#5




 ばっしゃーん。
 ぽたぽたぽた。
 ガラン。
「………」
 えーと。
「もー、何してんだよ。兄さん! 誰か下にいたらどーすんだよ!」
「ンなとこ、偶然通りかかって水浸しになるよーな間の悪ぃヤツなんかいねーよ。ぶぁーーーか!」
「そんなこといって、もー。誰かバケツ拾ってくるとおもっ…」
 事務所の二階の窓が開いて、ゴールデンレトリバーみたいな可愛い子が顔を出す。
「あーーーー!! 米良さんっ!!!」
「やっほー♪ 恒ちゃん。ちょいぶり〜」
 足元に転がった青色のバケツを拾い上げ、俺はずぶ濡れのままヘラリと笑った。



「おう、何か用か? 米良」
「こないだ巧美ちゃんに頼まれてた調べ物、持ってきたよー。
 こんなになっちゃったけどね」
 紙製のファイルは、すっかりふやけてしまっている。この調子じゃ、中身は無事じゃないだろうなーと思いながら、折角持ってきたので、取り合えず机の上に置いた。
「にーさんっ! 人に水ぶっかけといて、謝りもしないなんてっ!」
「ハッ! 世界は俺の為に回ってるンだ。せせこましーこと言うな。ハゲ恒!」
「ハゲてねぇええええええええっ!!!」
 タオルを渡してくれた恒ちゃんは、そのまま巧美ちゃんとの兄弟喧嘩に突入。
 仲良いなー、と感心しながら髪を拭ってたら、背後から、おっきなタオル地に包まれた。
「ンな寒空に濡れネズミじゃなんだろ。
 時間あるか? 風呂沸かしてあるから入って来いよ。その間に服を乾かしておくからよ」
 正宗君だ。
 おっきな図体してて結構強面なんだけど、手先が器用で細かい気配りが出来る子だ。
「うーん」
 自分の姿を客観的に見直してみる。
 見事に上から下までぐっしょりだ。辛うじて、靴の中は無事だったけど。
 この格好で寒空の下を歩くのは――確かに、ちょっと。
 寒がりには結構な試練だ。
「うん。やっぱいいや。タオルだけ借りるね」
 けれど、余り他人様の目に晒せるようなカラダじゃないんで、ご遠慮。
「あ? そのカッコで帰るのかよ?」
「うん。流石にこのまま仕事は続けられないしねー。社長に連絡して、一度家に……」
「正宗、ゴウ」
 訝しげな巧美ちゃんの台詞に答えてたら、ひょいって正宗君の肩に担ぎ上げられた。
「わ、わ、わ、なになに?」
 正宗君ほどじゃないけど、俺だって、結構ガタイいいよ? 持ち上げちゃって、腰にクルんじゃないかなぁ。あ、いや、そうじゃなくて。それもあるけど。
 ――そうして、そのまま有無を言わさず猫足のバスタブに、ほうりこまれてしまった。



「巧美ちゃーん。なんで、シャツだけ〜?」
 結局お風呂を貰って、代わりに用意してくれてた服に袖を通したものの。
 ブカブカの白シャツ一枚って……。
 俺のサイズでデカいってことは、正宗君のかな。
 それにしても…、いい年した男がするカッコじゃないと思うんだけどなー。
 そのまま出て行くのもどーかと悩んで、洗面所からひょいと顔を出す。
 すると、人の悪い笑い方で巧美ちゃんがソファの上に乗り上げる。
「よーし、いいザマだな。米良。俺様への調査書を台無しにした罰だ」
「もともと、兄さんが原因なのに…」
「あ? なんか言ったか。パッツン・キッズ(老け顔)」
「カッコ内余計ーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
 うーん、いいツッコミだ。
 いやいやいやいや、感心してる場合じゃないや。
「正宗くーん? まさむねくーん?」
 巧美ちゃんにフツウに逆らえそうな正宗君を呼んでみるけど、返事が無い。
「ハッハッハッハ。残念だったな。正宗なら、お前の服を乾燥するために出掛けてるゾ!」
「え〜……」
 唯一の救いの光が。
 むぅ、仕方が無い。
「恒ちゃーん、ゴメン。何か下に穿くモノかしてくれる?」
「あ、はい」
 素直なお返事。いい子だなぁ。
「オイ、ボケ恒。わかってんな」
「……う」
 この、悪魔の申し子め。
「ハッハッハ、俺様にビューティフルな爪先に跪いてチッスの一つでもかませば、許してやらねーこともねーなァ」
「えぇー……」
「なななななななっ、なに言ってンだよ! 兄さんっ!!」
「なんだ、米良! その不満そーなツラは!」
「そんなこと言われたって、それで悦んだら、俺マゾだよ?」
「兄さん! ムチャクチャ言わないの! もう!!
 米良さん、俺、なんか適当なモノ探してきますね」
「あっりがとー、恒ちゃーん」
 いい子だ〜。流石、美国探偵事務所の良心。
 パタパタと奥に引っ込んでいった恒ちゃんを見送ってると、巧美ちゃんがいつの間にかそばに来てた。
「おもしろくねーから、出て来いよ」
「えー。こんなカッコでウロウロしてたら、ヘンタイさんだよ?」
「いーから、来い」
「ごーいんだなー、巧美ちゃんったら」
 きゃ、なんてワザとらしく悲鳴を上げながら、袖を引っ張られるままにソファまで。



「よーし、動くなよ」
「? 巧美ちゃ……」
 不穏な気配に何を仕出かす気かとギクリとする――と、ソファに仰向けに押し倒されていた。そのまま、真剣な表情で距離を詰めてくる。
 えーっと、この体勢は結構ヤバ……
 ガサッ。
 ――…え?
 タタタタタッ…、と遠ざかる足音。
 独特の足運びは、訓練を受けた人間のソレ。
「――ッ! 香織!?」
 思わず巧美ちゃんを押しのけて、ガバッと飛び起きた。
 床に落とされた紙袋の中身は、俺の着替え。
 うわっちゃ〜、コレ絶ッ対、誤解された。
「巧美ちゃ〜ん」
 なんてことしてくれるのさー、と恨みがましげに見上げると、フフンと勝ち誇った様子で、踏ん反り返る小悪魔が笑っていた。
「こないだの礼だ。せいぜい、頑張って誤解を解けよ」



巧美様は、けっこーご無体です
ムチャクチャですけど、ちゃんと色々考えてあげてるところがツボ
そして、キレると怖いお兄さんのくせに、普段天然な米良に萌え。