#56




「…米良…?」
「届けたぞ」
「!? た…っ、」
 極簡潔に用件を伝え、通話は一方的に終えられた。
 公私共にパートナーとして人生を隣り合う隻眼もその美貌を決して損なわない、綺麗な年上の使う携帯番号からのコールに、慌てて応じれば、意外な人物からのそれで。
「………」
 聞き直す間も与えられずに、途方に暮れたように自身の携帯を握り込む香織は、続く掌の振動に液晶の画面を確認する。すると、『米良』の携帯アドレスからのメール。差出人は先程と同一であろうと、ひとつ、溜息。
(…なんなんだ…)
 到着したメールを片手で開封しながら、覚えるのは微かばかりの苛立ち。
 冷静な判断、非情な対処を必要とする身でありながら、不甲斐無さに、嫌気が差した。
「……?」
 添付ファイル付き――…、写真か動画の類か、サイズからして写真のようだった。
 躊躇いも無く開く動作。まさか、スパム行為というわけでもないだろう。
 徐々に読み込まれる画像。
 小さな液晶画面いっぱいに広がった『それ』に。
 彼の生真面目な性質そのまま反映するかのように、乱れ無く着込まれた黒スーツの青年は。
 後頭部を鈍器で力の限り打ちつけられたような、物凄い衝撃に、携帯を地面に落としかけた。



「米良ッ!!」
 生体認証と電子ロックと、磁気カード、そんな厳重な警戒が成されている美国の専用マンションに、急ぎ戻ってきた香織は、玄関を開けるなりパートナーの名を呼ぶ。
 平時の取り澄ました声とは全く違う焦りの色、滲む必死さ。
 返答は無い。
 しかし、メールで送られてきた画像は確かに自分たちの部屋の、寝室を写し込んでいた。
 逸る心を抑えられずに、もどかしげに靴を脱ぎ捨て、スーツのネクタイに指を掛ける。
 躊躇も無く問題の部屋へ一直線に、邪魔をするなと蹴破る勢いで、寝室の扉を――…、
「………おかえり?」
 逆に開けられて、出鼻を挫かれた。
 余程吃驚したのか、随分と幼い表情でポカンと見上げてくる。
 ふわふわクセッ毛な黒猫の額に、仄かな恐れを孕んだ、愛撫の指先が伸ばされる。
「………」
 自失状態にあった香織は、米良の掌が額から頬、頬から耳朶、耳朶から首筋、と恋しげに辿る内に我に返り、好き勝手に触れてくる腕を掴まえて、今更だが憮然とした表情を作った。
「…巧美さんは?」
「……? 巧美ちゃん? いないよ?」
 どうして? と首を傾げて訊いてくる姿は、まるで白インコのようだ。油断ならないパートナーに至ってはそれを見破るのは酷く難しいが、嘘の気配は無い。惚けているわけではなさそうだった。そう言えば、頭に血が昇っていて見過ごしていたが、玄関で目にした靴は見慣れたものばかりだった。
「……そうか」
 ストン、と気持ちが落ち着くと同時に、次いで、別の理由でカッと血が上った。
「……ッ、米良! お前、この三日間何処にッ…!!」
 気色ばむ年下の恋人に、青白い肌に――…色素が薄い為か柘榴の華ように隠避な双眸が、物言いたげに、慈しむように、悲しむように、潤んだ。
「――…ッ、」
 途端に、胸を迫り上がる愛おしさに、香織は指針を失った。
 見つけたら、勝手を詰るつもりだった。
 問い詰めて、追い詰めて、逃げられないように。
 もう、何処にも行けないように、
 捕らえて、繋いで、閉じ籠めて――…、
 いいや、そんなものでは恐らく『コレ』の自在は害(そこな)えない。
 ならば、
 駄目だ
 それならば、
 嫌だ
 そうするしか、
「……もう、 いい 」
 ぽすん、と感情と言葉が落ちた。
 大きめサイズのタートルネックのセーター姿でいる、完璧な造形の、綺麗な綺麗な、年上の恋人の胸に額を預けて、香織は愛しいパートナーの背中に両腕を回した。籠める力の強さに、想いの深さを感じ入る米良は、一方的に抱き締められる格好のまま、自慢の低音美声で囁いた。
「…ね、香織」
「………」
「随分早いけど、今日はもう上がり?」
「…ああ」
「明日は?」
「遅番」
「そっか。俺は今週ずっとお休み、だよ?」
 ぐるぐる、と。喉を鳴らして全身で媚びてくるパートナーに、香織は絶望的な心地となった。相手が何を望んでいるのかを正しく察するが故、いや、自身もまたそれを強く求めていると理解したからだ。自覚すれば炎は勢いを増すばかり、欲求は際限も無く、理性の殻を喰い破ろうと暴れ回る。
「…メラ…」
「……ん、」
 昼下がり。――太陽は、まだ随分と高い位置。明るい寝室。
「……そ、の」
 まだ、僅かばかり残る理性が、最後の最後で抵抗運動――…、邪魔をする。
「…香織…?」
 けれど――…恥じ入る目許は扇情的に桜色、元々色白なだけに悪目立ち。瞳は欲に濡れて潤んで細められる。期待と不安が入り混じる表情、薄く開かれた口唇から覗く、鮮やかな舌。何もかもが雄の性(サガ)をダイレクトに揺さぶってくる。これで全くの無反応というなら、医者に診てもらう事を勧めたい。無論、何処ぞの闇医者だけは避けておくのが賢明な判断と言えるだろう。
「……かおり、 きす、しよ?」
 ふわり。
 逡巡を見透かすように、優しい誘い文句。
 何もかも自分の所為にすればいいと、不慣れな恋人を気遣う、大人の立ち振る舞い。
 舌で融けるキャラメルケーキのような、甘過ぎる、 キス。
「……っ、」
 深く、深く、口唇を合わせて互いを貪りながら、思考と下肢は熱を篭らせて解放を待ち望んだ。



双方向片思い。互いにヤンデレ一歩手前
最後の一線を越え切れないのは
やっぱり相手が大事だから
通常のヤンデレが好きな相手とか
恋敵とか周囲の人間に害意がいくのと違って
ウチでは自傷行為に走ります