アナタって、暴力的よね。

 愛情が、よ。

 そんな風にしか表現できないでしょ?

 でもね。

 そんなんじゃ誰も、近づけないわ。

 そうね。

 まるで、アナタって――…


暴君




 もう、今となっては顔も名前も思い出さない女の吐き捨てた言葉だ。

「愛しき暴君って感じよね、祐希って」
「んだよ、それ」
「言葉通りよ?」
 謎掛けるような、不思議なカレンの表現に、しかし祐希はそれ以上の言及を止めておく。
 とらえどころのない彼女は、年齢より随分物事の見方が達観しており。噛みついても、するりとかわされる。祐希の最も苦手とするタイプの女だ。
「……ふん」
 集団生活より孤立する、いや、集団心理の暴走の危険性を危惧し、あえて独立したカレンのテントに、リンチにあう兄を運んできたのは他に安全な場所が思いつかなかったからだ。
 決まった部屋割りもしてあるが、ロックも扉すらない粗末な布で遮っただけのコンテナの中のような、あの部屋とも呼べない場所へ運び込むのは躊躇された。
  「んー、お兄ちゃん前にも暴力を受けてるんじゃないかしら」
 カレンが簡易な寝床にぐったりと仰向ける昴治の手当をしながら、小さく唸った。
「……俺が殴った後じゃねーのか?…」
 身の覚えのある暴力弟くんが、少し居心地悪げに自己申告する。が、カレンは軽く首を横にふった。
「だって祐希、ここ数日、お兄さんを殴ったりした?
 それに、これは…一人にやられた後じゃないわよ。………ヒドイ、火傷の後まである……」
 ロクに手当もされていない傷跡は、成る程、カレンが非難する程あって酷い有様だった。
 慌てて火傷の塗りクスリを荷物から取り出す少女に、祐希は少々驚いてみせた。
「………随分、用意がいいな?」
「当然よ。ちょっとしたお小遣い稼ぎってやつ。報酬として必需品とかね。物品交換したの。  こういうのって必要でしょ? 今の状況じゃ、医務室にいっても何にもないし。下手に動くだけ危険よ」
 サバイバル慣れしているというのか、危機的状況における行動が実に見事な少女は手早く手当を済ましてしまう。
 後は、目を覚ますのを待つだけよね? という言葉を耳にして、何故か安心した。
「世話になったな…」
 そんな言葉も、自然に出た。
「いいのよ、気にしないで。ね、それよりも、モノは相談なんだけどね?」
「…ンだよ?」
 暴行を受けて気を失う昴治を気遣って、声を詰めるカレンは何事かを申し出てくる。
「お兄さんなんだけど、あ、あおいさんもよね。VIPルームの方へ移動させられないかしら?」
「………?」
 何故、そんなことを、と。
 声に出さずとも、表情で読みとる少女は、憤慨した面もちでニブチンなエースパイロットを叱咤した。
「なーに、変な顔してるのよ。いい? お兄さんの、この状態をみて、なーんにも思わないわけ?」
「ンなの、このバカ兄貴が分もわきまえずに、いろんな事に首ツッこむからだろ」
 あくまで俺は関係ない、と、ツッ張ねる強情な弟くんに、カレンは呆れた、と溜息をついた。
「尾瀬は暴走しちゃってるし、仕方がないけど……。祐希まで気が付かないなんて、お兄さんが可哀想よね」
「っ、どういう意味だよ!?」
「ほら、ダメよっ! しーっ。」
   カレンが、めっ、といった表情で祐希を咎めた。
 幸い、昴治は軽い昏睡状態に陥っているようで、目覚める気配はなかった。
「ん、もぉ。しょーがないんだから、ホント。お兄さん起きちゃうでしょっ。
 それからね。祐希とか尾瀬とか、ま、一応アタシもだけど。今のリヴァイアスの覇者でしょ? よく思わない人間だって沢山いるわ。その中で、お兄さんに当てつけようと考えるバカがいたって不思議じゃないでしょ」
「………!」
「自覚した? お兄さん、アナタとか尾瀬の所為で、身に覚えのない恨みを買ってるのよね。自分たちは十分な自衛手段もあって、安全な場所にいて、お兄さんだけ危険な場所にほうっておくってのは、どうかと思うんだけど?」

 正論かつ的確な少女の言葉は、一つ一つに説得力が満ちている。

「なら、ガーディアンズに艦内の治安維持を徹底させりゃいいだろ」
「ダ・メ・よ。祐希、わかってて言ってるでしょ?
 ガーデシアンズも結局人の集まりよ、他人だわ。信頼に足るなんて自分でも思ってもいないくせに、白々しいんだから」
 見透かされて、頭に血が昇りかる祐希だ。
 しかし、聡明な少女は祐希が何事かを口にする前に、話題をすり替えてしまう。
「ともかく、VIPルームのコトちゃんと考えておいてね? 尾瀬くんには今何を言っても無駄って感じだし、祐希しかいないのよ」
「……なら、テメェがやれよ。いちいち口出しやがって」
「なーに言い出すのやら、本当に。お兄さんやおあいさんのこと全部アタシに任せるわけ? そういうのって責任放棄っていわないかしらね」
「――…ッせェ! くそっ、俺が何とかすりゃいいんだろ!?」
 半ば自棄美味な返事にも、にっこりとカレンは満足そうに微笑んだ。
「そ♪ 祐希がなんとかすればいいのよv けど、穏便にね」
「………指図してんじゃねェよ…!」
「はいはい、わかったからとりあえず食料調達してきてもらえない? 果物の缶詰とかがいいんだけど」
「はぁ? まだあるだろ」
「ぶぶーっ、お兄さんの分よ。ほら、触ってみてよ」
「ッ! ……なにすっ…!? !!」
 意外に力の強い少女は同朋の手をとって、ぐったりとしたままの兄の腕を掴むようにした。
 一瞬抵抗を示した裕希ではあったが、カレンの思うところを汲み取ってされるがままになる。
「細いでしょ。ポイントは十分みたいだし、食べ物が喉を通らないんじゃないかしらね。精神的に参ってるのよ、相当、ね。艦内の治安が悪くなってるものあるけど、それに加えて八つ当たりまでされるんだもの。
 普通のものは、なかなか食べにくいし果物ならって思ったのよ。それに自分じゃちょっと変えにくいでしょ、そういう嗜好品みたいなものって」
「……………………」
「ホント、お兄さんって裕希と正反対よね。苦労性で繊細だし、かわいいし? ほんっと、肌とか白い……」
「……………………」
「恨めしいくらい…ホントに。アタシなんかより、ずーっと可愛い…って、聞いてる? お兄さんのお手手握ってほけーってしてる場合じゃないのよ?」
「! だっ、誰がッ!! 缶詰だよな、とってくりゃいいんだろ!」
 慌てて兄の腕を放り出し、行動パターンの読みやすい素直な青少年はテントから出ていってしまう。
「照れなくていいのに……じゅーんじょう」
 その背中へ向けて、カレンがぼそりと呟いた言葉は、本人耳にしていたならムキになって訂正させたであろう痛恨の一言であった。


 ツヴァイから、エアーズ・ブルーへ。ブルーからユイリィ・バハナへ。
 深淵の宇宙を迷走するリヴァイアスの政権は、短い逃亡の中で次々とその権力者を変化させていった。
 そして今現在、星の海を惑う小さき国家の君主たるのは尾瀬。尾瀬イクミと、パイロット仲間である相葉裕希だ。VGのメインパイロットはもう一人、金の髪の少女がいるが、彼女は徹底して表舞台に姿を見せないので、実質はこの二人にリヴァイアスの覇権が握られていることになる。
 物資倉庫へ向かいながら、裕希は軽くため息をついた。
(……細かったな、腕)
 ひたりと歩みをとめ、通路の端で立ち尽くす少年を、通行人の幾人かは不信気にしている。
(元から食べる量とか少ないし……、今、全然食べてないんじゃないのかよ、あの馬鹿兄貴…)
 パイロット仲間である少女に半ば強制的に触れさせられた兄の腕は、もはや骨と筋の感触が強かった。外観で、そう痩せているようには見えないのも問題なのだろう。本人すら無自覚のまま衰弱が激しくなっているようだ。
 言いようの無い不安が、足元から無数の虫のようにせり上がり、祐希は荒く歩き出した。
 関係ない。
 そうだ、あの目障りな兄がどうなろうと知ったことではない。
 いっそ、消えて無くなってくれればいいのに――……!
『………だよ、……相葉…………』
『…………昴治、おそ………、な………』

 ――……?

 物資倉庫のある区画は人気もない寂れた場所だ。そこに至って、VGのエース・パイロットの耳に、数人の囁きが届いた。
 その言葉に、兄の名前を見つけて、祐希は何事かと息を潜め足音を忍ばせて、声のほうへ近づいてみる。
 そこには、世辞にも品が良いとは言えない人相の人間が集まって、何やらむさくるしく顔を寄せ合ってよからぬ企てをしているようだった。
『………で、だし………』
(くそ、聞こえねェな……。何言ってやがる……)
 エネルギー供給も極限におかれているリヴァイアスにおいて、人気のないブロックの照明は薄暗く、残念ながら集団のメンバーの顔を確認することもかなわない。
 おかげで相手に気づかれること無く、すぐ傍まで距離を詰めることができるのだが。
 十分に近づいて耳をそばだてれば、微かながらも会話の中身が聞き取れた。
「ムカつくよな…、あの相葉の野郎」
「ああ、弟だろ。尾瀬のヤツとツルんで好き勝手しやがって、結局あいつらだって、いざとなったら俺等見捨てンだ」
「そうだぜ。って、弟ってなんだよ。あいつ兄弟いンのか?」
「なに、お前知らねーの? 相葉昴治」
「知らねーわけ、ないだろっ。俺、ファンクラブだぜ!」
「甘いねー、お前。まだファン歴短いだろ。あの相葉兄弟っていえば、有名だぜ?」
「げ! じゃ、あの相葉って相葉昴治の弟かよ!?」
「似てねーしな、わからないのも当然だろうなー」
 どうやら単なる陰口に過ぎないらしい。が、そこには何やら聞き逃せない単語が含まれていた。
 ファンクラブとか、なんとか。
 しかも、自分の実の兄。血の繋がった肉親である兄の、らしいそれ。
(ンだよ、それ……。冗談じゃねーのか……?)
 日和見主義の事勿れ主義で、ドンくさくてトロくさいあの兄にファンクラブなどと、目から鱗が落ちたような気分だ。
 どうにも得心いきがたく、兄の取り柄など何があっただろうかと思い浮かべる祐希の耳には、その疑問を晴らす言葉が届いた。
「兄はあんなにカワイイのになぁ?」
「細いし、白いし、ほんわかした笑顔がまたいいんだよな〜」
「ちょっと照れた顔とか、困ったときとかもだろ」
「小動物ぽいよな」
「わかるわかる、こう、かいぐりたくなるんだよなっ」
 兄=かわいい。
 祐希の理解の範疇を既に遠く超えた宇宙的会話が繰り広げられる。
(こっ、コイツ等、何言って………)
 祐希くんの混乱は横にさておいて、会話はまだまだ続いている。
「ソッチ経験ゼロっぽくよな〜」
「公式情報じゃ、今の女ともまだらしいけどな。けど、知ってるか、今の女ヤバイらしいぜ」
「ヤバイ? 見た目はそこそこじゃねーか、性格もおとなしそうだし」
「あー、そこそこ。そこに騙されるんだよなぁ。あの女、相当自己流宗教に熱上げてて、自作の神様に祈りをささげて、自分の言葉を神様のお告げとかいって話して回るらしいぜ」
「うーわー、それヤバイわ」
「イッちゃてんなー」
 兄の、一応『彼女』というステータスにいる少女への悪い噂に、祐希は興味を示した。
「とりまきも作ってるみたいだしな、なんであんなのがイイんだか」
「まだ、本性知らないんじゃねーのか?」
「魔女だぜ、魔女。引き剥がしたいけど、下手に手ェだせねーよな。マジで」
「遠目に見守るしかねぇって?」
 だが、意気消沈してみせる面々の中で、一人がトンデモナイ提案をしてきた。
「そんな消極的でどうするよ!? 相手は、魔女だぜ! もうとっくに食われてるんじゃねーのか?」
「………否定できねーな」
「てか、ありうる」
「けど、本人が選んでるんだから、ファン倶楽部としてはなぁ〜」
「辛いよな、ホント」
「バカ! そこで引き下がってどうするよ!! こんな状況だぜ、明日俺ら死ぬかもしれないんだぜ!?」
 あまりにも核心をつく言葉に、重たい沈黙が流れる。
「………わかってるって、いまさら口にするなよ。気が滅入るだろ」
「なんで俺たち、こんなトコ居るのかな」
「止めろよ、考えたくねェ……」
「考えるんだよ! 俺ら、明日の保証だってないんだ!! 俺は後悔したくねぇ、やるぜ!!」
「やる、って、……なにをだよ?」
「決まってるだろ、ヤッちまうんだよ」
「! って、相葉昴治かよ、まさか?」
「こんな状況だぜ、道徳とか考えてる場合かよ。ヤッたもん勝ちだろ!」
(何だ……?)
 不穏な会話の内容だが、具体的にどういった暴挙に出るのかが判断つかずに祐希は更に耳を澄ませた。
「けど、ヤバイって! それ、犯罪だろ!!」
「お、俺………、けど、やってみてぇかも」
「レイプか…、たまんねーな。バックだって、いつまで処女ともかぎらねぇし……」
「お、おい!?」
「ヤラねーなら、お前は来ンなよ。俺はヤるぜ!!」
「俺もだ! このまま黙って死ぬなんてゴメンだぜ!」
 次々と名乗りをあげるバカ共を掛け声を前に、相葉祐希は、すっかり真っ白くなっていた。
 向こう見ずで喧嘩っ早く、怖いもの知らずのエースパイロットではあるが、その実裏社会の常識には疎い面がある。
(………………レ、イプ。兄貴、を? じょ、!? は? え?)
 年上面をして怒った表情で説教を垂れてくる兄。
 大勢の人々の中で、ただ凡庸と存在を消している兄。
 この手に抑えつけられて、苦しげに喘ぐ兄。
「ッ!!」
 途端に、カーッと頭に血が昇った。
 自覚する間もなく、何事かを叫び飛び出して行く自分がいる。
「おい!! 今の話、どういうことだ!!?」
「げ! 相葉祐希!?」
「ズラかるぜ、おい!!」
「! 待ちやがれッ!! ざ、っけんなよ、テメェ等!!」
 冷静さを欠いた少年に、散り散りになって駆け出す狼藉者を捕縛する能力が十分に備わるはずもなく。
 結局は一人として捕らえられずに、祐希は悔しげに唸って、歯噛みしたのだった。

   

 果物の缶詰を三個ほど、小脇に抱えて帰ってきた同僚の姿にカレンは微笑みかけた。
「あ、お帰り? 遅かったんじゃない、何かあった?」
 女性特有の粘着質さが全く感じられない少女の言葉は、裏を考えずにいられる分、楽だ。
 別に、と答えれば。そう? とだけの、一見、素っ気無いやり取りも、気に入っている。
 今まで付き合ってきたどんな女よりも、女らしくなく、かつ利用価値の高い彼女は、優秀なパイロットでもある。
「………持ってきたぜ」
「はい、アリガト。桃とみかんと……、あ、チェリー。開けていい?」
「…兄貴のじゃねぇのかよ……」
「いいじゃない、少しくらい。それに、お兄さんには、ここで食べてもらうから。それで、おっけ?」
「………勝手にしろ」
 缶切を使って封を切ると、蜜漬けにされたチェリー独特の甘い芳香がテントに充満した。
 何がそれほど嬉しいのか、上機嫌でチェリーをつまんでいるカレンを横目に、甘ったるい空気の中、祐希は先ほどの一件からどうしても兄の様子をチラチラと伺ってしまう。
「? なに? お兄さんなら、大丈夫よ。気になることでもあった?」
 案の定、目ざとい金髪の少女に指摘されて、祐希はぶっきらぼうな対応をした。
「……ンでもねぇ」
「なんでもない、ってカオじゃないわよ? 気になることあるんじゃない? アタシ、席外したほうがいいなら、そうするケド?」
 非常に物事への観察眼が鋭い少女の提案を、しかし祐希は乱暴に断った。
「いいって言ってンだろ!!」
「ん? そう?」
 軽く肩をすくめて降参ポーズを取るカレンは、赤く熟した木の実の表面の蜜を舐めあげ、ぱくりと頬張る。
「ね。お兄さんのこと、考えた?」
「……兄貴がいいって言わねーだろ、ンなの。強情なんだよ、兄貴」
「へぇ、そうなんだ。いっがーい、素直そうなのに?」
「全然、逆に頑固だぜ」
「ふぅん、……やっぱ兄弟よねぇ? 詳しいんだ?」
 軽く野次れば、十何年も同じ屋根の下で暮らしてりゃ当然だろ、と素っ気無い返事でかわされてしまい不満を感じるカレンだ。
「………ツマンナイの」
 ぼそりと呟けば、胡散臭そうに見やってくる天邪鬼少年。
「なんだよ」
「別に?」
「…………」
 この同僚の少女はどうにも不得手だ。祐希は口を噤んで会話を断ち切った。
 が、しかし構わずカレンは小難しい顔をしてみせて、兄についての心配を更に言い募った。
「でもね…、しつこいけど。お兄さんのこと、ちゃんとしといたほうがいいわよ?
 こういう肉体的な暴力も不安なんだけどね、性的な意味合いで暴力行為を受けることだってありうるわよ、今の状況じゃ」
 集団心理に通じているらしい少女の言いように、目を見張るのは優秀なエースパイロット、その人。
「どういう意味だよ…」
 彼女の台詞の中の不穏な単語が、祐希につい今しがたの出来事を思い起こさせた。
 兄、を。
 血の繋がった実の兄に、そう、それこそ乱暴をはたらこうとする計画を己の耳で聞いたばかりなので、バカバカしいと吐き捨てることも叶わない。
「………?」
 そんな常の彼らしからぬ言動がひっかかるカレンだが、これ幸いとばかりに捲し立てる。
「何いってるんだか、お兄さんって人気者なのよ? あまり皆騒がないから祐希が知らなくてもしょうがないけどね。『カワイイ』とか『スキ』とか『マモリタイ』とかね、思ってる人多いのよ?
 ん、ま。こういうのは問題ないんだけど、中には無理やりイイコトしちゃおうか、なーんてお馬鹿さんもいるんだから」
「……兄貴をかよ」
「そう。祐希だって判ってるでしょ? お兄さんの事。一番近くにいたんだもの」
 兄が人気者だという事実をはじめて耳にしたはずのヒネクレ坊主が、何故素直に自分の言葉を受け止めるのかが不思議なカレンだったがとりあえずは話を続ける。詮索は後だ。折角自分の話に聞く耳を傾けている今がチャンスとばかりに、畳み掛ける。
「それとも、愛しき暴君さんは自分のことしか見えないかしら、ね?」
 何処か楽しげな少女の言葉はカラカイを含んでやんわりと響いた。
「カレン」
「!? なに、びっくりした。」
 普段から『オイ』とか『お前』とかしか呼ばれていないだけに、急に名前を呼びつけられて心臓を跳ね上げる少女だ。
「VIPルームについてはなんとかしてみる、兄貴と話すから……」
「あ。うん、おっけ。アタシ、リフト艦にでも行ってるわね。終ったらIDで連絡ちょうだい?」
「……悪い」
「気にしないわよ、それよりちゃんと話さないとダメよ。じゃね」
 カンの鋭い少女は不器用な祐希が言葉を選ぶ前に意図を察して、自らテントを開けてくれた。
 普段はうざったいだけの得意な能力だが、こういうときには有難く感じてしまう。多くを語らずとも全てを把握する彼女は、ある意味天賦の才の持ち主と言えるのだろう。
「………」
 それはともかく、当面の問題は困難を極めた。
「……なんて言えばいいんだよ」
 兄のほうを見ないように背中を向けつつ、祐希は思いあぐねてタメイキを吐いた。
 それもそのはず、VIPルームへ移動しろ、なんて命令口調では兄は動かせない。どころか、却って意固地になってしまうだろうし。あおいを口実に、ついでだからと言って見たところで、俺はいいと断られるのは目に見えている。
 正直に事情を話すなんてのはもっての他、論外だ。
「………はぁ。」
 肩を落として考え込む背中には、どことなく哀愁が漂っていたりする。
「…………ゆうき……?」
「!!? あ・兄貴。気がついたのかよ」
 焦点の定まらない瞳がゆるい覚醒を知らせていた。まだ兄とまっすぐに対面する覚悟すら定まっていなかったため、顔を強張らせる弟だ。
 それでも暴力を受けた体を心配して近寄って具合を聞く。
「平気なのか、カラダ」
「……? すこし。」
「痛むのかよ」
 答える代わりに、弱弱しく頷いてみせる兄だ。
「………無理すんなよ、ここは安全だし。まだ休んどけ」
 常に、毅然と『兄』であろうとする昴治の姿はそこにはなく。それによって、祐希も自然に労わりの言葉が口に出来る。
「…………ありがと」
 寂しげな笑顔がひっかかったが、気がつかないふりをして祐希は他の話題を捜した。
「カレンが、……VGのパイロットの女なんだけど。そいつが、これ、兄貴にってよ」
「………くだもの?」
「アンタ、あんまり食べてないだろ」
「……そう、かな? ……」
「そうだろ、痩せてんじゃねーかッ!? 自覚ねぇのかよ!」
「………あまり、たべらんないし………」
 激しく問い詰めてくる弟に対し、昴治はゆっくりとかぶりをふった。
 その衰弱しきった様子にこれ以上の問答を繰り返すのも憚られ、祐希は一旦心を落ち着かせる。
「これくらいなら食べれるだろ?」
 指したのは、カレンが封を切ったチェリーの缶詰。昴治はありがとう、と柔らかなそれで感謝を述べるのだが、まるで形だけの実の無い言葉にしか思えなかった。
 おそらく実際には、昴治はこの果物たちすらも祐希が望むほどには、口にしないのだろう。
「食べろよ」
 もどかしさから、祐希は缶詰を兄の眼前につきつけた。
 弟の不恰好な優しさを察したのだろうか、昴治は困ったように小首を傾げながらも、それじゃあと上体を起こして差し出されたものを受け取る。
 己の要求が受け入れられたことに胸を撫で下ろしつつ、祐希はようやく本題を持ちかけた。
「あ、のさ。………」
「………なに?」
 昴治は赤く熟したさくらんぼを一杯に詰めこんだ缶詰に視線を固定したまま、祐希へ返事をする。
「仕官部屋、あるだろ。ブリッジがある区画周辺に」
「………? ああ」
 仕官部屋については、かつてブリッジクルーであったために昴治も存在を知ってはいる。
 しかし、それがどうかしたのかと訝しげな兄へ、続く言葉が見つからない。
「あ――…おいを、……移動させてぇんだけど」
「あおいを?」
 本来なら『兄貴』というべきはずが、『あおい』へとすりかわり。己の意気地の無さに、自身でもあきれ果てるほどである。
「…………そか、わかった。いっとくな」
 最悪なことに、勘違いをされたまま事態は進んでいってしまう。
 まさか、仲違い中の弟が自分を擁護しようとする行動をとるなどと、夢にも思わぬ兄は祐希の望みを履き違えて受けとってしまう。
 胸中でいくら激しく否定しようとも、言葉に出来いのなら相手に伝わる道理があるはずもないのだから。
「……ごめん、祐希。横になってもいいか……?」
「! あ、あぁ」
 追い詰められるまで弱音を吐かないという生き方の兄である、ここまで疲労をあからさまにするのは珍しい。おそらくは、相当に痛めつけられているのだろう。
 無理をさせてしまったことに苦い後悔を抱きながら、祐希は兄が寝入るまで無言を通した。
 やがて聞こえる安らかな寝息に、黒髪の少年はそうっと嘆息した。
 そう、結局仕官部屋への移動を兄へと切り出せないままなのだ。最も重要なことを伝えられずに、己の間抜けさに嫌気がさす。
 途方にくれた眼差しを深い眠りにつく兄へと向ければ、痛々しい怪我の様子が目に付いた。
「……俺たちの…俺のせいなのに。……なんにも、言わねェんだよな兄貴」
 恨み言のひとつでもぶつけてくればいいものを、昴治は決して覇者たる少年たちへ、自身へ向けられる理不尽な暴力について訴えてはこないのだ。
「かっこつけやがって……、ムカつく」
 言えばいいのに。
 そうしたのなら、自分は大手を振って兄を保護することが出来るのだ。
 今の状況では、どうしようもないではないか。
(……ンだよ、切ってんじゃねーか)
 唇の朱線を指先で辿ると、それは傷ではなく先ほどのチェリーの蜜がついていたものらしい。
 何事も考えることもなく、祐希は屈みこんでぺろりと舌先でそれを舐めとった。
 ――甘ったるい、と感想を思った瞬間。
 祐希は己の行動の意味に気がついて、我に返ると同時に一気に耳まで赤く染め上げた。
「〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!? ☆▽□β>$■#”&※!!!!?」
 声にならぬというよりは、既に言語ではなくなっている悲鳴を心のうちにあげ、暴走少年は思いっきり後ろへ後ずさった。
(お、お、お、お、お、俺ッ! いまっ!!)


 リフト艦。
 薄暗く肌寒い、おまけに今は人気も無いそこで、パイロットの一人である金の髪の少女が音楽チップを楽しみつつ、上部通路から足をぶらつかせていた。
「祐希、巧くやったかしらね。ほーんと、こまった性格よね」
 相葉祐希の兄に対する反抗ぶりは、少女にしてみれば『好きな女の子にイジワルしてしまう』という例のアレとしか思えない。
 気を引きたいから、自分のほうを見て欲しいから、わざと嫌がることをしてしまうのだ。
「幼稚園児じゃないんだから、そろそろ卒業しないとね。愛情を欲しがるだけのコドモじゃ、他の誰かに盗られちゃうんだから」
 心地よいサウンドに抱かれ、カレンは一人ごちた。
 と、チップが切れて少女は不機嫌な顔をする。
「あん、終っちゃった。今、どれくらい経ったのかしら」
 IDカードを確認すれば、そろそろ一時間になる。順当にいけば、話しは終っていてもいいはずだ。
「…ん〜、そろそろいいカナ?」
 カレンはカードのコール機能を呼び出し、祐希の認識番号を入力すると返事を待った。
 意外にもコールの二回目で呼び出しに応じるという素早い対応で、祐希はIDカードに妙に焦った顔を覗かせた。
『………ンだよ』
「話、終ったかなって思ってネ? 音楽チップも切れたし……、? 祐希、顔赤いよ?」
『! るせぇ、黙ってろ! とっとと戻って来い!!』
「あれ、いいんだ? お兄さんとお話ついた?」
『…………』
 どうやら巧く事が運ばなかったようである。
「もぉ、不貞腐れた顔しちゃって。ちゃんと話してないの?」
『ウッセェ! 俺はもう行くからなッ!!』
 乱暴な言いぐさで通信を切る祐希だ。
 カレンはやれやれ、と肩を竦めてみせ、諦めの吐息をついた。
「しょーがないわね、暴君だし? 自分から『守らせて欲しい』なーんて、言えないか。
 向こうから頭を下げられないとダメなのよね、余計なプライドばっかり高くて、けーっきょく自分が後悔するのにね。ホント、不器用なんだから」

 愛しき暴君へ想いを馳せて、少女は優しい苦笑を浮かべるのだった。


2008/7/4 レイアウト修正
TVシリーズ中の祐希はどうみてもブラコン