
#42
「一体、何なんだ! あの男は!」
きゃんきゃんと吠えて怒り散らす香織が可愛くて。
俺は風呂上りで濡れた髪を拭く手を止めて。
さぁねぇ、と楽しそうに返した。
面白い人ではあると思う。
香織にチョッカイ掛けるのさえ無ければ。
もっと、好感度上がったんだけどなーと。
呑気に考えていると。
不満を一杯に浮かべた顔で香織がすごんできた。
「大体、お前もお前だ!
何時も思うんだが、隙が多すぎるんじゃないのか!?
あんな簡単に素人に接近を許してどうする!」
「えー、そんな事ないよー?」
「そんな事ある! もう少し自覚を持て!!」
「うー…」
怒られてしまった。
自覚って言われてもなぁと、ちょっとだけ困ってしまう。
愛想笑いは習い性で今更是正は難しいし。
何より、仕事を円満に進めるために。
社交性というか。
コミュニティ能力の高さは必須だ。
「でも、香織。あの人、素人じゃないよ?」
「………ッ」
途端、香織の顔色が変わった。
しまったかも。
言わない方が良かったって後悔しても後の祭り。
深刻な表情で、香織は迫ってきた。
「素人じゃないって、どういう事だ」
「え、えっと…」
「誤魔化すなよ。米良」
どうにか言いくるめられないかと。
泳いだ思考をキツく咎められ。
これは正直に言うしかないかと、溜息。
「えっと、ね。訊いた事ないかなぁ、『独裁者』の名前」
「ディクタトール…?」
「うん。裏では結構有名だよ。義を通す暗殺者っていう風変わりさと、依頼達成率の高さで、ね」
「! 暗殺ッ!?」
声に動揺を強くして聞き返す香織に。
俺は、うん、と事も無げに答えた。
「うん、じゃないだろ! 何を落ち着いているんだお前は!!」
「えー、でも別に俺が狙われてるわけじゃないし…」
「そんな呑気にっ…!」
言いたいことは分かる。
俺だって、裏では嬉しくも無い二つ名で呼ばれる身だ。
依頼なんかがなくても、妙な対抗心を持った奴に狙われる事もある。
でも、やたらと心配しても仕方ないし。
多分なんだけど、堀口サンはそういう無意味な挑戦はしないタイプ。
「大丈夫。心配いらないよ」
「……ッ、心配…しないわけないだろ。
未だにお前を狙う奴はいる。こないだのだってそうだろ!
美国社長の権威の下にいるから――ヘタに手を出せないだけで。
くそっ…!!」
ぼすっ、とソファに拳で八つ当たり。
そんな香織も可愛い。
そして、恋人に大切にされている事もうれしい。
俺は、今凄く、幸せなんだって思う。
「かーおり」
「なんだっ! ……、!!」
ちぅって、お風呂上りの美味しそうな頬にキス。
香織の事は全部好き。
何もかも好き。
「……メラ、」
困った顔も。
照れた顔も。
泣き出しそうな、それも。
「…『雪豹(』って、呼ばれてたんだってな…」
「……うん。京ちゃんから訊いた?」
「名前だけだ。その他は何も。
――ただ…『雪豹』にまつわる逸話を知らない程無知じゃない」
「…そだね」
少しだけ、ほんの少しだけ悲しい気持ちになる。
俺の過去は今更消しようがないし。
昔の自分があったから、今の俺があるとも思う。
だから、必要なものだったんだと。
冷静に考えられはするけど。
それでも、香織に聞かせたい話じゃなかった。
これでふられたら、京ちゃんへのお礼参り決定。
「…悪い」
「ん? どしたの、香織」
唐突にゴメンナサイされて、びっくりする。
だって、香織が謝る事なんて、何ひとつない。
「こんな…、パートナーの過去(をコソコソ嗅ぎまわるなんて、最低だ」
「そんなことないよ?」
護衛(なんていう命の危険がある仕事で。
バディを組んでいる相手の事を知ろうとするのは、寧ろ、当然。
そんなことくらいでダメになるバディなら。
早めに、解消したほうがいいんだろ思う。
「ね、香織」
「……米良?」
罪悪感でいっぱい。
そんな表情で沈んでしまった可愛い恋人の名を呼んで。
また、頬にキスを落とす。
「俺のこと、好き?」
「……ッ、なにをいきなりっ」
香織の顔が真っ赤になって。
うろたえてるのが、手に取るように分かる。
こういうストレートな表現が苦手なのを知ってて。
ワザと、答えにくい質問をする俺は。
相当、意地の悪いオトナなんだと思う。
「…きらい?」
しょんぼりと肩を落として。
ソファの前にちょこんと座り込む。
年上から年下への上目遣いは。
結構、必殺技になるらしいので、早速実践。
「きッ! 嫌いなワケないだろ!!」
えへへー、きーてるきーてる。
力一杯目いっぱい否定されて。
ちょっと、ガラにも無く照れてしまうかも。
「香織。大好きだよー」
「……っ、何なんだ急に…」
脱力してソファの上に座り込む香織のひざに。
くぅんと甘えて頬を摺り寄せる。
これって膝枕だよねって幸せをかみ締めながら。
今日、堀口サンにスーツのポケットに捻じ込まれたメッセージを。
ゆっくりと、思い出してて、少しだけ苦い気持ちになる。
明日になったら。
香織に気付かれないように。
逢いにいかないとなって。
ぼんやり考えながら、風呂上りで柔らかい指先で。
香織の頬を、ついと撫でた。
「ね、もういっかい」
「……めら?」
「お風呂はいろうか。…いっしょに」
つまりは、そういうコト。
純情な年下の恋人は、カァッって一瞬で茹で上がる。
ちゃんと、意味が伝わった証。
「…お、前は、まったくっ…」
少しの呆れと――煽られた熱を秘めた黒の瞳。
綺麗で、可愛い、俺の大切な。
――たいせつな。
「…好きだよ、香織」
基本的に、この二人はばかっぷるもはだしで逃げ出す
いちゃいちゃ、あまあまなのです。
お互いがお互いにベタ惚れなので
もう、可愛さと切なさでキュンとくるかんじ
そういう二人だといいと思うのです。