#30




 通常の業務時間を過ぎると、本社から一気に人が減る。
「お疲れ様でーす」
「はい、おつかれー」
 会社の後輩の子たちが、挨拶して次々上がっていくのに手を振って。
 見送ってから、俺は、荷物と共に個室へ向かった。
 秘密文書や重要書類の作成・手配等を行う完全密室の部屋だ。
「んー、さ、てと」
 取り合えず、担当部署からの連絡を待つ事になるのだが。
 それまでに仕上げておく書面が何枚か残っていた。
「ちゃっちゃと、やっちゃいますかー」
 と、気合を入れたところで、コンコンとノックの音。
 もう、大概が帰宅したはずだけど、と。
 不思議に思いつつも、ロックを解除すると。
 俺の大切な大好きなパートナーが、そこに立っていた。



「仕事が残ってるなら、ちゃんと言えばいいだろう。水臭い」
「うーん。ゴメンね。でもほら、折角、明日お休みだし」
「それはお前も同じだろ」
「や、でも、俺は年上だ…し、」
 しまった。
 自分で言い終わった後に、失言だったと口を塞ぐ。
 案の定、機嫌を急降下させた恋人は。
 いつもの、ストイックな黒スーツ姿で、ずいと俺に詰め寄ってきた。
「ガキ扱いするな」
 うわーん、やっぱり怒らせたー。
「ゴメンゴメン、俺が悪かった。ね、香織」
「………」
 まるで小さな子どもを宥めすかすような口調に、ぴくりと眉が反応して。
 だけど、それ以上は追求せずに、香織はパソコンに向き直った。
「書類作成自体には、さほど時間はかからないな。
 後は、報告書待ちか」
「そーそー、最悪でも日付が変わるまでには連絡がくると思うんだけどね」
「なら、終わらせられる仕事から片付けていこう」
「はーい」
 それから一時間もせずに、文書作成の仕事は完了した
 流石に小腹が空いたと、香織が外へ買出しに行ってくれて。
 一人きりの手持ち無沙汰の時間を、ソファの上で、ぼーっと過ごしていたら。
 突然、ソレはやってきた。
「……あー」
 まずは、発汗と体温の上昇。
 マズイかな、って思う。
 なんかもう、すっかり忘れてたけど。
 そういえば、尾杜センセにクスリを打たれてたんだった。
「…うーん、香織の前で致すわけにもいかないしね」
 早めにトイレに移動しておいた方がいいかなぁって。
 少しずつだけれども。
 確実に上がってくる息に、危機感を覚えて。
 両足に力を籠めて、立ち上がろうとして――、
 カクンと膝が折れた。
「………」
 え? と、思って。
 もう一度、よいしょって勢いつけてみて。
 やっぱり、立てない。
 うーん、これは、犬のおまわりさん、困ってしまって、ワンワンわわんだなー。
 って、投げ遣り気味に天井を仰げば。
 ドクッ、と心臓が跳ねた。
「〜〜〜〜ッ、ぁ」
 酷く熱くて、息が苦しくて。
 これは、性的な興奮の類なんかじゃない。
 たまらずに、ソファの上に突っ伏して、悲鳴を殺す。
「…あ、っ…――」
 熱い――、心臓が締め付けられて、脳が揺さぶられるようだ。
 嘔吐と眩暈に、目も開けていられない。
 ソファの上に爪を立てて、胸の辺りをスーツ越しに掴む。
 ヒュ、とか、ゼィゼィとか、イヤなカンジの呼吸音が部屋に響いて。
 そこで、意識が途切れてしまった。



「米良ッ…!」
 遠くから響く。
「しっかりしろッ、大丈夫か?」
 心配そうな、それ。
「目を開けてくれ、米良…!」
 名を呼ばれるだけでも、幸せになれる、とても大切な人の声。
「……、か、おり…?」
「…米良…、よかった…」
 必死で重たい目蓋を開けると、今にも泣き出しそうな黒無垢の瞳で覗き込まれて。
 ああ、また不安にさせてしまったな、って。
 罪悪感に胸が切なくなる。
 そっと、すべらかな頬に指先を伸ばそうして。
 ――全く、届かない事に気がついた。
 なんというか。
 スカッ、という感じ。
 普段なら余裕で伸ばせる腕が、全く到達しない。
 いや、それどころか。
 心なしか、手が小さい、よう、…な?
 や、それに随分袖がダボついて……?
 俺が異変に気がついた事を察した香織は。
 ふぅ、と溜息を吐いた後。
「どうせ、巧美さんか、尾杜先生の仕業だろう?」
 と言って、普段から持ち歩くエチケット・ミラーを差し出した。
 その中に映りこんだ自分を見て。
 仰天の前に、余りの非現実さに、妙に感心してしまった。
「う、…わぁ。何コレ、縮んでる?」
「何コレは、俺の台詞だ。どうなってるんだ、一体」
 見た目は、多分、十二、三歳くらい。
 完全に若返った俺を改めてまじまじと観察して。
 香織は呆れたように、溜息を重ねたのだった。



米良っちが、小さくなりました。
オズ先生はナナメ45度上に、天才です。
惚れ薬とか作ろうとして、ガンの特効薬とか作るんですよ
で、惚れ薬じゃないじゃーん、って
失敗作だと思って、クスリを捨ててしまうタイプ。
なんというか、壮大な、才能の無駄遣い