上官にあたる青年は薄い不安を駆り立てられていた。威嚇と警告、両の意を込めて睨みを利かせれば、ニッコリと嬉しそうに微笑まれて毒気を抜かれる。
「だーいじょーぶ、だいじょーぶ。そんなヤバイ事はしないって」
「信用出来ねーンだよ」
「やだなー、信頼関係は大事だよー?」
 ブリッジが近づくにつれ、仮想世界へ放り込まれた青年達の周囲を行き来する生徒の数は増えていた。未成熟ながらも一つの組織体系を構築する黒の王国に於いて、その内政・経済・防衛の中心に人通りが集中するのは当然の流れであり、そして子ども達の艦(ふね)を護る最大の矛であるVG(ヴァイタル・ガーター)のパイロットとして一躍有名となった相葉や尾瀬の生の姿を一目見ようと騒ぐ人間が増えるのも、自然の成り行きだった。
 こんなモノまで逐一忠実に再現してみせる例の生意気な小僧の顔を思い出し、他人の評価に興味も欠片すら持ち合わせない、徹底した無関心ぶりの軍属はウンザリと長く息を吐き出した――、と同時に 『それ』 を視界の端へ捉えた、瞬間、利き足は床を蹴り出していた!

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「くそッ! なんだってんだ、アイツは!」
 シュン、と押し出される空気圧と共につい先刻ブリッジを後にしたフーが、忌々しげに舌打ちながら戻ってきた。何があったのだろうかと気を揉むツヴァイの面々を余所に、ブリッジを監視する仲間の傍へ近付くと、目端と機転の効く妖艶美女クリフ・ケイへ当たり散らすかのように怒鳴り込んだ。
「おい! 今出せる男手はどれくらいだ!」
「えぇ? どうしたのさ、急に。アンタ、艦の見回りに行ったんじゃなかったのかい?」
「ああ、行ったさ! それで問題を見つけたから戻って来た! 文句あるか!」
「文句なんて無いけどさァ、ちゃんと事情を説明してくんなきゃ、コッチだって対処に困るわよ」
「そっ…、――…クソッ!!」
 詐欺師としての天腑の才で犯罪者の楽園と貶められる土星圏で生き延びてきたフーは、らしくなく口で言い包められる。騙し合い、化かし合いを生業(なりわい)としていても、やも女性の痛烈な正論には太刀打ち出来ぬという現状が、何処か微笑ましくすらあった。
「何か問題でもありましたか?」
 ブルー派の人間である二人の遣り取りが一瞬途切れた間を読み、暫定艦長の立場にある朔原がそっと口を挟んだ。仮想の空間、一時的な役割とはいえ『艦長』である自分へ報告を怠るとは何事かと、灰のゲシュペントに於いて艦長を務める貫録から滲み出る威厳に気圧され、フーは不貞腐れながらも状況説明を行った。
「…チッ、どーしたもこーしたもねーよ!
 ブルーと相葉のヤツが通路でやり合ってンだよ。
 相葉のヤツが一方的に殴り掛かったって話だけどよ…、
 とても手ェ出せるような状況じゃなくて――…、 って、へ!?」
「案内して下さい」
 ぐい、と腕を掴まれ、間近に迫った紫闇の双眸に宿る光の強さにフーは気圧された。
「…あ、案内って、アンタが行ってどうするってんだよ」
 幾ら朔原が軍属を名乗る大人とは言え、柔和な物腰や温和な性格から、到底荒事の解決に向いているとは思えず、ブルー政権の2に収まる少年は掴まれた腕を振り払おうとした――…が、
「……ッ、って、痛いって、ちょッ…!! イッ、ッテぇ!! こ、のっ…、放せよ!!」
 骨が軋む程の力を生腕に受けて、思わず許しを乞うそれに似た泣き声を上げてしまった。
「案内して頂けますか?」
 一部を暴力に訴えているというのに、その口調も態度も浮かべる笑顔でさえ、優雅に紳士的。その一方で、掴んだ腕へは容赦なく圧が掛けられてゆく。
「わ、分かった! 分かったから、は、…放せよ!!」
 堪らず叫ばれた承諾の意に、朔原は満足そうに頷いて偽計に長けた少年を苦痛から解放した。

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 十代の子ども達だけで、更に限られた物資の中を、常に死と隣り合わせながら生き抜く過酷。
 広大な宇宙を漂流するリヴァイアスの秩序は、一触即発の緊張の中で危うい均衡を保っていた。
 ひとつ掛け違えれば、四百余命の生徒が集団パニックを引き起こし、自滅への一途を辿る可能性すらある。そんな異常なストレスと緊張を強いられる極限状態に於いて、生への渇望から人間の深層意識は凶暴性を増す。平時には暴力と全く無縁に見える者であっても、血の粛清や種の淘汰に興奮を覚えてしまうのだ。
 よって――、蒼き王者と猛き虎児の一戦に対する艦内の異様な盛り上がり、致し方ない現象だった。血気盛んな反面、判断力の低い十代の観衆ともなれば、特に場の雰囲気に酔い流されてしまう。何時の間にか物資ポイントを賭けての、非合法トトカルチョまで始まっているのには、流石に驚かされるが。
 右へ左へ、崩した態勢から後ろ蹴りへ繋げて、更に上半身を捻って肘をキメようとする祐希の一連の体技を、マーシャルアーツの達人であるブルーは危なげなく見切っていた。しかし、四年前とは違い完全に相手を捻じ伏せるには至らず、今一歩、手を打ちかねているという様子だ。
「…どーしたもんかねー、ホント」
 そんな二人の肉薄した格闘戦を、野次馬の群れに紛れながらのんびり観賞するのは、政府軍におけるヴァイア艦戦闘部隊の代名詞とも言える壱型機動部隊の副官だ。周囲の生徒達には彼等は『少年』と認識されているが、肩近くまで緩く伸ばされた灰褐色の髪を指先で弄ぶ姿にすら仄かな色香を感じさせる青年には、キッチリ四年後――つまり現時点の実年齢に即した姿として見えていた。そう――…、かつての黒の王国にて強権を発動しながら、クーデターにより王の座から追われた経歴の持ち主である彼の人物でさえも、だ。
「しっかし、かっこよくなっちゃってまー。短髪に黒スーツとか、伊達オトコ過ぎてびっくりだわ。
 てか、アレで十七歳とか反則過ぎると思うんだけど、……どー思う?」
「………、ぅ、そ、その」
「うん? どーかした?」
「あ、あの。は、放して貰えませんか…?」

 そう。

 ヴァイア艦における最大の防衛システム――通称Vシステム――の花形部署であるVF(ヴァルキリー・フラット)パイロット部隊の副官である尾瀬イクミ、そしてかつての親友でもある青年に背中から抱すくめられる格好に、福音として人類に生涯を捧げる愛らしい少年は、いっそ哀れな程に間誤付(まごつ)いていた。
「それは、ダーメ」
「……ッ」
 意図的なのか無意識なのか、耳許に直接吹き込まれる抑えた声が、湿度を伴った吐息が、その度に昴治の背中に悪寒にも似た電流を奔らせ、幼い性感を舐(ねぶ)ってゆく。
「だって、王様に『護れ』って言われたし、ね?」
 ぎゅ、と腕の力を強められ、昴治は頭の天辺から足の爪先までを緊張で硬くした。イヤ、なのではなく、ひたすら恥ずかしかった。消えて無くなりたい程だ。顔が見えないのがせめてもの救いだが、『あの』イクミに密着されているかと思うと、自然と頬が熱くなってくる。
「それに、君は『アーヤ』君でしょ?」
「――…、え」
 人類の歴史を根絶寸前にまで追い詰めた未曾有の大災害・第三世界大災害(カラミティ・ノヴァ)の影響は地球だけで無く、太陽系全体の生態に多大な影響を齎した。それは様々な形で自然や生物に顕れたが、人間の体内色素の変化・変貌もそのひとつだった。
 元々、人類には大きく区分して金髪(ブロンド)・茶髪(ブルーネット)・黒髪(ノワール)の三つであり、加齢やストレス等の外的要因で白や銀の色合いを生ずる事はあっても、災害(ノヴァ)後の蒼や緑、茶髪の比喩以外の赤毛といった彩色を創造主から施されてはいなかったのだ。
 特に――"青味掛った"髪質ではなく、純粋の蒼というのは稀有な色調だった。
 エアーズ・ブルー。
 名は体を表すと昔からの格言通り、かつて蒼の王者と讃嘆された人物の、彼しか持ち得ない一際目を惹く清艶のアズライト――…、を視界の端にした瞬間に二年の間に溜め込んだフラストレーションが爆発したらしく、イクミの上官にあたる年下の青年は一方的に襲いかかった。
 拳を振り上げた相手が四年前の姿では無い事など、この際二の次。――寧ろ好都合、らしく。
 突然の襲撃に虚を突かれた形となったブルーは、何よりも優先される存在を咄嗟にイクミへと突き飛ばし、護れ、と言い置いて、止むを得ず祐希と遣り合っている最中――という状況だ。
「そ、そうですけど…。どうして――…?」
 振り返ろうと首を捩じるが、そうすると離れていた二年の間に予想だにしなかった成長を果たした親友の、破壊力抜群の顔貌とマトモに向き合う羽目になると気付き、昴治は不自然な角度で動きを止めてしまった。
「んー? そりゃまぁ、元々俺達はアーヤ君の護衛に呼ばれたんだし。
 …にしても、細ッこいねー。ちゃんとご飯食べてる? アバラとか浮いてそうだよね?」
「わっ、わわ、…ちょっ…、」
 『戦闘』を生業とする部隊を纏める副官でありながら、イクミとて充分細身の身体つきではあったが、ヴァイアの器として人としての肉体をスフィクス化させた少年のそれは、同世代の生徒達より一回りか――ヘタをすれば二回り程も体格差があるように見受けられて、背中のラインや脇腹、内腿などを骨格を辿るようにしてイクミは撫であげた。
(どっ、どこ触ってるんだよッ、イクミのバカ〜!!)
 スキンシップという名のセクハラを行う親友の、洒落たクロコ柄の靴の爪先を存分に踏み付けたい衝動に駆られる昴治だが、黒のスフィクスである『アーヤ』とHF実行部所属『尾瀬上級中尉』の立場がそれを許さず、一人でヤキモキするばかりだ。
「あ、あのッ、放して下さいっ」
 白熱してゆく王者と挑戦者との戦いが生徒達の注目を集めているお陰で、何とか事無きを得ているが――。凄惨を極めた過去のリヴァイアスにて、辛酸の日々を強制された少年達の目に映るであろう自分達の姿を想像して、羞恥に焼け焦げながら昴治はジタバタと暴れた。
「こーら、じっとしてる」
 しかし、非力な子どもの必死の抵抗は、いとも簡単に抑え込まれてしまう。
「……ほ、ホントに放して…っ」
「だーめだってば」
「俺なら大丈夫ですから…!」
「大丈夫じゃないでしょー? こわーいお兄さん達が暴れてるんだよ?」
「…それは…! 暴れてます、けど… 」
 黒の意思を司る『アーヤ』を護衛する軍属の言い分は尤もだった。興奮の余り前に出過ぎた観衆の一部は二人の攻防に巻き込まれ、軽微な人的被害を受けていた。比較的安全な距離を保っているとはいえ、用心するに越したことは無いとのイクミの判断は正しいと言える。
「…喧嘩が終わったら。
 ……出来るだけすぐに放して下さい…ね」
 解放するどころか譲歩の気配すら無いかつての親友の様子に、昴治は困り果てながら妥協ラインギリギリで交渉した。
 漸く抵抗を止め可愛らしくも大人しく腕に収まる黒のスフィクスに、護衛の立場にある青年は何故か胸の奥底から湧き上がる歓喜に酔い痴れ、閨の睦言に似た甘美な囁きを無意識の内に少年の耳許へ吹き込んでいた。

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2009/08/20 初稿



公演ホールへ