
#54
………。
気付けば、そこはオズ先生の診療所、だった。
スーツは脱がされて、診察衣に着替えさせられてる。
消毒の匂いが残ってるから。
多分、小さな傷の手当をしてくれたんだと思う。
まだハッキリとしない頭を押さえながら。
上半身だけ起こして、ぼうっとしていると。
クリーム色の仕切りカーテンを掻き分けて。
細身のシルエットが覗きこんできた。
「……かおり?」
「ああ」
そこに現れたのは、俺の大切なパートナーで。
どうしてここにー、とか。
一体、どうなってるのかな、とか。
そういう事が全部どうでもよくなって。
ふんわりと温かな気持ちになる。
最近は――…例の件で忙しくて。
あまり香織との時間を持てなかったから。
顔を見れたのが本当に嬉しくて。
「かーおり。ぎゅってさせて?」
だから。
大好きな年下の恋人の声が。
ひどく冷たく響くのに気付かぬ素振りをして。
思い切りの甘えモードでスキンシップを強請ると。
「………」
俺の言葉に。
不機嫌そうに眉を顰める仕草で応えられて。
ようやく、不穏さを感じ取って、戸惑う。
何か、おかしいと、小さな違和感。
「…香織?」
「――…、米良」
「うん」
「話がある」
「……うん…?」
俯き加減で肩を震わせる痛ましさに、ギクリと心臓が竦んだ。
――…香織は、俺との距離を詰めようともせず。
仕切りカーテンの隙間の処で立ち尽くしたまま。
ひどく、頼り無げな声で、囁いた。
「…別れよう」
「………」
「…ずっと、考えてた」
「………」
「………だけど」
「………」
「…俺には、この結論しか出せない…。米良」
「………」
「ゴメン」
そこで初めてストンと、告げられた。
言葉の意味が降りてきた。
香織の事は大好きで。
誰よりも、何よりも、大切で。
だから、少しでも長く。
俺の事を好きでいてくれるように。
一秒でも長く。
俺を必要としてくれるように。
願っていたけれど。
「…うん、分かった」
けれど、要らなくなったのなら。
容赦無く捨てて貰ってかまわない。
そうも、思っていたのに。
現実になると、やっぱりダメージは大きくて。
どうしてこういう話になったのか。
サッパリ分からないけど。
きっと、それが原因なんじゃないかなとも思う。
「…仕事の事とか、社長に相談しないと、ね」
正直、冷静に話し合える精神状態じゃなくて。
笑顔を取り繕うのが精一杯で。
声が震えないように、必死。
「………」
目の前の香織は、ひどく、傷付いた顔をしていて。
そんな表情をさせている自分に腹が立つ。
どうして、もっとうまく、笑えないんだろう。
「…駄目、だね。俺…」
「…米良?」
寛容な科白を口にしているけど。
それは、余りに空々しすぎて。
もう、今スグにでも。
独占欲とか制服欲とか。
そういうもので。
壊して、 しまいそう
「米良ッ!!!」
叫びに、我に返るのと。
手袋に隠した小型のナイフが。
弾かれて、リノリウムの床を滑るのは。
ほぼ、同時進行の出来事だった。
「…なにッ…、してるんだ!!」
必死の形相で怒鳴りつけてくる、俺の大切な。
大切な、ひと。
「…ごめん。でも」
「でもも何もあるか! こんなッ…、」
右の掌は血塗れて。
派手に出血してることもあって。
結構な惨状だけど。
慣れている所為か、痛みは鈍い。
「…こうしないと、俺――、」
「――なに、」
「好き、だよ」
「…そ、んなの、」
「ゴメンね」
駄目だ。
壊してしまう。
だから。
先に、俺を壊してしまえ。
そう、思ったんだ。
だって、俺は。
香織を傷つけたくない。
「……ッ、こ、のッ。 バカッ!!」
突然、激しく怒鳴りつけられて。
そのままベッドへ押し倒される。
肌に馴染んだ、体温が気持ちいい。
「…かおり?」
急に、どうしたんだろう、って。
そう言えば、右手はナイフで貫いて。
血だらけの状態だから。
シーツを汚してしまうな、なんて。
取るに足らない事が、頭を掠めてゆく。
可愛いかわいい俺のパートナーは。
右肩に頭を埋めるようにして。
抱き付いてくる。
そんな香りはやっぱり可愛くて。
「……悪い」
「…かおり?」
「…ここまで、お前がダメージを受けるなんて思ってなかったから」
「………」
「嘘、なんだ」
「………」
「…全部」
「………」
「……別れようとかいうのも、嘘…、で」
「………」
「ちょっとした意趣返しのつもりだったんだけど…」
「………」
「その、…悪かった。
だから、もう泣くな」
言われてそこで初めて。
ずっと、泣いてた事に気付いた。
本日二度目の大衝撃にもう言葉を発する気力すらなくて。
今更ながらに熱さと痛みの感覚を伝え始めた右手は。
ベッドの上に放り投げたまま。
左手は、香織の背中に縋りつくように。
有りっ丈の力を振り絞って、抱き締め返した。
ヤンデレ化するほど香織が好きだけど
何がなんでも、香織を傷つけたくない
そうすると結論はひとつ
本当は香織の傷にならないように
ひっそりと姿を眩ますのがいいんだろうけど
流石に、そこまで冷静になれないメラパンダ