#77




「で、どうしたの? 急に」
 君人くんに引っ張られてスタッフルームを出た後。
 自分で連れだした癖に、どうしらいいのか。
 途方に暮れるワンコの髪を撫でて。
 取り合えず、園内の洒落たカフェまでやってきた。
 コーヒーとレモネードをどちらもアイスで。
 冷房の効いた店内は涼しい。
 丁度、ランチのピークは過ぎた頃で。
 すんなり空席へ案内して貰えた。
「…すみません、俺…」
「そんなに謝らないでいいよ?
 ほら、レモネードも早く飲まないと薄まるよー」
「………」
 促されて、角氷も涼しげなグラスに口をつける君人くん。
 しょげかえる姿に、何時のも覇気は無い。
 本当にどうしたのかなぁ、って。
 アイスコーヒーに挿しこまれたストローで。
 カラカラと氷をかき混ぜて遊びながら。
 硬く結んだ口が開くのを根気強く待ってみる。
 あけっぴろげで素直な君人くんだけど。
 こうと言う時の口の重さは香織並みで。
 そこも含めて気に入っているんだけどね。
「…米良先輩、俺」
「うん?」
 よーやく、事情を話し始めてくれたのは。
 アイスコーヒーを全部飲み終えて。
 ちょっと口寂しいから何かつまもうか?
 なんて、カフェのメニュー表をパラリめくっていた時だった。
「黒先輩とのパートナー解消になりそうなんです」
「え。」
 初耳だった。
「エート、それは卒業の意味で?」
 美国の研修制度は一般企業のソレとは大きく異なっていて。
 例えば三カ月や六ヶ月の、予め定めてある期間が過ぎればOKだとか。
 研修卒業テストをクリアすれば一人前だとか。
 そういうものではなく。
 教育係の胸先三寸。
 師匠役のベテランさんに、太鼓判を押して貰う事が全てだから。
 何年も半人前扱いの子も結構いる。
 それでも在る程度の延長期限は設けてあって。
 五年がタイムリミット。
 多くの子が三年ないし四年で卒業する現行制度だけど。
 確か、君人くんは今年で三年目だったと思う。
 そろそろ親離れしてもいい頃合いで。
 ちょっとウッカリ慌てん坊なところはあるけれど。
 俺の見立てでも、問題無さそうだし。
 一人立ちにはいい時期だとは思うんだけど。
「…違くて、フツウに解消みたいッス」
「えー? 珍しいね」
 教育役が途中で役を降りるなんて、異例。
 や、確かに前例もあるんだけど。
 基本、事故で引退を余儀なくされたとか。
 一身上の都合。
 例えば、身内の病気だとか?
 そういう、どーしようもない事情でってのが殆どなんだけど。
「黒さん、どーかしたの?」
「別に、引退とか、そういうんじゃないみたいです。
 ――単純に、俺の教育係を降りたいって…」
「直接言われたの?」
 ブンブン、と首を振って否定する君人くん。
「水槻(みつき)部長に相談してるのを…、
 立ち聞きするつもりは無かったンすけど」
「あー、そっかぁ」
 と言う事は、まだ決定事項では無いらしい。
「でも、だったら誤解かもしれないよ?
 ちゃんと、黒さんに聞いてみた方がいいんじゃないかな」
「………それは、そうなんですけど」
 ぐ、とテーブルの上に乗せた拳を握りしめる。
 きっと確かめるのが怖いんだろうな、って。
 君人くんにとって、黒さんは憧れの人らしく。
 そういう人に、自分を否定されるのは辛いだろう。
「俺…、黒さん以外の人なんて嫌です。
 いや、そりゃ俺みたいな半人前が相手を選ぶなんて生意気ですけど。
 でもっ、ずっと黒さんに教えて貰って!
 最近ようやく射撃の腕も上がったなとか。
 ちょっとずつ認めて貰えるようになったのに…っ」
 余程、今回の件で心をエグられているんだろう。
 泣くまいと涙を堪える姿に、なんだかほんわかする。
 可愛いなぁ、なんて。
 目を細めて呑気な感想。
「うんうん、よしよし」
 しょんぼりと俯くふわんふわんの頭を撫でて慰める。
 凹みまくってる君人くんには申し訳ないけれど。
 正直、黒さんが君人くんを手放すとは思えない。
 だから何かの誤解じゃないかなー、と。
「兎に角、本人に確認しない事には、ね?」
「…そう、なんですけど」
「よし。じゃー、きいてみよー」
「えっ、ちょっ、米良先輩ッ!!?」
 マジで!?
 携帯を取り出した俺に大慌ての君人くん。
 勿論、俺は大マジです。
「もしもーっし、俺です、俺おれー」
「めっ、米良先輩!! ちょ、勘弁して下さい!!」
「あはは、大丈夫詐欺じゃないから。
 えーと、そう、うん、今?
 君人くんと園内のカフェにいるよー。
 あ、俺はちょっと離れて電話してるけど」
 しぃ、って黙っているように、人差し指を立てて。
 静かに携帯に近付くように、目配せも付け加える。
「……っ、」
 何かまだ言いたそうにして。
 けれど、諦めて大人しく顔を寄せてくる君人くん。
 ケータイから届く黒さんの声を拾える距離。
 不安で逃げ出したいのを我慢してるような。
 そんな表情(かお)可愛くて、口許が綻んでしまう。
「…うん、そう、その件なんだけどさ。
 君人くんとバディ解消するってホント?」
『…なんでお前が知ってンだ』
 あれ、否定しない。
「君人くんに聞いたんだよー」
『あー…、それでアイツ様子が変だったのか。
 何処から聞きつけたんだか、目敏くなりやがって』
「あれ? ホントなの?」
『まぁな』
 直ぐ隣で君人くんが息を呑む気配がする。
 突き付けられた肯定の言葉、真実、傷付く瞳。
「うーん、余所のバディ事情に口を挟むつもりはないけど。
 急にどしたの? 黒さん君人くんと相性いいでしょー?」
『残念ながら、良過ぎる程良好だ。
 君人は阿呆だが、元が空な分モノ覚えもいいしな。
 馬鹿みてェに懐かれるのも悪くない。
 それが逆に、な』
 意味深な物言いに、おや、と。
 無言の圧力で、先を促す。
『……遣り難いんだよ。どーもな。
 アイツの無駄にキラキラした目に毎日晒されてみろ。
 ――…堪んなくなるわ、実際』

「――っ、なんスかそれっ!!」

 例え告げられる内容が辛くとも。
 一言一句、聞き洩らすまいと構えていた君人くんが。
 バッ、と俺の携帯をもぎ取って、黒さんに噛みついた。
『……っ、な、君人!?』
「聞いてました! 全部!!
 何スか今の!! どういう事――っ、あっ、切れた!!」
 ムキになって、リダイヤルするけれど。
 勿論、出るわけが無い。
 掛け直しては留守電、切っては掛け直す。
 延々と同じ行為を繰り返した後に、
「〜〜っ!! 着信拒否ぃ!?」
 素っ頓狂な君人くんの叫びがカフェに響き渡った。
「米良先輩ッ! 今のどーゆーことッスか!!」
 そして、どうにも行き場の無くなった怒りの矛先は此方へ。
 うーん、とばっちり。
「…って言われても、本人に訊くしかないんじゃないかなぁ…?」
 両手を胸の前に広げて、降参ポーズ。
 香織もそうだけど、十代の子が本気で怒ると。
 ちょっと手に負えない。
 ガシッ、と目の据わった君人くんに。
 黒先輩を探します。
 手伝ってくれますよね!?
 なんて、思い切り迫られて、勢いに頷くしかなかった。



バカップルの喧嘩は
巻き込むのはいいけれど
巻き込まれると大変です