
#52
ちょっと、面倒な事になっていてな。
そう言って、特訓の名目で恒ちゃんを預けた巧美ちゃんは。
二、三日でケリをつけるから、と。
それまでの恒ちゃんの護衛を依頼してきた。
どうせ自宅療養なんだし、と。
報酬なんて要らないと断るのを。
タダより高いものは無いんだととの、不敵な笑顔。
先払いしてあるから、後から確認しておけよ、なんて。
探偵らしく謎めいた台詞を残して、事務所へ帰って行った。
――のが、一時間ほど前。
「さーて、恒ちゃん。
まずは、おべんきょーしよっか」
「は、はいッ!」
そわそわと何故か落ち着きのない長毛わんこは。
ピシッ、と背筋を伸ばして緊張気味にいいお返事。
そんなに気を張らなくていいんだよ、と。
犬猫にそうするように、左手で頭を撫でて。
――してしまってから、香織の視線に気付く。
だけど、これ位のスキンシップは許して欲しい。
「まず、これを見てねー」
ゴトッ、と応接間の低めの猫足テーブルの上に。
鈍く外の光を反射する、銀色の塊を置いてみる。
これが何なのか、なんて愚問。
『ベレッタMF92』
少々時代遅れだが、チューンナップを繰り返して。
すっかり、俺好みの仕上がりになってる。
「……銃、ですか?」
きょとーん、としている箱入りお坊ちゃまなお子様に。
俺は、うん、と笑顔で答えた。
「俺のスタイルは、この銃と護身格闘術の組み合わせ、ね。
でも、恒ちゃんは銃を持つ気はないんだよね?」
「…出来れば…、」
人を傷つけるなんて、今まで考えた事もないような。
そんな素直でいい子な恒ちゃんの答えは。
予想した通りのものだった。
不甲斐ないなんて思わない。
人を傷つけずに生きていけるのなら。
その道を、胸を張って歩くべきだと思うから。
「ん、りょーかい。
じゃあ、丸腰で銃を相手にするときのレクチャーからだねー」
まぁ、素人にちょっと毛が生えた位のレベルなら。
しょーじき、銃なんて持たない方がいいと思う。
「明日からは実際にやってもらうから、ちゃーんと聞いててね」
「は、はい」
実戦訓練があると耳にした途端に表情が強張る恒ちゃん。
きっと、恐い場面でも想像したんだろーなー、って。
思いながらも、そこは敢えて訂正しない。
――だって、脅える恒ちゃん可愛いし。
「まずは、相手がプロなのかアマチュアさんなのか見極めるコト、かな。
やたらと発砲してくるのは、十中八句素人さんだね。
多勢に無勢なら、兎に角障害物を利用して逃げる。
動き回れば殆ど当たらないから、足を止めないようにね」
動いている物体に命中させるのは、凄く難しいんだよ、と。
そう付け足すと、へぇー、と感心されてしまった。
うーん、やっぱり恒ちゃんは素直で可愛いなー。
香織は勿論可愛くて大好きで恋しいんだけど。
それとは全く違う可愛さがある。
なんというか…、ペット的な。うん。>
「あ、あの。米良…、さん?」
「うん? どしたの、恒ちゃん」
講義の最中に遠慮がちに問い掛けてくるワンコ。
「その、右手…。どうしたんですか?」
「え? ああ、これ? ちょっとドジっちゃってねー」
いつもは手袋の右手が、今日は包帯で巻かれていて。
実はシゴトが原因の怪我ではないのだけど。
「…米良さんが怪我なんて、よっぽど難しいコトだったんですか?」
なにやら、心酔されてるっぽい科白がくすぐったい。
ヘンな下心や執着があるわけじゃないから、素直に受け取れるんだけどね。
「あはは、俺だって失敗くらいするよー。スーパー●ンじゃないんだから」
「そ、うですよね。そっか…。
やっぱり護衛の仕事って危険なんですね」
「そりゃねー。でも、あんな危険地区で。
探偵業やってる恒ちゃん達だって似たよーなもんだよぅ?」>
「え、…あの辺。そんなに治安悪いんですっけ?」
キョトン、とされる。
これは本気で気付いてないなー、と。
保護者の影の努力に涙ぐむ。
「意外と悪いんだよー、あの辺は。
まぁ、もっと悪いとこもあるけど…。
事務所を構えてるトコは、ちょーどカタギとの境界になるのかな」
「…むー、知りませんでした。
そんなトコに事務所を構えて…、
自分の身だって危ないのに、ホント兄さんは何を考えてるんだか」
「恒ちゃんは、いっつも兄さん兄さんだねぇ」
「…う、おかしいですか?」
バツが悪そうに畏まる恒ちゃんの頭をよしよしと撫でて。
そーんなことないよー、と笑顔を振りまくと。
ワンコな恒ちゃんは、目に見えて嬉しそうにした。
「そ、そうですよねっ!
俺と兄さんは兄弟なんだし、別に心配するのが普通ですよね!」
「ふふ、恒ちゃんは巧美ちゃんが大好きなんだね」
「……え、と。はい、俺は…、うん」
……あれ?
ここはしっぽフル回転で全力肯定するトコだよね。
ちょっと、何時もと様子の違う恒ちゃんに、寧ろ此方が戸惑ったり。
「…どしたの?」
「――… ん、いや、…なんでもないです」
うそ。
こんなにも分かりやすい嘘を吐く子はちょっと珍しい。
箱入りとは此のことかと、妙に感心してしまう。
「なんでもないってコトないよね。
どしたの? 俺で良ければ相談にのるよ?」
「……う、」
チラリ。
泣きそうな表情で上目遣いは卑怯だと思う。
なんというか、物凄い庇護欲がそそられる。
「…兄さんが…」
「巧美ちゃんが?」
巧美ちゃんの奇行なんて今に始まった事じゃない。
だから、素っ裸で往来をウロウロするだとか。
道端でイチャついてるカップルにイヤガラセするとか。
そういう日常茶飯事なコトじゃないんだろうけど。
「最近…、余所余所しくて。
なんだか避けられてる気がするんです」
しょんぼりする恒ちゃんに、ありゃ、と内心で溜息。
理由は明白。
おそらく、実家絡みの問題が起きてて。
恒ちゃんを巻き込みたくないんだろうなー、って。
けれど、それを俺の口から言うのは筋違いかな。
「うーん、そりゃ巧美ちゃんだってお年頃のオトコノコだし。
身内とはいえ、知られたくないコトのひとつやふたつ…」
「それはっ…! …そうかも、しれないですけど」
拗ねたようにそっぽを向くワンコが可愛くて。
よしよし、と繰り返し頭を撫でる。
滑らかな指通りの髪が気持ちいい。
「ホラ、もしかしたらいい人に会いに行ってるとかー」
「!」
「だったら、逆に恒ちゃんには照れ臭くて知られたくないんじゃない?」
「……!!」
「探偵業なんてやってると、色んな出会いがあるだろうしねー」
「………!!!」
動揺してる、動揺してる。
恒ちゃんを溺愛してる巧美ちゃんが。
他の人間に目を向けるわけがないって。
分かり切っているけど、まぁ、これ位の意趣返しは、ね。
香織のカッコで別れ話なんてタチの悪い悪戯を仕掛けられたし。
まぁ、ホイホイ騙される俺も俺だけどね。
「めッ……、」
「うん?」
プルプル震える両肩とか、不安に揺れる瞳とかに、ちょっと罪悪感。
「米良さんは、その、……、
にっ、兄さんにそういう人がいるって何か――…?」
「俺は何も知らないよー。
でも、そういう事があってもおかしくないかな、って」
「………」
ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間。
俺の科白に、ワンコはきゅ、と辛そうに表情を曇らせた。
「恒ちゃんは、ホントに巧美ちゃんが好きだね」
「…そりゃ…、そうですよ。俺にとって、唯一の家族ですから」
「あれ? 他にはいないの?」
確か、じーさまがいるとか巧美ちゃんが言ってたような。
若しかして養子とか――、なワケなさそうだけど。
「血が繋がってるだけの人間はタダの血縁者ですよ。
俺が家族と呼べるのは兄さんだけです」
何時になくヤサグレた雰囲気に、ちょっとびっくり。
荒んだ目に意表を突かれたというか。
「……そか。まー、色々あるよね」
そんな大切な家族の兄さんは。
『家族愛』なんかの生温い感情で収まらない。
劣情を恒ちゃんに抱いているなんて、露とも思わずに。
(…これは、巧美ちゃんに…。>
ちょーっと、同情しちゃうなー)
据え前がすぐ隣の距離に用意されているのに。
絶対に食べないように自制しているなんて。
気の毒としか言いようがない。
「でも、恒ちゃんもその時が来たら兄さん離れしないとね」
「…え?」
「もし、巧美ちゃんに好きな人ができて。
結婚します、ってなったら。
そんな時までずーっと一緒ってわけにはいかないでしょ?」
「……う、」
「事務所で一緒にお仕事は出来るだろうけど。
一緒に暮らすのは…、ね。
色々不都合な部分も出てくるしね」
「…そう、ですよね」
しょんぼりと項垂れる恒ちゃん。
不都合な部分=オトナの事情って事には恐らく気付いてない、かな。
「俺はずっと兄さんと一緒にいたいですけど…。
そういうわけにもいきませんよね。
お互い大人なんだし…」
まだまだコドモのくせに。
恒ちゃんは時々妙に物分りがいいというか。
聞き分けがいいというか。
諦めグセがついているというか。
若いんだからもっと体当たりでいいのにな、って思う。
「んー…、巧美ちゃんと、
ずーっと、一緒にいられる方法はないでもないけど…」
「え?」>
何気なさを装いながら切ったカードに。
恒ちゃんは警戒心の欠片も無く飛びついてきた。
「ふふ、知りたい?」
「知りたいです!」
そんな魔法みたいな方法があるなら。
藁にも縋る気持ちでいっぱいなワンコに。
簡単だよ、って伝えたコトバは。
箱入り息子な恒ちゃんには。
ちょーっと、刺激が強過ぎた。
恒にちょっぴりイタズラ
巧美へちょっとした意趣返し
そろそろ二人も進展してもいい頃合い
想い合うだけで満たされるなんて
キレイゴトは18歳未満でオシマイです。