支配の鎖
サイケデリック・ラヴァー
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「…何故、コイツがここにいる」
人目を避けセキュリティシステムを掻い潜って、アメリカチームのNo.2の地位にある赤毛の少年に連れられ、ブレットの部屋へやって来た銀髪痩躯のレーサー、イタリアが誇る最強の暴れ馬カルロ・セレーニは開口一番、在りえぬ人物に視線を遣って吐き捨てるように漏らした。
「やぁ、こんにちは。初っ端からご挨拶だね。そんなに毛嫌いしないでよ、カルロ君?」
「気安く呼ぶな、虫唾が走る」
「あはは、流石にこの状況じゃ猿芝居は放棄みたいだね。
それが素? 唯我独尊手前勝手野郎なブレットが惚れ込んでるだけあって、いいね。
なんていうのかなー、酷くゼクスィだよね。征服欲とか加虐心とかそそりまくり」
「………」
ミニ四駆に於けるサーキットの貴公子と持て囃される、"上流階級"が服を着て歩いているようなお貴族様的容姿を裏切る俗な台詞に意外そうに眉を潜めるものの、カルロは直ぐに不機嫌さを前面に押し出した表情へ戻る。レーサー同士の交友を深めに来たわけでもあるまいし、温い仲良しごっこは余所でやれと、苛立ちもそのままに本来の目的である米国チームのリーダーを、殺意を孕む視線で睨(ね)めつけた。
「話がある」
「突然訪ねて来て何かと思えば、熱烈な告白か?
なかなか情熱的じゃないか、カルロ。これ以上俺を夢中にさせてどうする気だ?」
「死ね、真性自意識過剰」
「ああ、そうだな。俺はお前の為なら命だって惜しく無いぜ、ハニー?」
「殊勝な心掛けだな、faccia a culo(ファッチャ・ア・クーロ)(クソッタレ野郎)。なら今ここで死んで俺に詫びろ。」
「それは出来ない相談だな。
お前を残して逝くなんて最悪の悲劇だ。そうだろう、カルロ」
「…テメェのお利口なド頭(タマ)には、クソでも詰ってンのか」
「俺の頭の中はお前の事で一杯さ、カルロ。
毎日十回はお前でヌいてる、なんなら今ここで実践して見せようか」
「……vaffanculo(バッファンクーロ)!!」
相も変わらず絶望的に噛み合わない会話に苦々しさを感じ、カルロは非生産的且つ不条理な遣り取りを見物する二人――、の内、現状に於いて最大の被害者である赤毛の少年へ怒りの矛先を向き変えた。
「おい、貴様!」
「へっ? 俺っ!?」
「そう、貴様だ」
突然の事に目を丸くするエッジに、カルロは憤怒に燃え敵意に尖る獣眸をくれた。
「あのイカレ野郎じゃ話にならねーんだよ。お前がどうにかしろ」
「いやいや、俺も被害者だからなっ! 言っておくけど!!
物凄く理不尽に巻き込まれてるだけだからな!?」
「知るか、貴様のリーダーだろ」
「俺のっつぅか、アメリカチームのだっての!」
「なら、アメリカチームの代表として貴様が責任を取れ」
「Noooooooo!!! MyGod!! だ・か・ら、俺は関係ねぇんだって!!」
チームのリーダーを務める人間というのは、年齢国籍に関係無く一様に我が強い。他人(ひと)の話なんて聞いちゃいない。と、スーパーハードのワックスでバッチリキメた頭を抱えて悶絶する、米国チーム2の実力レーサーこと、エッジ・ブレイズだ。
「まーまー、落ち着きなよエッジ君。まずは、カルロ君の言い分を聞こうよ?」
「嫌だッ!」
「うわ、即答だね」
「あっっったり前だろっ! 聞いたが最後ぜってー巻き込まれンだよ!!
「あはは、まーだ逃げれる気でいるの? 楽天的だなぁ、エッジは」
エッジ『君』では無く、呼び捨て。敬称を外された呼びかけには、親しみなど微塵も存在しない。それどころか、支配階級独特の冷やかな傲慢が一層際立ち、エッジはギクリを身を竦ませた。
「な、なんだよっ。俺は脅しになんか屈しないぞ! 屈しないからなっ!?」
「やだな、脅しだなんて。そんな野蛮な真似を僕がするわけないよ?」
完璧な王子様スマイルで応じるミハエルだが、その笑顔は清々しいまでに ――黒かった。
「僕はただ心を込めてお願いするだけだよ。
勿論、エッジは絶対断らないって信じているけれどね」
気品すら漂う洗練された振る舞い、貴公子然とした微笑みの裏側に、底知れぬ闇と空恐ろしい本音を感じて、未来の宇宙開拓を託されるエリートレーサーは表情を凍りつかせた。
「おい、ミハエル。エッジの反応が面白いのは分かるが、その辺にしておけ。
お前の脅しはトラウマレベルだ。ウチの2に妙な恐怖を植え付けないで貰おうか」
「ふふ、酷い言い草だなぁ。本当にキミって真正面から失礼だよね。
そんなだから、カルロ君に逃げられるんだよ」
「ハッ、何を言うかと思えば、笑えない冗談だ。
俺とカルロは相思相愛、誰もが羨むSweetな恋仲だ」
ヒュッ、と鋭く空を切る怒りの鉄拳を気配だけでかわしながら、己の脳内に広げられる妄想を、あたかも現実のそれであるかのように、いっそ誇らしげに語りだすブレット。
「…Shit on toast!!(クソ喰らえ) テエェのオツムは、×××か!? あぁ!?」
「わざわざアメリカ英語で罵倒する辺り、…確かに根は深そうだね」
「Couldn't be better!!(最高だな)
カルロ… Ti amo da impazzire…! (ティ アーモ ダ インパッツィーレ)(イッちまいそうな位に愛してるぜ)」
殴り掛かる腕を片手で受け止めながら、恍惚とした表情でブレットは銀の鬣も美しい凶悪な獲物へ偏執的で熱烈な愛をイタリア語で囁く。
「……っ、」
愛国心など在る筈も無いが、それでも祖国と言うのは特別な感情を人に抱かせる。生まれも育ちもアメリカ合衆国の生粋の米国人であるブレットが、実に流暢なイタリア語を口にした事実に意表を突かれ、カルロは一瞬気勢を削がれるものの――…、
「××××」
「〜〜〜っ!! ンの、っ、Pezzo di Merda !(ペッツォ・ディ・メルダ)(糞野郎) bardassa!!」
その先に続いた口説き文句と思われる言葉は、イタリアでも最下層の底辺を這って生き抜いてきたカルロでも、滅多に耳にしない強烈に下劣なスラングだった。所謂、売春婦の息子だの、尻軽遊男のケツの穴だの、それ系統の卑猥な台詞で極上の愛を嘯く最悪なアメリカ野郎に、カルロは激しく牙を?く。
「…全く、相変わらずのじゃじゃ馬ぶりだな?
だが、そこが堪らなくイイぜ、カルロ。
お前を×××して、俺の×××で×××に、××―――」
「いい加減に黙れッ!! このド変態! 役立たずのキチガイピーナッツ野郎!!」
「…ピーナッツ?」
ふ、と男性器の矮小さを侮蔑する隠語に対し、ブレットは余裕の笑みを浮かべた。不機嫌に嘶く荒々しい野生馬の挑発を実に涼しげな表情(かお)で聞き流してみせる。その綽々とした態度に、却ってイタリアチームのリーダーを務める少年が、旗色の悪さを感じ取って苦々しく唇を噛んだ。
「もう、"俺"を忘れたのか? カルロ…、ん?」
「――…何の事だ、イカレエリート。妄想も大概にしておけよ」
「…ふぅん? イイぜ、CandyBaby, お前が覚えるまで、何度でも愛してやるさ…」
野生の大型肉食動物特有の極限にまで昂じた飢餓の感覚に引き摺られ、周囲に張り詰めた緊張が満ちる。不穏な展開を前に、独逸チーム代表のサーキットの貴公子は酷く愉しげに口角を歪め、軟派で不誠実な雰囲気に反して、面倒見の良い苦労人であるエッジは右往左往と泡食っていた。
「……おい、ふざけてんじゃねーぞ!?」
ジリッ、と壁際に追い詰められ、流石のカルロの強気も勢いを挫かれる。まさか、同期のチームメンバーや対戦チームの敵将の目の前で事に及ぶまいとの常識的思考が、不穏さを帯び剣呑と閃くブレットの野蛮な双眸に、根幹から覆されそうになる。
「俺は、お前に対して何時でも真剣だぜ。…そうだろう、MySweet?」
「…それ以上近寄るな…っ!」
「そんな脅えた表情(カオ)をされると、堪らないな…?
Fuck…! Go to Heven!?」
突きあげる劣情のままに動く本能の塊と化した雄獅子は、見せつける所作で殊更大きくベロリと舌舐めずりをして、躍動感溢れるしなやかな四肢も美しい獲物の喉笛目掛け最期の一撃を――、
ぽこん。
「はい、そこまでー」
完全に忘却の彼方へあった訪問者の存在によって、阻害されてしまった。
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日没から数時間、健康優良児である健全なレーサー面々はそろそろ就寝の時間だ。
世界各国から選抜された優秀なミニ四駆レーサー達が宿泊する施設は、食事や入浴といった生活時間帯を過ぎれば、閑静な空気と穏やかな闇に包みこまれた。
正面玄関やエントランス、外門の周辺は寧ろ過ぎる程の照明で照らし出されていたが、それ以外の場所は完全な暗がりで、人目を忍ぶ身としては好都合だった。
「あ、来た来た。どう、大丈夫だった?」
「当然だ、俺がヘマをするわけがないだろう?」
「ああは、相変わらず自信家だね。そんなだから、凌辱したいレーサーランキング上位にランクインするんだよ」
「……なんだそれは」
「独自ルートからの情報だよ。ちなみに、君の愛しのハニーもランクインだからね」
「ほぅ…? 興味深いな。一位は?」>
「日本チームのセイバ兄弟だね。同時に相手にしたいっていう変態な意見が沢山出ていたよ。
是非初物を味わいたいって大人気みたいだね」
常時更新される人気ランキングの情報を思い起こしながら、ミハエルはブレットの質問に律義に答えた。貞淑で清楚なイメージの強い日本チームの選手は裏でも大人気のようだ。
「…セイバ――、レツとゴウの二人か。成程な…、気持ちは分からないでもないが」
「うわ、ストライクゾーン広いね、ブレット。貞淑系や元気系も好みなんだ」
「Ha! 人を節操無しのスキモノみたいに言わないで貰おうか、ミハエル。
俺は愛しの仔猫(ガッティーノ)一筋だからな、本気で口説くつもりは無いさ」
「遊びでなら幾らでもチョッカイ掛けそうだよね。
本当に厄介なのに好かれたよね――、ね、カルロ君?」
「………」
施設の周囲を囲む薄い森の中、木陰に身を屈めて小声で言葉を交わすミニ四駆世界大会優勝候補チームのリーダー達、その二人から少し距離を置いて痩身を闇に同化させるのは、下馬評では中堅辺りが関の山かと噂され、蓋を開けてみれば実力派揃いの優良チームとして高評価を受けるイタリアチーム『ロッソストラーダ』を纏める荒馬カルロ・セレーニだ。
「あれ、随分ご機嫌ナナメみたいだね。
大丈夫だよ。心配しなくても、エッジ君の工作は完璧だよ。ね、ブレット?」
「愚問だな、物理・宇宙工学分野でアイツの右に並ぶ者はいない程だ。
俺達のマシンにも、アイツが編み出した理論が応用されている」
「へぇ…、そうなんだ。見かけによらず凄いんだね、エッジ君って」
「意外性があるから、人生もレースも面白い。違うか、天才様?」
「なにそれ厭味? 君にしてはストレートだね」
悪辣な台詞に少しも動じず、寧ろ寛容に応じる姿には天才としての余裕と自信が満ち溢れている。そんな独逸の天才レーサーへ、お手上げだとばかりにブレットは話を終いにする。
「まぁいいさ。それより、そろそろ行くぞ。
万が一にでも見つかったら、厄介な事になる」
「どうとでも揉み消せるくせに?」
「それはそうだが、面倒には違いないからな。
ほら、行くぞ。道案内を頼む」
「はいはい」
「カルロ」
「…分かってる」
王者の風格を生まれ持つ少年に軽く促され、不承不承ながらも先を行く二人に倣いカルロは施設の壁を易々と乗り越え、抜け出したのだった。
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――協力して欲しい。
最凶最悪最低な人物の愚行により、進退極まる状況へ追い込まれ、怒りの矛先を求めて元凶である人物の下へ殴り込んだものの、先客の頼み事に出鼻を挫かれた形となった。
「…何――…、」
サーキットの貴公子としてミニ四駆界に無敗神話の伝説を打ち立てた化物、古きは王侯貴族の血を継ぎ、独逸の財政を表と裏と両面から支配する名家・ヴァイツゼッガー家の次期当主として、望むモノ全てを得られる環境にあり、また世界の全てを受け止められるだけの器と才能に恵まれる、天に祝福された生を謳歌する少年から飛び出した言葉は、意表を突くそれであった。
「代わりに、カルロ君のお困り事に僕も力を貸すから、ね?
ああ、ブレットに君を諦めさせるってのは勘弁してね、幾ら僕でも不可能だから」
「………」
ストーカー紛いの紳士然とした変態の件(くだり)は兎も角、協力、との響きにカルロは眉を顰める。ヴァイツゼッガー家の力を駆使し、天才の誉も高い自身の能力を如何無く発揮したのなら、歪に狭窄した世界で、ミハエルに実現不可能な事象など存在するはずが無い。>
「…何の冗談だ」
疑念と警戒、先立つ猜疑に返す言葉は短く鋭い、全身の毛を逆立てる獣のイメージが重なる。
「やだな、冗談なんかじゃないよ。
昨日のブラジル戦で、独逸(ウチ)の要とも言える二人が欠場だったのは知ってるよね?」
「…双璧の連中か」
ファンサービスやレーサー達の友好を温める意味合いのブラジル戦は、WGPの勝敗を左右するポイントがレースの結果如何に関わらず加算されないとあって、参加国の中には選手やマシンの負担軽減を優先させレース参加を見送る動きもあったが、二大優勝候補チームの独逸、亜米利加については強制参加が暗黙の了解となっていた。
強豪チームが揃って不参加となれば、レースの盛りぶりは目に見えている。最悪ブーイングの嵐でマトモなレース進行が不可能になる。それに、最終的な勝敗に関与しないからと言って欠場を宣言すると言うのは、優勝候補チームとしての沽券に関わる由々しき問題でもあるのだ。
これらの事情から、上位争いに名を連ねる全チームがブラジル戦へ参加していた。しかし、その中でも著名選手の欠場が目立った。
謹慎を言い渡されるブレット・アスティアの欠場は止むを得ないとしても、独逸チームの主力である少年等の欠場は、世界中のファンやレーサー達、そして各方面の関係者達の間に少なくない衝撃を与えていた。
「そう、――シュミットとエーリッヒの事なんだけど。
二人の事で、ね。少し困った事になってるんだ、手、貸して貰えるよね?」
「…は? 何で俺、が――…、 っ、 ! 」
奉仕精神溢れるお人好しや、厄介事に首を突っ込みたがる物好きでもあるまいし、一銭の得にもならない面倒事は御免だとばかりに渋い反応のカルロへ、ミハエルは有無を言わせぬ様子で言葉を重ねた。
「いいよね、カルロ君?」
「――…、だ、から、 なんで俺がっ…、
人手が必要なら、そこのバカにでも手伝わせればいいだろ」
「無論、ブレットにも協力して貰うよ。けれど、君にもお願いしたいんだ。
ね、カルロ。君、鍵開け出来るよね?」
「…怪しい雲行きじゃねーか」
鍵開け、解錠技術。
ひとつの職業として確立するスキルだが、悪用されれば大変な結果になるそれ。
通常は団体や組織等に所属し技術を教わる代わりに、個人情報等を厳重に管理され、犯罪へ手を染めないように厳重な監視下へ置かれる。よって、正規ルートからでは外道の者は門前払いの技術ではあるが、蛇の道はへび、その筋の者へ技術を売り渡す金の信者は掃いて捨てる程いる。
「うん、だって犯罪だもの」
にっこり。
パーフェクト・スマイルとして多くの女性ファンを虜にする西洋の王子の笑顔は、口にする台詞の不穏さとは裏腹に、一点の曇りも無く晴れやかであった。
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名門シューマッハ家の嫡子である黒髪に菫色の瞳の主は、悧巧で快活・公正明大な人物であると同時に、家名を継ぐに相応しい狡猾さや機知も持ち合わせる手強さだ。
例えば、彼の城である専用車両周辺に配備された警備・護衛の屈強な男達は、独自のルートで手配したプロフェッショナルばかり。シューマッハ家の権威(ちから)の濫用を避け、極力己が及ぶ範囲で事を済ませようとする姿勢は、なかなかに賢明で、だからこそ、解決に時間が掛っていた。
幾ら財政界へ絶大な発言力を有するシューマッハ家とは言え、政界及び古くは王侯貴族の血統だと伝わる大名門ヴァイツゼッガー家を、同時に敵に回して体裁を保てる可能性は低い。
シュミットがもう少し分かり易く行動を起こしていれば、強行な手段にも踏み切れるものの、基本的にエーリッヒはシューマッハ家の――つまりはシュミットのお抱え従者のようなもので、エーリッヒの身柄への在る程度の拘束や自由の制限は不文律とされている。彼等の関係に干渉するには、そうするに値するだけの根拠と証拠が必要なのだ。
「――という訳で、これはもう隠密且つ強引にいくしかないよね?」
「…テメー等の事情に興味はねーな。
それより、約束は覚えてンだろうな」
ブラジル戦を終えてより二日目の深夜、独逸チームの騒動に済崩し的に巻き込まれたカルロは、天才の無敗神話を盤石のものとする無双のレーサー達が籠る専用車両の前で、自身の正統性を朗らかな笑顔で雄弁に語ってみせるミハエルへ、イタリアが誇る野性の銀馬は指先に伝わる微細な感覚を慎重に探りながら短く吐き捨てた。
「ああ、それなら大丈夫だよ。
けれど、カルロ君って意外に欲が無いんだね。
たった、一千万マルクでいいなんて。びっくりしたよ」
「………」
身内の恥の口止め料も含まれているとは言え、たかが解錠程度の軽犯罪に、一千万マルク(大凡六千万円)なんて法外な金額を出す馬鹿はいない。そう思って難癖半分に吹っ掛けてみた報酬に、そんなものでいいのかとアッサリ二つ返事を返された。富豪連中の非常識を甘くみていた、と後悔しても後の祭り、期せずしてミハエルの協力要請を承諾した形となったカルロは、今こうしてカギ師の真似事の最中だ。ちなみに、扉の開閉や施錠を管理する電子システム及び電子ロックは、ゴーグル型の超小型コンピューターを常に携帯する、獅子の鬣を彷彿とさせる金髪の少年の手で既に解除済みである。
「それで、ミハエル。今更だが、いいんだな?
もしシュミットが抵抗するようなら、多少強引になるが」
「…なんだかブレットが言うと多少で済まなそうだよね。
手加減してね、シュミットは僕等のチームの大切な戦力なんだから。
第一、君が原因でこんなことになってるんだからね?」
「それについては、海よりも深く反省中だ。悪かったな」
「…反省している人間の態度じゃない気がするよ?」
腕を組み胸を張る堂々とした仁王立ちの振る舞いから、反省、などという殊勝な言葉が全く結びつかない。が、元よりこの唯我独尊を地でゆく傲岸不遜の男に、そんな感情は期待していない。WGPのレーサーの中でも最強の一人として謳われる独逸の少年は、柔らかな色味のブロンドを掻きあげながら、ふぅ、と諦めたように息を吐く。
「何にしても、君の協力が仰げて良かったよ。
事が事だから、成るべく外部の人間を関わらせたく無いんだよね」
「………」
独逸チームの人間が何を言う、という突っ込みは敢えて口にしない荒馬は余程賢明だ。先程から背中に感じる絡みつくような視線も無言で遣り過ごし、無心に指先を動かし続ける。鍵開けは久方ぶりだが、幸い旧式の単純な構造のもので、正確な手順さえ踏めば確実に開けられる。もう少し、後もう一歩、と過去の記憶を頼りにカンを手繰り寄せていると、確かな手ごたえと同時に、カチリ、と小気味酔い音がして、カルロは鍵穴へ押し込んでいた道具類を慎重に引き抜いた。
「――開いたぞ」
圧倒的権力が後押する行為で法的機関が乗り出してくる事は無いだろうが、犯罪の足跡を警戒するカルロは工具類を丁寧に仕舞込んで、磨き布で扉周辺の指紋を慎重に拭き取った。
「うん? コーティング済みだろう、随分と慎重だな?」
自分やミハエルと同じように、指紋ブロック用の噴射式コーティング剤を掌に吹き付けたはずのカルロの入念な行動に、首を捻るアメリカ産の変態――、もとい人類の宇宙開拓の希望(ゆめ)を託される金の卵達の中でも、最も将来を有望視されているエリート。すると、表向きには頭脳明晰な良識人として認識される人物に、最早病的なレベルで想われる凶悪なイタリア美人は、はん、と胡散臭げな表情で無節操かつ非常識な男を一瞥し、鼻を鳴らした。
「テメェ等なんざ、信用出来るか。
俺に渡したコーテジング剤がホンモノだっつー証拠なんざねーからな。
迂闊に残した証拠を脅しの文句に利用しないとも限らねーだろ」
「俺がそんな野暮な真似をするわけがないだろう、Hanny」
「黙れ、吐き気がする」
「What!? つわりか? しまったな…。
確かにSEXの時にゴムを失念してい――…、おっと!?」
「それ以上喋るなッ!!! クソ×××野郎!!!!」
「Yes,Baby, 俺のモノはそんなに最高だったか?
幾ら褒め言葉とは言え、こうも露骨に口にされると流石に照れるな」
「〜〜〜ッ、 の、 っ!!」
夜の帳が静寂と共に世界を覆う丑三つ時とは言え、遥かに見上げる天上には見事な月が輝き、暗さに慣れればそれなりに視界もきく。優しい闇の中で、蒼白い頬を羞恥に染め上げ、無色の眼光を激昂に色めき立たせ、全く以て恥知らずな変質者にカルロは反射的に拳を振り上げていた。
――…気の迷いで一夜を共にした男が、桁外れの数奇者だと気付いても、今更手遅れだ。
難なくカルロの攻撃をかわし、にやけきった余裕面でいきり立った銀髪の仔猫を挑発するブレットに、あははー、ラブラブだねぇ、などと、スッとぼけた内容(こと)を口走る無敗神話の独逸少年。誠に残念ながら、場を弁えろ、と口酸っぱく常識を語り、二人の諍いを止めに入る米国チームの苦労人の姿はここには無かった ――…、が。
『Stop!! 何してんだよっ。そんな場合じゃないだろ!?』
流石に破滅的非常識二人と、反社会的現実主義者一人の組み合わせを、完全放置出来る豪気さは持ち合わせていないらしく、苦労性人間エッジが専用回線からブレットとカルロを制した。
「…bore,so bad. 折角の盛り上がりに水を挿すな、エッジ」
『そーりゃ、悪かったな、リーダー。
けれど、そーゆーのは後からやってくれ。頼むから。
もし誰かに見られたら、どーすんだよっ!』
「…fun,仕方無い」
エッジの至極真っ当な主張にブレットは不満そうに応え、第三者の介入で冷静さを取り戻したカルロも、不承不承ながら拳を収めた。ひとり、傍観者の立場を保ち続ける端正な貴公子は、何処までもマイペースに、それじゃ、内部(なか)の様子を窺ってみようか、と何事も無かったかのように涼しげな様子で話を進めた。
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その日も――、闇夜を煌々と照らす清月は常と変わらず虚空に存在していた。
「………」
知らず、零れ落ちた溜息に微苦笑を浮かべ、籠の中の鳥――…言葉通りの囚われの身である、一部の事情通やレーサーから独逸チームの良心と評される誠実な人柄の少年、エーリッヒ・クレーメンス・ルーデンドルフは、一糸纏わぬ自身の姿を顧みて周囲へ視線を彷徨わせる。
躊躇える瞳がベッドサイドに脱ぎ捨てた――剥ぎ取られたと言うべきか――ローブを見つけ出し、そっと拾い上げ袖を通すと、乱れた銀灰色の髪を軽く手櫛で整え、そのまま、己の喉を何かを確かめるように撫でた。
「……、――…っ、………」
試しに、ひとこと、ふたこと、目覚めたベッドの上で声を発してみるが、徒労に終わってしまう。
予測出来た結果ではあるが、しかし、若しかしてとの淡い期待が打ち砕かれ――目に落胆する愛玩動物(ペット)の様子に、ベッドの上に仰向けて波打つシーツから四肢を投げ出し、実に満足そうに狂気じみた笑みを浮かべるのは、元・恋人、現・飼い主である、残酷で傲慢な支配者。
「無駄だ、エーリッヒ。お前に咥えさせたクスリは、拷問用の特殊なモノだと言っただろう。
後遺症は無いが――まだ当分声は出せない。そうだな、後三日は効いてるはずだ」
どうしてこんなものを、と責める視線で訴えれば、お前の声は好きだが、要らぬ説教ばかりで飽いた、との傲岸不遜な言い草に、エーリッヒは底冷えの虚無を含まされる感覚に襲われる。
一縷の望みを掛け何事かと言い募ろうとして――、決して叶わない現実に打ちのめされ俯いた。
「ん? どうした、エーリッヒ。心配するな、もう三日の辛抱だ。
お前が可愛い声で囀(さえず)るなら、二度とこんな無体な真似はしないさ。
――…あの男の名を一度でも口にすれば、どうなるか保証は出来ないがな」
「………っ 」
あの男――、歪んだ独占欲と嫉妬に眩む恋人が指し示すのは、ブレット、ブレット・アスティア。
金髪の鬣も雄々しい勇壮なる若獅子、天才と称される独逸チームのミハエルとは全くタイプの異なる――、しかし、恐らくあの男も天才と称賛される部類の人間で、いや違う、
天才では無く "王" と呼ばれる方がより相応しいだろう。
「…何を考えてるんだ、エーリッヒ」
「………」
肉体的には勿論心情的にも答えられず、狂おしい愛憎の檻に囚われる褐色の獲物は、哀しげに瞳を伏せ、ふるりと、弱々しく物憂げに首を振る。
何も、とも。否、とも。
どちらにも穿てる反応にしかし、シュミットは上機嫌で喉を鳴らし、蒼白い腕を上へと伸ばした。
「…まぁいい、どうせ直ぐに――…、 俺の事しか考えられなくなる …… だろ?」
スルリ、と頬を優しく辿る冷えた掌に怯み、エーリッヒは堪らず目蓋を伏せた。
無言の拒絶に眉間を寄せ――、しかし、連日強いた無体な行為の数々を思い起こして、愛しい愛玩物の負担の重さを顧みると、仕方が無い、と譲歩の姿勢で脱ぎ捨てたミントグリーンのシャツを羽織り起き上がった。
「鎖を外してやるから先にシャワーを使え、エーリッヒ。
随分と中に注いだからな、そのまままじゃ辛いだろう」
「……っ、 」
カァ、と。
仄暗い照明の下でも分かり易く褐色の膚が火照る、その打てば響く反応に小気味良さと、倒錯した充足感を覚えながら、シュミットは菫色の眼差しに、とびきり濃厚な狂喜を燻らせた。
「全く…、堪らないな?」
「……?」
「シャワールームは広さを考慮すべきだった、と猛省中だ。
そうすれば、後始末までしてやれたのにな?」
「………っ」
主人――この場合は愛玩動物(ペット)の飼い主としての意味では無く――に、情交後の始末をさせるなんて、との恐縮に顔色を変える生真面目な性格の下僕に、シュミットは支配欲や征服欲といった、雄の欲求が疼くのを感じて、毒酒の酩酊感にも似た狂暴性が煽られるのを自覚した。
「…物欲しそうにヒクつくお前の孔を舐めてやりたい、エーリッヒ…。
指を奥まで突っ込んで、グチャグチャに掻き回して、イイところを何度も擦って。
イきすぎてオカしくなるまで、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も」
「……っ、 ――…、?」
何物にも代え難く愛しき存在の脅えを前に、脳内では警鐘が鳴り響く。
これ以上は駄目だ、いけない、やめろ、
――頼む、 か ら 。
「、エーリッヒ――…、」
乾いた口唇を幾度も餓えた舌先で舐め擦り、児戯めいた代償行為で、自身の昂りを鎮めようと試みる――、も子ども騙しにすらならない。欲しい、欲しい、欲しい。手前勝手な欲望だけ無尽蔵に肥大してゆく。
「…孔(なか)を掻き出してやる。
あちらを向いて、四つん這いになれ」
「………。 っ!!?」
情事後の倦怠感に身を窶していた独逸を故国とする銀毛の狼は、掛けられた言葉のあまりの内容に一瞬惚け、続いて全身に血を巡らせると、羞恥と恥辱に塗れた行為へ拒否を主張する。
「どうした?」
しかし、愛玩動物(ペット)の意見に耳も貸さずに、シュミットは無体な命令を繰り返し口にする。
「それとも、無理矢理が好みか?」
上品な菫色の双眸に従順な獲物を嬲る残酷な愉悦を浮かべ、由緒正しき生まれの少年は、獣の本能の赴くまま蹂躙し、淫れと穢れで濁らせた愛しき魂へ、更なる過酷を強いた。
「早くしろ、エーリッヒ」
「………っ 」
昼夜問わず睦み合う間柄とは言え、雄を受け入れたばかりの恥部を己から晒し、あまつさえ中へと散々に注ぎ込まれた白濁を掻き出される――だなんて、良識と規範の塊のような少年には堪え難い要求だった。どうにか考えを改めて貰えないかと懇願の眼差しを向けるも、舌舐めずりの獣の前ではそんな姿すら馳走に映るのか、美味そうに喉を鳴らされただけで、最早、一握の希望すら残されていなかった。
「なんだ、随分と楽しそうじゃないか」
そんな、無体な恋人の破天荒な要求に困窮する籠の鳥の少年の耳に、場違いな台詞が届く。
「!?」
突然の事態に吃驚(きっきょう)しながら背後を振り返ると、果たしてそこには、真夏の太陽のように不躾で野蛮な黄金の髪の主が、真夜中だと言うのに不必要なまでの存在感を放っていた。
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愛し過ぎて、恋し過ぎて、
いっそ、
食してしまいたい