#34




 こういう仕事していると、まぁ、当然なんだけど。
 常日頃から、危険が付きまとう。
 美国社長は女性ながら業界のヤリ手で、その分敵も味方も多い。
 だから、こんな事は、本当に今更で些細な事で。
 無闇に取り乱したり、慌てたりはしないけど、でも。
 この凶暴な気分を自制する自信は、ゼロだ。
 懐の銃を、スーツの上から形を辿るように優しく撫でてみて。
 カラダ中、至る場所に仕掛けてある暗器を確かめる。
 ココロが、キンと冷えるのを自覚した。
「待っててね、香織」
 ツー、ツー、と無常の音を響かせる自分のケータイに。
 軽く祈るようなキスをしてから、俺は、指示された場所へ向かった。



 呼び出されたのは、大人の為の洒落たバー。
 ッて言えば聞こえはいいけど。
 所謂、裏家業の連中が住処にするタチの悪いトコで。
 見た目にはフツウってトコが、逆にヤバイんだよね。
 騒ぎを大きくするつもりはないのか。
 バーの所々からギラついた視線を感じるものの。
 一般客(と言っていいものか)が、それぞれ好きにしている。
 指定のカウンター席へ座ると、
 マスターが自然な動作でカクテルを差し出してきた。
 無言で受け取って、飲み干す。
 空のグラスの表面に、敵意の姿を映しこんで。
 うっすらと、微笑んだ。
 さぁ、どうしてくれようか。
 俺の大切なモノに手を出して。
 無事で済むと思われちゃ、困るんだよね。



 小気味良い音と共に、帝国ホテルの一室の扉が開かれる。
 所謂、スィートルーム。
 人質を捕まえておくだけで利用するなんて、何処の阿呆かと思う。
 照明のスイッチには触らず、そのまま進む。
 正面の大きすぎる窓から、大きな月が覗いていて。
 部屋は、異常に仄明るい。
 キョロと周囲を窺ってみると。
 封を切られたワインは、バケットごとテーブルの上。
 飲みかけのグラスも、そのままだ。
 これだけで前後の状況は容易に想像がつく。
 どうして見え透いた罠に香織が引っ掛かってしまったのか。
 その辺りは、謎なのだけど。
「香織」
 上等そうなベッドの上、拘束されるでもなく寝かされている姿に安堵する。
 特に、乱暴された痕も無くて。
 不謹慎かもしれないけど、ちょっと気が抜けてしまった。
「かーおりー、おきてーってば」
 ゆさ、と肩を揺すってみるけど、反応は無し。
 おそらくクスリを仕込まれているのだろう。
 SPなんて因果な商売柄。
 未知の場所でここまで無防備な姿を曝け出す事など、考えられない。
「起きないと、チューしちゃうよー?」
 悪戯っぽく、耳元に囁きを落とす。
 熱を込めたそれに、流石にヒクリと身じろぐものの、眠りは深い。
「…んー、困っちゃたなー。
 これは、お姫様抱っこで連れてかえるしかないかな」
 ねぇ、と流した視線の先、カーテンの暗がりに見知った顔。
 顔立ちだけなら、割と好きな人。
 綺麗なモノも、可愛いモノも、俺は好きだから。
「派手にやりましたね」
 悠然とした口調に、変わってないな、って思う。
 いい意味でも、悪い意味でも。
「もー、最近なんなんだかなー。
 昔馴染がチョッカイかけてきて、うっとおしいんだけど」
「私も――アレも、貴方に戻ってきて欲しいだけですよ」
「残念でした。俺もいい加減いい年なんで、そんな台詞にコロッと騙されたりしないよ」
 にっこり、と。
 満面の笑みで応じると、苦み走った声で問われる。
「まだ、許せませんか?」
 ちょっと、びっくり。
 意外な台詞だ。
 そうくるとは思ってなかった。
 無事な方の瞳を見開いて固まっていると。
困惑が細波のように伝わってきた。
「そこまで驚くこともないでしょう?」
「うん。あー、いや。うん。驚いた」
 ちょっとだけ乱れた心を落ち着かせるために、一呼吸置く。

「許すとか、許さないとか。
 もう、アレは俺にとってどうでもいいんだよね」
 そっと、眠り続ける香織の頬を撫でて、触れる指先から幸せがせりあがる。
 愛しい。
 堪らなく、愛しいもの。
「ただ、今の俺には一番大切なものがあって。
 だから、それ以外は全部どーでもいい」
 はぁ、と呆れを滲ませた嘆息に、小さく苦笑した。
「俺のことは、諦めてくれると嬉しいなぁ」
「今更、人並みに生きていけると?」
「生きてゆくよ。人並みじゃなくても、香織と一緒なら何処でもいい」
「…成程」
 綺麗な顔から、表情が消えた気がする。
 美形なだけに、ヘタに凄まれるよりも、迫力があるんだよね。
「貴方を呼び戻すには、まず、その仔猫からですか」
「かおりになにかしたら、ゆるさないよ」
 薄い殺意を滲ませて、囁く。
 この闇に蠢く生き物に、何処まで通じるか不明だけど。
 案の定、綺麗な顔は愉快そうに肩を揺らした。
「しませんよ。何も。
 取り合えず、今日はもう遅い。お引取り下さい」
「勝手に呼び出したくせに。…全くもぅ」
 ぼやいて、ワインセラーに近づくと。
 適当な年代モノを何本か、引っこ抜く。
「お土産。これくらい、手間賃でいいでしょ」
「構いませんよ」
 余裕を崩さない年下が、ちょっと小憎らしくて。
 お兄さんをあんまり怒らせないでねー、と言い残してみた。



ワザと状況説明の無い書き方してます。
ちょっと分かりにくいですけど、たまにこういうのやりたくなります
メラぱんだは、色々かおりんに言えない過去があるといいと思います。
別にそれは大した事なくて、自分を不幸だと思ったりもしてない
でも、辛いとすら思わないのが辛いって
だけど、当人が平気な顔してるのに自分が泣き言を言うわけいかない
そんな葛藤をするかおりんが好きです。
うん、あれ? 今更ですけど、うちは、香米です。(主張)