#40




「先輩、おつかれさまっしたー!」
「おつかれさまー、また明日ねぇ〜」
「おい、また居残りか?」
「あはは、ちょっと始末書が…」
「なにやらかしてンだよ。お前は」
「米良サン、今日も美人ッスね」
「ありがとー」
 ――…頭上で入れ替わり立ち代わり交わされる会話に。
 イラ立つのは、いつものこと。
 その都度、自分の心の狭さとか。
 イビツな独占欲とか。
 そんなもので、いつも俺の心の中はどろどろで。
 でも、米良はそんな俺に。
 綺麗だと微笑みかけて、愛していると熱っぽく語りかけて。
 少しだけ、触れる事を躊躇うように。
 それは、とても大切なものに、臆病になる類の。
「……香織? なにか、怒ってる?」
「別に」
 地下フロアへと続くエレベーターに乗り込んだ後。
 目聡い相棒に案の定、心を見透かされて。
 自分の幼稚さに更に苛立って。
 そんな事にイチイチ感情を乱す自分に、更に自己嫌悪。
「にしても、巧美ちゃん達にお仕事頼むと、いっつもハチャメチャだよねー」
「…お前が、巧美さんたちが適任だと推薦したんだろ」
「あははは、そうなんだけどさ。ホラ、一応、仕事の達成率は100%だし」
「お陰で減給と始末書の束に埋もれるハメになったけどな」
 産業スパイを捕まえるという仕事を依頼したのは、つい1週間程前の事。
 多少のハプニングはあったが、依頼は見事達成。
 その後、泳がせておいた男の大元を押さえて、壊滅的な打撃を与えた。
 結果オーライといえばそうだが。
 そう言い切るには、彼らの仕事は大味過ぎる。
「ごめんねー、香織」
 くるくる喉を鳴らせて――実際に鳴るわけないが。
 擦り寄ってくる米良を愛しいと感じる。
 無防備に全身で好きだと言ってくれているようで。
 全身が温かな気持ちに包まれる。
 けど、問題なのは。
 米良のこういう態度が。
 誰彼かまわずってトコロで。
 ピンポーン。
 エレベーターの到着音、自動的に開く扉。
 二人揃って密室から足を踏み出した途端。
「お、米良、香織。どうした、今日は早番だろ?」
「何かヘマったんですかー? 米良セ・ン・パ・イ」
 また、早速声を掛けられて呼び止められる。
 社長の身内という微妙な立場にいる俺とも。
 おかしな色眼鏡抜きで懇意にしてくれる彼らバディ
 ――(ヘイ)さんと、君人くん、だ。
「うるさいぞー、上からも下からも『きみひとくん』の分際でー」
 ぎゅーっと、米良が年下の君人くんの頭を両腕でがっちりキメて。
 ヘッドロック状態にする。
 ちなみに、君人くんは、俺より一つ下。
 巧美さんの弟の恒君と同じ年だ。
 ふわふわの亜麻色の髪が少し似てるといえば似てる。
「ちょ、苦しいですって。
 ギブギブ! ギブミー、ヘルプーミー」
 微妙に間違った英語で(ヘイ)さんに助けを求める君人くん。
「自業自得だな」
 それを我冠せずという様子で。
 面白そうに傍観する黒さん。
 この二人は、最年少と最年長のバディながら。
 とても相性が良いらしく。
 オフの時も大抵二人でいる。
「マジで苦しいって、センパイ、タンマタンマッ。
 後で、亀吉堂の豆大福差し入れに持ってきますからッ!」
「たいやきも追加してね〜?」
「おう、なら俺は、草饅頭な」
「ちょ、なに便乗してるんスか、黒センパイ!」
「はい、草饅頭追加〜。お返事は〜?」
「あああああ、もう、わっかりました。買ってきますよ!
 たいやきでも饅頭でも、買ってくればいいんでしょ!」
 ギリギリと首を締め上げられて(無論、手加減してる)。
 君人くんは、ヤケ気味に叫んで。
 その返事に満足そうに微笑んで、米良は腕を放した。
「ハイ、よくできましたー」
「よくできましたじゃないッスよ。後輩イジメですよ、後輩イビリ!
 首のトコ、絶対赤くなってますって。
 センパイ締めすぎ」
「あははは、スネないの。
 でも確かにちょっと赤くなっちゃってるね」
 背丈のある米良はひょいと君人くんの肩のとこまで屈んで。
 痕を確かめるようにした。
「ほら、やっぱし!
 おーぼーですよ。おーぼー!」
 キャンキャン吠える姿は、犬の仔のようだ。
 そんな君人くんに、米良は楽しそうに隻眼を細めて。
「ごめんねー」
 って、言いながら、赤い痕にキスをした。
「ふわっ!? めめめめめ、めらセンパイっ!??」
 ウブな後輩が慌てふためく姿も。
 からかいがあって、面白いらしく。
 米良は調子に乗って、そのまま強く痕を残す。
 それは所謂、キスマークになって。
 米良が口付けた名残となる。
「黒せ、せん、ぱっ…、」
 真っ赤な顔であわあわする後輩を。
 流石に哀れに思ったらしく。
 そこで漸く、黒さんの重い腰があがった。
「こーら、米良。若造をからかうのは、その辺にしてやってくれ。
 コイツが妙な道に走ったらどうしてくれるんだ」
「えー、だったら責任とってお嫁にもらってあげるよー」
「………」
 その途端、俺の中で堪えていたモノがぷつりと切れた。
 反射的に伸ばした腕で、米良の白のスーツの襟ぐりを掴んで。
 そのまま、有無を言わさずに引っ張る。
「…っ、か、かおりっ??」
 突然の事に、一瞬、息を詰めらせて。
 それから、慌ててついてくる。
 そんな米良の姿が、振り向かなくても分かる。
 それこそ、手に取るように。
「ねー、香織? どしたの?」
 しばらく進んで、辺りに誰もいなくなってから。
 米良は困ったような。
 戸惑うような。
 喩えれば、小さな子どもの癇癪を宥める温度で。
 そっと尋ねる。
 そんな気遣いにさえ、苛立って。
「…ウルサイ、節操なし」
 吐き捨てるように返せば、何時もの様に間延びしたそれで。
「えー、俺は香織しか見てないよぅ?」
 心外だとばかりに、申し立てる。
 けれど、それこそ心外だ。
「…17人だ」
「ん? 何が?」
「戻ってから、お前に声を掛けてきた連中の数だ!」
「……かぞえてたんだ?」
 きょとん、と返されて、青筋が浮き出るのを自覚する。
 フェロモンを出しすぎだ。
 黙って立っているだけでも色気がある、のに。
 その上、愛想が良くて天然だなんて。
「お前はッ…!」
 自覚が無さ過ぎる、と怒鳴りだそうとした口唇を。
 米良の薄く柔らかなそれで、遮られ。
 誤魔化されてなるものかと思うのだが。
 何とも抗い難い官能に。
 ――完全に、蕩かされた。
 名残惜しくも口付けを終わらせて。
 乱れされた呼吸を自覚すると。
 今更に羞恥の感情が沸く。
 気恥ずかしさに俯くと。
 思いがけない一言が降ってきた。
「18人」
「……?」
「俺が今までに追い払った、香織狙いの子の数」
「…なんだそれは」
 何の冗談かと、呆れれば。
 米良は、不満そうに頬を膨らませた。
「自覚ないんだよ。香織は」
 ぽてっと。
 右肩に、米良の温もり。
「俺が愛想振りまいてるのだって
 香織にヘンな虫がつかないように頑張ってるだけだよー」
 ヘソを曲げてしまった時の、拗ねた口調で告白し。
 そのまま、額をこすりつけるようにして肩口で甘えられた。
「…そんなの、俺だって」
 可愛らしい嫉妬と独占欲に。
 酷く満たされた気持ちを味わいながらも。
 不安はシミのように胸に広がるから。
「……香織。
 始末書、明日でも…いいよね?」
 他愛無い悪戯を思いついたというように。
 楽しげな。
 けれど、酷く卑猥な響きのソレに。
「……ああ」
 共犯者の証として。
 もう一度。
 今度は、自分からキスを仕掛けた。



お互い好きすぎて、強すぎて、見えない感じが基本
ちなみに、メラが周囲に愛想を振りまくのは
香織たんにアプローチしようとする
そんな子への牽制もありますけど
香織たんがヤキモチやいてくれないかなぁっていう
一石二鳥的な、そんな期待というか
ちょっと、オトナのズルイかけひきみたいな
そんなも含まれていたりするのです