鉄錆
スラム育ちの成り上がり。
この世に産み捨てられた命。
駅のコインロッカーの中で衰弱して死にかけていた所を駅員に発見され、貧民街の教会で似たような身よりの連中といっしょくたにされ。
五つの頃には、孤児院兼教会だったその場所を飛び出していた。
酷い場所だった。
牧師とは体面ばかりのアル中の男に、娼婦まがいのシスター。懺悔室は奴らのお気に入りのファック場所だ。
政府からの僅かな補助金は全て親代わりとは名ばかりのイカレ共に巻き上げられ、俺達は自力で生きていくしかなかった。
その為に、
何でもやった。
いや、やるしかなかった。
窃盗、恐喝、暴力、誘拐、強盗。
そして。
――…殺戮。
自分の運命を呪ったことなんてない。
もしも、なんて、考えるだけ時間と労力の無駄にしかならない。
今まで歩んできた道を、どれ一つ後悔なんてしていない。
それら全て、今の俺を形作るのに必要不可欠だったからだ。
そうだ。
後悔なんて、していない。
この先も、
しない。
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例 え、どんな 事 があったとしても。
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NAアストロレンジャーズというUSA強豪チームを纏め上げるチームリーダー、ブレット。厚いゴーグルで常に素顔を隠し、どのような局面においてもクールに物事を判断出来る逸材。流石、未来の宇宙飛行士といったところか。
ゴーグル越しに微か見て取れる端正な顔立ち、紳士的で落ち着いた振る舞い、覇者のカリスマ。
何一つ非の打ち所のない完璧さ。
それが、彼――だった。
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WGPも中盤に差し掛かり、いつものカリキュラムをこなして寄宿舎の部屋へ帰った時だった。
同じチームのエッジとたわいのない事を話しながら、通路を歩く。
彼ら、グランプリレーサーには個別に部屋が用意されていた。
部屋の扉の前でエッジと別れの挨拶を交わし、また明日、と軽く手を上げると、ブレットは自室へ入ろうとする、が。
「………?」
床と扉の隙間に丁寧に四つ折にされた紙切れが、一枚、差し込まれていた。
「なんだ?」
何気なく曰くありげなそれを拾い上げ、ブレッドは部屋の中へ。
今日もハードな練習でくたびれたマシンを調整する為に、そっと机の上に置くと、ベッドに体を投げ出し仰向けの状態でブレットは紙片を開いた。
と、目の奥がチカチカとして、ふぅ〜っと溜息をつく。
流石に一日中ゴーグルをしていると視神経に負荷が掛かりすぎるようだ。
枕元に超小型コンピューターであるそれを外しておき、再び、ブレットは白い紙に走り書きされた文字に目をやった。
「………………」
口元が、皮肉に歪められ。
「……成る程…な」
涼しげな目元に、微か、侮蔑と嘲笑、そして哀れみの色。
「仕方ない、バックブレーダーのメンテは帰ってからだな」
呟いて、エリート中のエリート集団と謳われるアストロレンジャーズ、リーダーであるブレットは、例の紙片を細かく千切ると、それをまるで紙吹雪のようにしてダストボックスに降らせたのだった。
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皮ジャンに厚みのあるゴーグル。
足下にはワイルドさを強調したブーツとシンプルスタイルが洒落たジーンズ。
普段着に服装を変えたブレットは、誰にも気付かれることなく寄宿舎を抜け出した。
裏工作はチームメンバーのエッジに頼んであるので万全だ。
こういった事柄に最も適しているのはエッジだ。
部屋を抜け出す理由を詮索するでもなく、いらぬお節介を焼いてくるでもなく、一言、いいぜ、とだけ返してくれる。その気質が気に入っている。
「…ふーっ、…それにしても……懲りないものだな」
呆れ返るブレットだが、それでも無視するわけにもいかない。
相手が強硬な手段を選択する危険性があるからだ。危害が及ぶのが己だけならば大して問題にもならないのだが、チームの他のメンバーや、あまつさえ他国のチームの連中にまで粉をかけだすかもしれない。
後先考えないバカの手綱を引っ張るのも大変だ。
グランプリレーサー達が泊まり込んでいる寄宿舎の近くの市民公園の入り口で、ブレットは足を止めた。
すると、待ちかまえて男が一人、寄ってくる。
向こうが『大人』だと言う事に少なからずの動揺をみせるブレットに、しかし、無遠慮に男は近づいた。
「よぉ…………ブレット…」
鼻につくきついアルコール臭。
尊大な態度でこちらを見下げてくる相手は、泥沼のような瞳を奇妙に笑みの形に歪めた。
「…久しぶりじゃねーか…、覚えてるだろ。俺だよ、お・れ」
「……どなたか存じ上げますね。此方の手紙は貴方が差出人ですか、このような真似は金輪際止めていただきたい」
心当たりもない眼前の男は、無精で伸ばされた髪の間にある濁った眼をぎょろりと動かし呻いた。
「ずーいぶんいっぱしの口きくようになったじゃねーか、23番街の野良犬が俺にせっきょうくれるたぁー…、笑わせるぜぇ」
「……?」
やはり、この男は己の過去の遺物らしい。
そう、異物。
過ぎ去った思い出の中から這い出た怨霊、忌まわしい存在(。
「………」
ブレットは、以上の問答を諦め背中を向ける。
執拗に行為を繰り返すようなら、二度と刃向かえぬようにしてやればいいだけだ。
風を切り、颯爽と歩きだしたブレッドに向かい、男は声を張り上げた。
「おいおい、育ての親を無視たぁ、しつけがなぁってねェなあ。しつけがよォ」
「ッ………!」
ゆっくりと、肩越しに見遣ってくるブレットに満足してか、男は途端鼻歌でも歌い出しそうな陽気さだ。
「おーおー、やぁっぱり覚えてくれたんだなぁ。
テメェは野良共の中でも頭の回転がよくてよぉ…腕も立つわ、いや、俺はよく覚えてるぜぇ。てめーがぁ、………なァ、覚えてるだろ? ………」
「………金、か…」
「おうおう、話がはえーな。おうよ、金だ金。お金様だ。
都合つくだろ? なにせ、宇宙飛行士の卵さま。将来を嘱望された栄えあるエリート様だ。……………なぁに、ちぃっとばかしよ」
「……何故、ここに?」
「ん? ああ、ちぃっとな。おシゴトよ。シ・ゴ・ト。
荷運びがあってな、ま、そこら辺はいいだろ? それより、金だ。なぁに、欲なこたぁいわねーぜ。ちょいと一万$…百万程度でいい」
「……で、その次は二百万で次は三百万…か?」
色濃いゴーグル越しに、アイスブルーの眼差しが鋭くなる。
「――…話がわかるじゃねーか、なぁに、お前なら軽いだろそれ位よォ。周りはカモだらけときてやがる…」
下卑た笑い方をしてみせる男に、ブレットは静かな口調で断言した。
「お断りします、アイディオール牧師。貴方の要望には応えられません」
「…………はぁっ!?
てめーはよォ、立場ってもんわかってねーのかよ。俺が一言オフィシャルにタレ込めばどーなるかなんてぇ……わかりきってんだろォ?」
「………で?」
何処までも冷静なブレットの様子が余程カンに障ったのだろう。男は激昂して両の拳を振り上げた!
「よォ!! どーやら一度痛い目あいたいよぉだなぁっ!?」
「………やれるものなら」
泥酔した男の拳など当たるはずもない。終いには、千鳥った足がもつれて自ら地べたにもんどりうって倒れ込む。
「……クソッ!! 覚えてやがれ、散々世話になった俺をここまでコケにしやがってぇっ!! てめぇを、俺と同じ所まで引きずり堕としてやるぜ!!」
「…好きにすればいい」
「………チッ!!」
如何にも小物らしい捨て台詞を言い捨て、男は去る。
過去から抜け出した遺物を、何ら感情の浮かばぬ瞳で送るブレッドの背後に、ふいに現れた気配が言葉を発した。
「……いいのか」
「! ――…カルロ・…セレーニ…」
現在、並み居る強豪の中の頂点に立つイタリアチーム、そのリーダーであるレーサーだ。
華奢と言い得ても構わぬ程の痩身と、綺麗に整った顔立ち、繊細な銀髪。深海の色をした眼差しは常に挑戦的に閃いている。
個性的で魅力的なグランプリレーサーの中でも特に人目を惹く少年だ。かく言うブレットとて、強豪チームのリーダーという理由だけでなく興味を抱いていた。
「…見てたのか」
「なんであんなのに、テメェみてぇなエリート様が脅迫されてンだ」
ブレットの質問には一切答える気はないらしく、更に深く聞いてくるカルロ。嫌味も忘れない辺り、エリート嫌いは相当根深いらしい。
「……さぁな」
「――フン、……テメェは手緩いンだよ。あの手合いはしつこ…い…」
他人事なのに、本心から腹立てているようだった。鋭利な海色の眼(まなこ)に燃える激情。この目に睨み付けられたら、きっと気持ちいいのだろう。真っ直ぐな感情。
怒りを滲ませる横顔を、
……掛け値なしに、綺麗だと思った……。
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「っに、しやがンだテメェッ!!」
口内を犯す前に、正気に返られて。内心でチッと舌打つブレット。
余りにも唐突に、それも訳も分からず接吻けられて、銀の鬣を逆立てて怒るカルロの拳をひょいっと身軽にかわしてブレットは距離を取った。
見ると、微かに頬を染めて此方をねめつける綺麗な二つの輝きにぶつかる。
意外にウブな反応をしてくれるじゃないか、と。向こうに聞き咎められたら更に怒りを煽りそうなそんな台詞を、いけしゃあしゃあ心で吐きながら。
「……カルロ」
「なんだっ…!?」
「もう一度してみないか」
バキィッ…!!
今度こそ、カルロの繰り出した右ストレートの餌食となるブレッド。
「……ざっけんな!」
まぁ、至極当然の反応だ。
突然キスされて、しかも、理由を問いただせば答えず、更にもう一回などとは。厚顔無恥っぷりにも程がある。
殴られた頬を撫でながら、しかし痛みに顔を顰めるでもなく。ブレッドは口端を僅かに持ち上げて、土で汚れるのも構わず地面に腰を下ろした。
口の中に広がる鉄の味。
そんなものすら、愉しみながら。
「ヘラヘラしてんじゃねェよッ!!」
捕らえどころの無いブレットの様子に、更に感情を逆撫でされてカルロは声を荒げ、右腕を振り上げた。
再び顔面を狙った拳はしかし、軽く受け止められ、捕えられた腕を引き寄せられた。
「………ッ!」
顔からブレッドの胸に倒れ込む形となって、息をのむカルロだ。
何をっ、と、視線を上げれば、有無を言わさず口唇を奪われてしまった。鮮やかな手口だ。
「ッ、ン………〜〜〜! ……!!」
こともあろうに、舌まで差し入れてくる。
このまま口内を蠢くものを噛みきってやろうという凶暴な気分が湧き起こるが、互いの唾液が混ざり合うと同時にかすかな鉄の味を感じて、気が削がれた。
一見して、さほど身長に差があるわけでもないのに、己の痩躯が禍して腕力では到底かないそうもなく。
長すぎる、一方的な口づけを。
受け止めるハメになったのだった。
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「………リーダー? どうしたんだ、それ」
寄宿舎に夜遅く帰ったブレットの、その顔面の青痣にぎょっとして尋ねるエッジに、
「ちょっと、な」
と、曖昧に答えながら。
悪くなかったな、などと、不埒な感想を抱く辺り。
まだまだ懲りていない、アストロレンジャーズ、チームリーダーなのだ。
「ま、愉しみはこれからってことか…」
「? なーんか言ったかー? リーダー」
「いーや」
「?」
珍しく、ご機嫌でいるブレットに。エッジはわざわざ管理人詰め所から借りてきた救急箱片手に、不審がってみせたのだった。
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ブレットはヘンタイだと思います
そんな彼が大好きです
変態万歳☆