※死にネタが苦手な方はご遠慮ください※






ほーむへ




 ――大切な人を喪った時、多くの人はそれでも生きてゆける。
 それでも、極僅かな可能性。
 無限に広がる砂漠に落とした一粒の金を探し出すような確立で。

 壊れてしまう。

 そうとまで想える相手に出会えた事を幸運とするか。
 そうまで想ってしまう相手に出会った事を不運とするか。
 それは誰にも分からない。


「…香織と、出会わない…、なんて」

 ぞっとしない。
 例えば、香織との出会いが。
 今日のこの日の為の必然であったとしても。
 それでも、きっと望むのだ。
 あの時に震えながら。
 恐れながら。
 それでも、差し出された小さな手を。

「………」

 もう、痛みは感じなかった。
 熱さも遠い。
 その代わりに、酷く、寒い。
 なんとか、弾丸の殆どは避けられたが。
 そのうちの一発が大腿の太い血管を傷つけた。
 もう一発は、左の脇腹から内臓へ達している。
 流石は二丁拳銃による精密射撃だと感心しながら。
 ずるずると、背中を無愛想なコンクリートの壁に預けて。

 ――崩れた。

 規則正しい足音が剥き出しの非常階段を、高く鳴らす。
 香織の――歩き方。
 大切な、大切な、唯一無二の恋人。

「………」

 階段を上りきる、見知った影。
 廃ビルの冷たい空気が、さわと震えた気がした。
 そんなのは、気のせいだと、分かっているけど。

「…もう、終わりか。『雪豹(パンサー)』」

 あまり好きでは無い呼び名を。
 大好きな声で、囁かれた。

「…うん」

 終わりなんだと思う。
 指先の感覚が遠くて。
 もう、銃を握りなおす力さえ残っていない。

「――かおり」
「気安く呼ぶな」

 額にあたりに銃口が突き付けられて。
 その不機嫌な声に苦笑が漏れた。
 ――そして、笑うだけでも。
 キツくて、本当にヤバイんだと。
 まるで、他人事な感想を抱く。

「…ごめんね」
「――何を言っている」
「ごめん」
「…命乞いなら無駄だ。
 最期の言葉くらいなら言付けられてやる」

 ひどく残酷で愛しい。
 俺だけの死神。
 きっと、正気に戻った時に。
 愛しさばかりが募るこの恋人は。
 きっと。
 泣いて、泣いてしまうのだろう。

「…じゃ、頼めるかな」
「なんだ」
「――愛してる」
「…誰に伝えればいいんだ」
「誰にも…」

 動かない腕を。
 最期の力を振り絞って。
 香織のそれと重ね合わせる。

「…『雪豹』?」

 重ねあわされた手。
 俺に本当に余力が無い事を分かっているから。
 それを抵抗とは認識せずに。
 したいようにさせてくれる。

 本当に、優しい子なんだと思う。
 こんな仕事をしていちゃダメなのに。
 俺がこの世界でしか生きられないから。
 自分からこちらへ歩いて来てくれた。
 そして、その想いに甘えた。
 馬鹿で情けない大人。

 これで自由にしてあげられると安堵して。
 けれど、この土壇場になって尚。
 放したく無いと願う、利己的な自分に。

「――…『幸いが、君の傍らで微笑みますように』」
「……? カルツィオーレの詩集、か…、ッ…!?」

 血濡れたスーツの上から。
 心臓に銃口を合わせる。
 幾度となく味わった引き金の重みは。
 滑稽な程、軽かった――…。







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