
#58
「え?」
「え、じゃねーよ。聞いてなかったのか」
「え、や、き、聞いてたけどッ。なんで!?」
なんで、急に?
米良さんと香織さんのマンションに行くとか?
しかも、俺を預けるとか言う話?
「バッカ。わかんねーのか、特訓だよ、特訓。
あいつらに鍛えてもらうんだよ。
お前、老化は顔だけにしとけよ。この顔面ぬらりひょんが」
「顔が妖怪ってどういう意味だよッ!!」
意味不明の(だが、悪口だというのは間違いない)兄さんの科白に。
もう、脊髄反射でツッ込みを入れてしまう。
…ああ、ココに来てからもう随分経つけど。
こんな兄さんに戸惑ったのは初日だけで。
後はすっかり馴染んじゃったよなぁ…。
慣れってオソロシイ。
「そんな説明の仕方じゃ、恒ちゃんも戸惑うだろー?
ちゃんと説明してやれよ、巧美」
「まさむねさーん!!」
兄さんが所長を任されている美国探偵事務所の…多分、2?
の、肉体派で三次元アイドルと二次元オタクな正宗さんが優しい…。
ほろり、と涙さえ浮かべてしまう。
ちょっと趣味がアレだけど。
基本的に、凄くいい人なんだよな、正宗さんって。
兄さんの次に大好きなひとだ。
『好き』に順番をつけるのは、ナンセンスかもしれないけど。
「…あーもー、めんどくせーなぁ。
社長に言われてンだよ。
バイトとはいえ、恒も一応美国の人間なんだから。
戦力として鍛えておけってよ」
「うへぇ…。そうなんだ…」
『社長』ってのは、兄さんが所長を務める探偵事務所のスポンサー。
恰幅のいい、姉御肌っていうか…肝っ玉母さん的な面倒見のいい気さくなひとで。
美国本社を取り仕切る社長さん。
忙しい人なので、余り逢ったことはないんだけど。
あくまで兄さんは『雇われ所長』って立場らしいので。
美国社長に対しては、とても立場が弱い。
なので、社長の言うことには素直に従う。
俺も、一人前として扱って貰うためには。
せめて、自分の身くらい守れるようにならないと、って。
常々思ってたから、渡りに船って感じだし。
特訓っていう響きがちょっと怖いけど。
米良さんも香織さんも知ってる人達だから。
寧ろ、めちゃくちゃな兄さんよりもマシかなって。
色々考えながらも出掛ける準備を終えると。
兄さんと一緒に二人のマンションへ向かった。
「恒君、いらっしゃい」
「こんにちは。お世話になります」
俺は詳しい事はよくわからないんだけど。
多分、指紋認証とか網膜認証とか、そういうセキュリティが掛かった。
美国の社員の専用マンションは凄く立派だった。
セキュリティ諸々、色々なモノがザルな事務所とは大違いだ。
部屋の扉を開けて出迎えてくれたのは香織さん。
すっごい常識人で、生真面目な性格のひとなので。
迂闊に冗談を口にすると、後悔する羽目になる。
あと、下ネタ系も多分…苦手。
存在そのものが冗談と下ネタのような。
兄さんとかオズ先生とかと、相性悪そうだよなー、とか思う。
あと。
キノセイかもしれないんだけど。
たまーに。
すごーく。
……メッチャ、見られてる気がするんだよなぁ。
なんでだろ?
俺、なんかしたのかな?
ちなみに、香織さんはスーツにエプロンの格好。
朝ゴハンの途中…だったのかな?
「メールしといた通りだ。コイツを頼む」
「分かりました。
メニューは任せて頂いても?」
「ああ。お前等に任せる。適当に仕上げてくれ」
…うぅ、なんか恐い話してる気がする。
応接間に通された俺は。
兄さんと香織さんの会話に耳を傾けながら。
小さくなって、ソファで出されたお茶を飲む。
ってか、米良さんは何処だろ?
「あ、あの」
思い切って声を掛けてみると。
香織さんの真っ直ぐな目が此方を向いて。
なんだか、ドキリとしてしまう。
なんだか、あの感覚に似てる。
道を歩いていて、パトカーを見た時とか。
別に疾(やま)しい事なんて何もないのに。
妙に、落ち着かなくなるというか。
「恒くん?」
「あ、ゴメンナサイ」
しまった。ボーッとしてた。
「あの、米良さんは留守なんですか?」
俺の質問に、いいや、と香織さんは首をふる。
「アイツは少し体調を崩していて、…まだ寝室だ」
「あ、そうなんですか?」
そんな時に押し掛けちゃって悪かったかな、とか。
少し、居たたまれない気持ちになる俺を気遣ってか。
香織さんは、
「だからこそ、恒くんの件を任されたんだけどな。
米良と俺はバディを組んでいるから。
余り単独では行動しないんだ。
今の状態で俺だけ護衛任務につくのは好ましくないから」
「あ、そっか」
逆に、タイミングがいいんだ?
と、ちょっとだけ、一安心。
「…まぁ、具合が悪いとは言っても、起き上がれない程じゃないとは思うが…。
声を掛けてくるから、少し待っていてくれ」
「え、いいえっ! 無理に起こさなくても!」
ワタワタ、と慌てる俺に、香織さんはふわりと優しい笑顔。
ああ、こんな笑い方も出来るひとなんだなぁって。
ちょっぴり感動してしまう。
「構わないさ。…米良は恒くんの事気に入ってるしな。
声を掛けてくるから、少し待っていてくれ」
「わかりました」
素直な返事と共に大きく頷くと。
香織さんは、雰囲気を柔らかくさせて、奥へと歩いて行った。
「なんか…、香織さんって思ったよりも付き合いやすい、かも…」
こんなに親切なひとなのに。
苦手だとか思ってしまっていた自分のダメさを反省していると。
それまで大人しくしていた兄さんが、突然立ち上がった。
「兄さん?」
目を丸くして見上げる俺に、兄さんは、すっごく悪い顔。
「アイツら迎えに行くぞ」
「へ? アイツらって?」
「決まってンだろ。米良と香織だ」
「え…、でも、直ぐそこの寝室でしょ?」
何を言っているんだろう、ってポカーンとしていると。
兄さんは、ハン、と鼻息で俺を笑い飛ばした。
「お前はだから何時まで経っても半人前なんだよ。
迎えにいかなきゃ、アイツらおっぱじめちまうぞ」
「???」
ますますワケが分からなくて。
そんな俺の首根っこを掴むようにして。
兄さんは、いいから来い、と俺を引っ張っていって。
――そして、目撃した現場は、もう色々と物凄かった。
例えるなら ⇒Σ( ̄□ ̄lll)
本当に穴があったら入りたい。うう…。
恒ワンコは筋金入りの箱入り息子だと思います。
一応、世間のしくみや在り方は理解していてるけど。
特に、イロ方面に関しては相当疎いんじゃないかと
赤ちゃんはコウノトリが運んでくるとかまでなくても
キスしたら出来るんだよって話を信じてそうです。