#70




 仔犬をだっこしたまま。
 数十分位歩いて、到着したのは正宗さんのアパート。
 古いけれど規則が緩いと言っていただけあって。
 階段の吐き掃除をしていた管理人さんに。
 ジロリ、と手許のワンコを見られたけれど。
 特に咎められる事無く、部屋へ入れた。
「……うわ。」
 ある程度想像ついてはいたけれど。
 正宗さんの部屋は、ゲームと美少女フィギュアと、抱き枕と――…、
 なんだろこれ、美少女…、が描いてあるカード?
 とか、とにかく諸々のアッチ系の世界が広がっていた。
 その中に、三十キロ表示の片手ダンベルが転がってたり。
 本棚の一部がお菓子や料理の本だったりして。
 ああ、正宗さんの部屋だなぁ、って感じ。
 けれど、流石に美羽さんのトコみたいに散らかってない。
 物の数自体は多いけれど。
 整然と並んでいる所為か、片付いている印象を受ける。
 部屋の手狭感だけはどうしようもないけれど。
「恒ちゃん、わんこは取り合えず此処に置くと良いよ。
 丁度空きダンボールがあって良かったわ」
 ぺちゃんこに折られていた段ボールを元の形へ復元して。
 その中に古くなったタオルを敷き詰めて、正宗さんが言う。
 深皿に水を張って隅に置くのも忘れない辺り。
 見た目からは想像つきにくいが、かなりの気配りの人だと感心する。
「さって、落ち着いたところで。はい、これ今日の新聞」
「あ、はい」
 大人しくしているわんこを簡易犬小屋? にそっと下ろして。
 投げられた新聞を受け取ると、確かにワンコの情報が写真付きで載っていた。
 それも、本来ならセンセーショナルな事件や。
 社会的注目度の高い話題で飾られるはずの、紙面トップを独占。
「あー…、確かに似てますね。首輪も同じっぽいし」
「似てるもなにも、ほれ、記事を良く読んでみ?」
「え? えー、っと?」
「特徴のトコ。ベロの左側に斑点模様の黒い痣」
「あ!」
 さっきミルクをあげたときに、そんな痣があったのを思い出して。
 これはもう確定だと、俺は正宗さんに頷いた。
「でも、どーしましょう。普通に電話して引き取りに来てもらいます?」
「まー、それのが楽でいいけど。
 ヘタに外をうろうろして小金目当てのチンピラに捕まるのも面倒だし」
「そうですね。…あ、でも、米良さんに連絡しなくていいですかね。
 一応、拾い主は俺達じゃなくて、米良さんだし」
「んー、飼い主見つかればいいんだろーし。べっつにいいとは思うけど」
「…でも、」
 気心の知れた仲とは言え、一応、仕事として受けた内容だ。
 そんな匙加減でいいものかと言葉を濁すと、
 気になるなら、電話してみよっか、と正宗さんが提案してくれた。
「え、正宗さん、米良さんの電話番号知ってるんですか?」
「そりゃね、一応勤め先の関係者なんだし。
 俺が直接連絡する事は殆どないけどさ」
「あー…、そっか。そうですよね」
 忘れてた。
 米良さんや香織さんは、親会社の人で。
 だから、お仕事上連絡先を知っていてもおかしく無いと言うか。
 寧ろ、知ってなきゃ駄目なレベルの話だ。

 ――…俺は知らないけど。
 ただのバイトなんだし、仕方無いと自分に言い聞かせるものの。
 疎外感にちょっとだけいじけた気分になりながら。
 うとうと船をこぎ始めたわんこをぼんやり眺める。
「あー、ども正宗です。朝からすみません、寝てました?
 ん、 うん、あはは。ゴメンゴメン、悪かったって。
 そう、ウチで預かってる仔犬の件で…、ああ、うん。
 ああ、そっか。なんだ、ソッチでも分かってるんだ。
 そうそう、で、うん? え、いいの?
 りょーかい、じゃあコッチで引き渡しておくわ。
 報奨金っちゅーか、懸賞金? はどーする? ああ、うん。
 りょーかい、りょーかい。
 どーせ、悪い事して儲けたお金だろーし、貰っときますねー」
 ――と言う事らしい。
 正宗さんの台詞しか聞こえないけど。
 だいたいの内容は推測出来た。
 流石に、それ位の能力はある。
 米良さんとの会話を終えた正宗さんは。
 そのまま新聞掲載の連絡先へ電話を掛けて。
 飼い主が現れるまで、暫し、待ちの時間になった。



「いやー、でもラスティが現れるとは思わなかったよな」
「ホント。朝っぱらから吃驚しましたよ。
 てか、あの人普段も怪盗やって生計立ててるんですかね」
「自称義賊なんだし、イチオ、ちゃんと働いてるんじゃない?」
 淹れたての珈琲を手渡してくれる正宗さんが言う。
「なんか、あのラスティがマトモに働いてるとこなんて想像つかないです」
「いや、でも世話好きだし器用そうだしウルサイけど明るいし。
 なんていうか、細々と元気に働くイメージあるな」
「あー、そう言われれば…」
 素直に同意する俺に正宗さんは更に続けた。
「性格がちょっとアレだけど、意外にいいお嫁さんになったりね」

 ――…。
 お嫁さん、なんて。
 なんてことのない響きに、胸の奥がしくりと傷んだ。

「正宗さん、兄さんって、いい人いるんですかね」
 そして、咄嗟に口をついて出ていたのは、そんな言葉。
 唐突な話題に目を丸くした正宗さんは。
 ナイナイ、とカラリと笑って否定して見せた。
「あの、巧美に限ってそれは無いわー。
 どしたの恒ちゃん、急に」
「やっ、え、いえっ、その。
 ……さっき、ラスティと並んでる兄さん見てたら、なんか、急に…。
 そういう事もあるのかな、って思って、 」
「あー、恒ちゃん筋金入りのブラコンだもんね。
 巧美に恋人とか出来ちゃったら、寂しいもんなぁ」
 ……米良さんや羽井さんと違って。
 ものすごーく、健全な思考回路の正宗さんにホッとする。
 ここで、またアレ系統の話を持ち出されたら、ワタワタしてしまうと思う。
「てか、逆に恒ちゃんはどうなの?
 兄さんにベッタリっても、女の子にキョーミ無い訳じゃないよね。
 好きなタイプとかどうよ?」
「え。な、何ですか急にっ」
 この手合いの話は結構苦手だったりする。
 ロマンチックな恋だとか、運命的な出会いだとかには憧れるけど。
 具体的に、これこれこういう娘が好きだとかは無いんだよね。
「ほらほら、あるんじゃない?
 胸のおっきな娘が好きだとか、足がキレーな娘がいいとか?」
「…う。そっ、そういう正宗さんはどうなんですか?」
「ん? 俺?
 俺は何でもイケる。※但し二次元に限る※」
「………」
 そうでした。正宗さんのオタっぷりこそ、筋金入りでした。
 三次元にはほぼ興味が無いと豪語する上に。
 実際、その通りなので凄いと言うか。
「で、恒ちゃんはどーなのよ。ん?」
「ど、どうって言われても…。そんな急に好みのタイプとか思い付かないですよ」
「えー、黒髪ロングがいいとか、ポニテが萌えるとか。
 白いうなじ後れ毛がぐっとくるとか、ふくらはぎの太さにこだわりがあるとか。
 ミニスカにニーソがいいとかヒロインはピンク髪が鉄板だよね、とか色々あるでしょ?」
 ……最後辺りは、何か違う気がする。
「って、言われても…。うーん…、……優しい娘?」
「優しいって…、漠然としてるなぁ。
 もっと、こー。年上がいいとかむっちり系がいいとか無いの?」
「えー…、うぅん…。
 アイドルとか女優さんとか普通に可愛いなぁとか綺麗だなーって思いますけど。
 こう、具体的に考えた事が無くて、実感湧かないというか…」
「まぁね、恒ちゃんだし、仕方無いか。
 あ、そーだ。例えば、巧美がお姉さんだったらどう? ぐっとくる?」
「……………………」
 兄さんが、巧美姉さんだった、ら?
 突然振られた喩え話に、思考が停止した。
「………好みだとかそれ以前に、諸々の問題で頭を抱えそう無きがします」
「あはは、まーね。
 あの数々の奇行を女体でやられちゃ堪んないか」
 大体、兄さんは兄さんであって、そりゃ兄さんの事は好きだけど、
 決して、そういう意味での『好き』でも無いし。
 ――…と、思う。
「その点、米良さん達は相性抜群だよねー。
 三次元であーゆー出会いがあるのはホント幸運だと思うわ」
「え?」
「あの二人の好きなタイプって、正に今の相手なんだよ。凄いよね」
「そう…、なんですか?」
 へぇ、って相槌を打つ。
 そりゃ、公私ともどもあれだけ熱々の恋仲なんだから。
 お互いが好みのタイプと言われれば、そうなんだろうなぁって納得。
「そそ、米良さんは真面目な年下が好みらしーし、香織君はスレンダーな年上美人が好み」
「…うわ、ドストライク」
 二人の姿を思い浮かべて、感心してしまう。
「てか、良く二人の好みのタイプなんて知ってますね。正宗さん」
 米良さんは結構こういう話にノッてきそうな気がするけれど。
 スッゴイ生真面目でそれ系統の話が苦手そうな香織さんは。
 答えてくれ無さそうな気がする。
「ソース元は黒(ヘイ)さんな」
「あ、以前ウチにきたカッコイイ人ですね」
 渋い大人の男って感じのひとで、やっぱり美国の関係者。
 一時期、香織さんの教育係をやっていたらしいから。
 そういう個人的な事を知ってても、おかしくは無い。
「恒ちゃんも、そーゆーひと出来るといいよね。
 恋はいいよー、幸せになるよー?」
 ウキウキと語る正宗さんの手には、肌色の多い萌えキャラの抱き枕。
 …、まぁ、在る意味幸せそうではあるけど。
 どうも、説得力に欠けると言うか。
「俺は、暫くそう言うのはいいです」
「あ、寂しーんだ。いけないなぁ、青少年。そういう不健全な事言っちゃ」
 人生の先輩らしく、尤もらしい事を言う正宗さんの手には、魔改造美少女フィギュア。
 だから、説得力に欠けるってば!
「別に兄さんの事だけで言ってるわけじゃないですよ。
 実家の件もあるし」
「うん? 何か問題でもあるの?
 あ、家柄の問題とか? お金持ちってうるさそうだもんね」
「当たらずとも遠からずです。
 もし、兄さんが家督を放棄した場合、俺があの家を継ぐ破目になるんですけど。
 そーすると、自動的に兄さんの婚約者を宛がわれるんですよねー…」
 溜息。そういえば、兄さんの婚約者って今どうなってるんだろう。
「え、婚約者? 巧美に?」
「そうです」
「マジ?」
「マジっす」
「…うーわー…、イマドキの日本でもそういう話ってリアルにあるんだねぇ」
 そりゃ、実家を飛びだしたくもなるわー、と。
 珍しく本気で兄さんに同情する正宗さんだった。



正宗は基本ノーマルオタです。
恒ちゃんは、ブラコン以上恋心未満の気持ちにぐるぐる
いくところまでいってる米香と違って
巧恒はすごーくもどかしい感じですね