#44




 誰にも相談出来ない事で。
 俺は――とてもとても悩んでいた。
 こんなに悩んだのは。
 実家から兄さんが飛び出してしまって。
 取り残されてしまった時以来だと思う。
「………」
 ぱたぱたぱた、…ぱた、……ぱたぱた。
 何時もは大好きな掃除にも。
 イマイチ気がノらない。
 手元のハタキが止まったり動いたり。
「……はぁ」
 そして、溜息。
 ちなみに、今、事務所には誰もいない。
 美羽さんは、社長に経理の件で月に一度の報告に出てて。
 兄さんと正宗さんは、お昼の買い出し。
 俺は事務所の留守番で、一人、残っていた。
「……はー…」
 ハタキを手にしたまま。
 がっつり、その場にしゃがみこんでしまう。
 兄さんがいたら、即座に暴言が飛んでくるけど。
 今は、誰の目も気にする必要はない。
「やっぱり、こんなの良くない…」
 頭がぐるぐるしていた。
 あの日――。
 堀口サンが持ってきた依頼は。
 香織さんの捕獲。
 詳しくは知らないけれど。
 何かの条件をクリア出来なかった場合には。
 堀口サンは、米良さんを、何処かに連れて行くらしい。
 でも、当然抵抗されるだろうから。
 そこで、交渉手段として、香織さんを捕まえておいて。
 身の安全と引き換えにする、――なんて。
 確かに、提示された成功報酬は破格で。
 別に誰を傷つけるわけでもないし。
 ただ、香織さんを軟禁するだけでいい。
 別に米良さんの事も依頼の事も伏せておいて。
 何か理由をつけて、事務所に引き留めておくだけでいい。
 なんて、酷い話だろうと思う。
 香織さんも、俺達にそんな事をされるなんて思わないだろうし。
 だから、日付指定で呼び出して。
 お茶とお菓子で引き留めておくだけで。
 それだけで、米良さんは、香織さんの身を案じて。
 全ての抵抗を封じられてしまうんだ。
「…サイテー、だよ。
 こんなのダメだよ、ヤダ…よ」
 兄さんに何を言っても無駄だった。
 お前は黙っていろの一言。
 ぐるぐるする。
 俺の兄さんは、何時だって優しくて正しくて。
 だから、そんな人の情に付け込むような。
 …正宗さんは、兄さんを信じろって言うけど。
 信じたい。
 信じたいけど。
「なんでこんな依頼受けたんだよ…兄さん」
「なーにへこんでるんだい?」
「ぅひゃああああああああ!!!?」
 耳元に息を吹き込まれるようにして。
 無駄にエロ声なそれが。
 軽やかな響きで囁きかけてきて。
 本当に、びっくりした。
「…お、おおおお、オズ先生!
 なに勝手に入ってきてるんですか!!」
「しつれーだなぁ、ちゃんと声は掛けたよ?
 いやー、全然見事に気付かないなんて。
 なーにをそんなに悩んでるのかなー」
 一応、年上で。
 医者としての腕もそれなりで。
 けれど、圧倒的に変人奇人なこの人は信用ならない。
「…なんでもないですッ」
「おや、そうかい?
 何でも無い様には見えなかったけどねぇ」
「ほっといてください。
 それより何の用ですか?
 兄さんなら昼の買い出しですから、少しで戻りますよ」
 オズ先生は悪い人じゃないんだけど。
 かなり得体が知れないから。
 会話してるだけで疲れる。
「おやおやー、ご機嫌ナナメだねぇ。
 ま、いっか。
 たー坊に呼ばれててね、米良君の事らしいけど。
 何か聞いてるかい?」
「え――、米良さんの?」
 そういえば、この変態闇医者は米良さんの掛かり付けだった。
 性別問わず小さいモノを愛するヤバイ人だけど。
 医者としての腕は、一流なオズ先生は。
 一般の薬を一切受け付けない米良さんへ。
 効果のある薬を処方出来る。
 多分、唯一の医者なんだと思う。
 そんなオズ先生を呼んで、どうするのかなって。
 疑念と期待で声に詰まる。
「お、なんだ来てたのか」
「あ。たー坊―! おっかえりぃー!!」
 けれど、俺が言葉を探しているうちに。
 買い出し班の兄さん達が戻ってしまって。
 結局、何も聞き出せずに。
 俺は肩を落としただけだった。



恒ちゃんは、裏表なく素直にいい子なので
いろいろな事に真剣に悩んでぐるぐるします
無知で純真だからこそ、ひどく、真剣に悩んでしまう
みんな大好きだから、みんな幸せになれるといいのに
そんな可愛い夢を信じられるワン恒の
強さと弱さに、救われているといい