#50




 青い鍵。

 不意に揺さぶられた記憶の中で。
 それは符号のように。
 カチリと、鳴った。



 青い鍵で開く、青の扉。
 滑り込んだ先は地下へと続いていて。
 もう一枚の扉をぬけた先。
 ひどく手狭な劇場。
 ライトアップされる舞台には。
 紅地に金糸の刺繍を施した椅子。
「よく、思い出しましたね」
 丁寧な口調だけど。
 捕食者の傲慢を端々に滲ませる。
 組織の狩人――は。
 舞台の袖から優雅な足取りで現れた。
「…まぁ、ね」
「それで、如何されますか?
 この場所へ辿りつけたという事は。
 鍵の意味も分かりますよね?」
 絶妙な距離を保ったまま。
 長く伸びる足を止める。
「組織を抜けてゴロツキ風情に匿われたかと思えば。
 次は大企業である美国社長の護衛に納まって。
 本当に、貴方には手を焼かされます」
 穏やかな物腰の下。
 消して隠し切れない。
 隠そうともしない、闇の住人としての顔に。
 やれやれと両肩を竦めておどける。
「…俺としては、組織の執念深さにびっくりだけどねー。
 別に俺の代わりなんて、簡単に用意出来るでしょ。
 なんでそこまで拘るかなぁ」
「御冗談を。貴方の代わりなど誰にも務まりませんよ」
「やだなぁ、過大評価だよー」
 にへらと笑って。
 薄暗い部屋の中で仄かに発光する青の鍵を。
 不穏な空気を纏わせる京ちゃんへ放り投げる。
「…?」
 流石の運動神経で。
 京ちゃんはそれをひょいと片手で受け止めて。
 怪訝そうな眼で鍵とコッチを見比べる。
「あげる」
 にっこりと笑顔を作れば。
 案の定、呆れたような溜息。
「本気ですか?」
「…冗談に見える?」
 逆に聞き返してみると。
 まるで理解出来ないと。
 京ちゃんは首を左右にして。
 頭を抱えて溜息をもうひとつ。
「本気でしょうね。
 ――…覚悟の上でしょうが。
 正気の沙汰とは思えませんよ」
「だいじょーぶ、なんとかなるよー」
 へらりと笑う俺を見遣ってから。
 受け取った青の鍵を。
 舞台の上の椅子の上に置いて。
 京ちゃんは胸元から黒の携帯を取り出す。
「…雪豹(パンサー)
 そして、何処か陰鬱な表情で。
 二つ折りのそれを、ぱくりと開ける。
「本来、このような手段は好みませんが」
「…香織に手を出したら、ゆるさないよ」
「…心得ていますよ。
 貴方の逆鱗に触れるのは御免です」
 あっさりと引き下がる京ちゃんに。
 俺はきょとんと眼を丸くした。
 いやだって。
 物わかりが良すぎると言うか。
「可愛らしいパートナー殿は。
 随分と、貴方の過去に執心のようですね?」
「……セーカク悪いなぁ」
「お互い様です」
 逆らえば、全部バラすぞ、って。
 捻りも何も無い直球過ぎる脅し文句。
「…鍵は受け取れないよ?」

 【鍵】は【契約】
 【契約】は【掟】

 掟破りは最大の禁忌。
「鍵は、ひとまず私で預かります。
 さて――…、ここからが本題です」
 京ちゃんの口調が。
 些か芝居掛かった大袈裟なそれから。
 闇を()む住人のものへと変わって。
「…いいよ。
 【俺】に頼み事?」
「ええ、――【貴方】に頼み事です。
 ディオニュソスに制裁を」
「…何それ。本気?」
「本気です」
「――…ふぅん」
 ディオニュソス――、古代ギリシアのお酒の神様。
 そして、京ちゃんの飼い主の名前。
 穏やかじゃない話に。
 過去に打ち棄てた異常凶暴性が。
 柔らかな嘘を内側から喰い破る。
「――…見返りは?」
 当然、相応のモノを用意しているはず。
 だって。
 ディオニュソスへの制裁なんて。
 非常識過ぎる依頼。
 どんなに報酬を積まれても。
 誰も首を縦に振らないだろうから。
「…貴方を、解放して差し上げます」
 大きく出たなぁ、って目を丸くする俺に。
 京ちゃんは、何処か自虐めいた微笑みを浮かべた。
「自身の呪縛も解けぬ分際で――、
 と、御思いですか?」
「…ううん。
 だって、京ちゃんは一度口にした事は。
 絶対に実行するからね」
 だから逆に実現不可能な約束はシナイ。
「…おや、随分と高評価ですね。
 失望させてしまうかもしれませんよ?」
 光栄です、と道化てみせる京ちゃんに。
 薄っぺらい笑顔で応える。
「大丈夫。失望なんてしないよ」
 だって。
 失意は期待の裏返し。
 そんなもの――…。
「…おや、手厳しい」
 奥に潜む意図を汲み取って。
 京ちゃんは密やかに肩を揺らした。



あなたが幸福であれば、それでいい
優しくて残酷な盲目の愛で
傲慢の塔の罪を積む。