捕食の檻 in肝試し4



 堤燈の心もとない灯りだけを頼りに、一定の距離を保ったまま歩き続ける二つの影。
 餓えた野獣の激しさを思わせる黄金の狼を警戒するように、静寂の月明かりに照らされる少年はその背中を睨んでいた。
「そう警戒されると、逆に期待されているみたいだな?」
 背後からの殺気にたまらず噴出すブレットに、ふざけんな、とカルロは噛み付いた。
「テメェは、一遍、地獄へ堕ちてこい!」
「……もう堕ちてるさ」
 激しい罵倒に、ふ、とブレットは吐息で応えた。
「……?」
 常に王者としての覇気を失わない、不必要なほどの自信家なNAアストロレンジャーズのチームリーダとしては、随分と彼らしくない諦観の態度。
「だから俺は、宇宙そらを目指す…。お前は、何を求めて生きているんだ、カルロ」
「……エリート様の戯言に付き合うほど暇じゃねェ。そういう高尚な話はお仲間とやれ」
「……高尚、か。そうだな、その日を生きるのに手一杯じゃ、生きる意味なんて考える暇も余裕もあるはずが無い」
「くだらねぇ話はするな」
 早くこの糞のようなお遊びを終わらせたい、そして強請りのネタであるブツを取り戻さねば、とカルロは素気無く先を急いだ。
「今、お前の掌には富と名声がある。後は、……何が欲しい?」
 俗な問いかけに、カルロはふん、と鼻を鳴らし、侮蔑に瞳の色を鮮やかにした。
「バカか、テメェは」
「やれやれ、口の悪いハニーだ」
「気色悪ぃ呼び方してんじゃねェッ!」
 あまりのおぞましさに、カルロは肩を怒らせて威嚇する。
「大体……俺の欲しいものなんざ聞いてどうする」
「欲しいもの、というよりは。生きるのに、お前が求め続けるもの」
「……金に決まってンだろ」
 即物的な回答は、まるで社交辞令のようにカラッポに響いた。
「テメェもスラム上がりなら、そのイカレたオツムでも多少はわかるだろ。この世界は金だ。金がないヤツなんざ、人間ですらねェ…家畜以下ってことがよ」
「……そうだな」
 応える声が直ぐ傍にあって、カルロは反射的に飛びのこうとしたが、時既に遅し。
 肩を抱かれ、足を払われ、地面に倒される合間にブレットのジャケットを羽織わされた。お陰で土に汚れることもなく、転倒の瞬間に支えられたので肩も傷めなかったが。
「な、っにしやがるっ!」
 突然の狼藉に、当然怒り心頭といった様子の美しい銀の荒馬に、満足そうに野獣は舌なめずりする。
「油断しすぎだな、カルロ」
「――テメェが非常識すぎるんだ」
「レースを散々蹂躙しておいて、今更、常識人気取りか?」
 それこそ――非常識だな? と、喉の奥で嘲う。
 小型コンピューターを兼ねているゴーグルの奥で、獣相の金色(こんじき)が剣呑さを増す。地面に縫いとめられて身動きが取れないでいる獲物の姿に、ブレットは完全に心奪われていた。
「テメェは…」
 追い詰められて尚、挑発的な輝きを失わない緋色の双眸が、心の臓を抉る感触に、一種の陶酔すら覚えるようだった。
「……何が目的だッ、俺に構ってお前に何のメリットがあるッ!
 上から頼まれでもしたか、俺を潰せと!!」
「無粋だな…。俺は、お前にちゃんと伝えたはずだぜ?
 ――愛してる、と」
 恍惚の表情に、狂気が折り重なって、まるで得体が知れなかった。
「……テメェ、ホンキでイッちまってんのか」
「そうやって怯えて吠える姿も可愛いな…カルロ」
「なッ…!」
 余りの手前勝手な解釈に絶句する暴れ馬を更に力で押さえつけ、その胸元を暴く。あらわになった白皙の膚を、ブレットは直接舌を這わして味わった。
「ッ、」
 悪寒にも似た感覚に、カルロは背を仰け反らせて声を噛殺した。
「テメッ、放せッ! ざっけんな、このキチガイ野郎がッ!!」
 憐れな生贄の口から次々と浴びせられる罵倒が、まるで天からの福音のように甘く響く。歯止めの利かない加虐心が酷く疼くのを、自覚する。
「コイツが欲しいんじゃないのか…?」
 暴れる銀の鬣の荒馬の鼻先に残りの写真全てを突きつけて、ブレットは酷薄な笑みを浮かべる。それは、明らかな脅迫行為。己の優位を疑わぬ余裕面が何より腹立たしい。 
「……ヤりたきゃヤれよ。テメェ、終わったらブチ殺してやる」
「……ok. good boy. なら、これはお前のものだ。ああ、手は使うなよ? 口で受け取るんだ…咥えて…そう、巧いな?」
 憎悪の篭った灼熱の眼差しを向け、狂気を孕んだ男に隷属する。望みどおり口で写真を受け取ると、それを余所へ吐き出す前に、無遠慮な指先が性急に下肢へと進入してきた。
「ンッ、ぅう!?」
 その衝撃に、思わず咥えていた写真を噛みこんでしまい、口の端から鉄の味が広がった。すると、その光景にブレットは渋面を作る。
「…ああ、噛むな…口を開けるんだ。そう。……従順なのも酷くソソルな? なぁ、カルロ…」
「〜〜〜こッ、の、ァッ!」
 滲んだ血を獣じみた仕草で舐め取って、写真をそっと取り上げる。その間も、ブレットの指先はカルロの肉欲を直接的に刺激し続けてゆく。
「ン、ふ……ぅ、くッ」
 蹂躙を待つ身である贄は、絶え間ない快楽に必死で嬌声を押し殺していた。その痴態に、ブレットは己の内が飢餓に狂うのを、ゆっくりと味わい、愉しむ。
「――早いな。嫌がっている割りに…もう濡れてきた…」
 不意に、濡れた指先をこれ見よがしに舐めとって、ブレットは嗤ってみせた。
「……ッ、っせぇ。ヤるなら…とっとと済ませろッ…」
 ここにきても、傲慢な態度を崩さない相手の、そのらしさに喜悦を覚え、ブレットはなにやら怪しげな小道具を取り出した。ウィーンという機械的な音に、バイブかよ、とカルロは吐き捨てる。
「はっ、……大層な口利いてた割りには、道具頼みか?」
 挑戦的な獲物の分かり易い挑発に、ブレットはしかし、口の端を歪めただけだった。
 そして、定期的な機微振動を繰り返す円柱形のそれを濡れそぼつ場所へと押し付けて、根元から先端へ、先窪みから裏側へと、愉しげに嬲る。
「く、……ッ、んっ。てめッ。バカッ…」
 下肢は少し肌蹴られたままで、まだジーンズすら履いたままだ。直接中へとバイブ…いや、ローターだろうか、性の玩具をあてがわれて、カルロは身悶えた。
 はぁ、と熟れた吐息が漏れる。夜の密度がぐんと、濃厚さを増してゆく。
 全身を薄紅に染め上げ、絶え間ない快楽に小刻みに震える痩躯を存分に視姦し終えた後――不意に、ブレットは機械のスイッチを切った。
「………?」
 中途半端に高められた熱を持て余して、カルロは陵辱の相手を濡れた眼差しで見上げる。それは、ブレットの意図を測るためだけのものであったが、捕食者である男からすれば、まるで愛撫の手を強請るような媚と艶を含んだものだった。
「……貪欲だな、物足りないのか?」
「ッ、!! テメェ、一度マジで死んでッ……、っン」
「ああ…急に起き上がると辛いぜ。途中で止めてるからな」
「〜〜〜生殺しみてェな真似ッ…すんなッ、この変態ッ!!」
「……なんだ、俺にして欲しいのか。カルロ…」
「誰がッ!!」
「……そうやって虚勢を張ってみせるのも可愛いな…? ……カルロ」
「〜〜〜ッ」
 此方が如何に辛辣な態度で罵詈雑言を吐き出そうとも、目前で不遜に構える男には全く通じない。苛立ちの余りに、そろそろ血管がブチ切れそうだ。
「…してやってもいいが、袖下の物騒なものはしまってもらおうか?」
「……テメェ…」
 ギリッ、とカルロは歯噛みした。
 隠し持っていたのは超小型のスタンガンで。相手を性交に誘い込み隙を見て昏倒させる手口は、今までもよく使っていたが。見破られたことは一度たりともなかった。
 蹂躙に耐えていた美しい獲物は上体を起こした姿勢でブレットを睨みつけると、己の内で燻る快楽の火種を揉み消そうと、熱の籠った呼吸を吐き出す。
「…強情だな、辛いだろうに」
 明らかに現状を愉しんでいる悪趣味野郎の声が、実に腹立たしい。
「……クソヤロウは黙っていやがれ…」
「――…全く」
 クックック、と喉の奥でブレットは笑いを潜めた。
 そうして、なんとか熱をやり過ごそうとしているカルロの背後へ回ると、訝しげな朱の瞳に睨まれるのも構わず、そっと痩せた肩を抱きしめた。
「…放せよ、テメェ」
 酷く冷淡に拒絶をくれれば、何処か、自嘲めいた笑みが返された。
「――やはり、フェアじゃないな。こういうのは」
「今更、何言ってやがる。バカか、テメェは」
 散々好き勝手した後では、殊勝な態度も台詞も白々しさが三割り増しで響くのみだ。
 だが――、
「ッ」
 目の前に薄いフイルム状のネガを見せ付けられて、カルロは罵倒を呑み込んだ。その行き先は、提灯の中で踊る炎の中。
 熱に煽られ縮み上がりながら、それは鼻につく異臭と共に燃え尽きる。その光景に、カルロは目を見張った。
「なに…考えて…ッ、なっ!」
 自ら相手の弱みを放棄する行為の、その意図が分からずに、ブレットのジャケットの上で呆然とするカルロだ。だが肩に回された腕が明らかな意思をもって隠避に蠢くのに、さぁっと頬を染め、声を詰まらせる。
「テメッ…、ばっ…!」
 首筋に強く痕を残されて、背筋に甘い悪寒が走る。
 前を弄る指先はまだ濡れるそれを衣服の下から完全に引き出して晒し、存分に嬲った。先走りでぬめった先端の割れ目を親指の腹で強く擦りつけ、下から上までを丁寧に扱きあげる。根元ギリギリの部分まで優しく触れられて、中途まで煽られていた肉体は直ぐに悲鳴をあげた。
「……のっ、はなっ――しやがッ…」
「これだけ密着しているんじゃ、スタンガンも使えないな?」
 そう嘯いて、耳朶を舐めあげる。
 傷害沙汰を避けるために殺傷能力のある刃物の類は用意していなかったが、こんなオモチャじゃなくて、刃渡り10cmのナイフでも準備してやればよかったかと、カルロは激しく後悔した。
「――…一度抜くだけだ、そう警戒するな」
「………ッ」
「あのままは辛いだろう? お前が、俺の目の前で自慰してみせるっていうなら、話は別だがな…?」
「〜〜〜この、ヘンタッ…、あっ…」
 悪態を吐こうと口を開けば、途端それは意味を成さない甘い喘ぎとなる。それが忌々しくて、カルロは口唇を噛んだ。
「…いい子だ…」
 髪に優しく接吻られて、また甘い痺れが駆け抜けた。
 種の生存本能による生理的な快感とは違う何かを感じながら、極限にまで餓えながらも、自尊心を失わない孤高の金狼によって、銀の鬣の獲物は己の精を吐き出した。

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「ああ、すまないな。そうだ、――ああ」
 車内の通話を聞き流しながら、如何にも不愉快だといわんばかりに表情で、ロッソストラーダーのチームリーダーである、カルロ・セレーニはソファに沈み込んでいた。
 底なしの阿呆の所為で土と精で汚れた服は洗濯に、自分自身はシャワーを浴びて、用意されていたバスローブを羽織っただけの格好だった。
 あの後、流石に何もない素振りで肝試しを続けるには、かなり無理があった。よって、一度ブレット自身で所有するレーシングカーへと二人で戻ったのだ。
「……悪いな、それじゃ」
 勝手な中抜けで騒ぎが大きくなっては面倒だと、ブレットはエッジに連絡を取る。諸事情に精通しているだけあって、妙な詮索もなく、必要事項だけ確認して通話は切れた。
「そんな格好でいられると、おかしな気分になるな」
 そしてカルロのほうへ向き直るや否や、そう一言、感想を漏らす。
「……死ね」
 雫の伝う前髪の下から鋭い眼光が飛ばされるのに、ブレットは愉しげに肩を揺らした。
 脅迫のネタが無くなった以上、大人しくブレットの下にいる理由は何一つとして存在しない。服が手元に戻り次第、カルロは自力で山を降りる腹積もりだった、が――。
「つれないな」
 取り付く島もない返答に、ブレットは軽く肩を竦めて、インスタントの珈琲に湯を注ぐ。
「…飲むか?」
「………」
 聞こえているのだろうが、敢えて沈黙で応えるカルロに、ブレットは上品な香りが湯気と共にたちのぼるカップを差し出した。
「……おい」
「ん?」
 壁に背を預けて、立ったまま足を組む姿勢でカップに口をつける金色の王者に、触れなば共に傷つかん諸刃の輝きを宿した少年が、憮然とした態度で声を掛ける。
「…テメェ、ンでさっき、途中で止めやがった」
「……随分、色気のない誘い方だな?」
 カチ、とソーサーにカップを置きなおす音がやけに鮮明に耳に届く。
「ヤりてぇだけなら――いいゼ、犯れよ」
 挑戦的で挑発的な物言い、艶事への誘惑としては色香も甘美も著しく欠落しており、張り詰めた空気に、ブレットは口端を微か、持ち上げた。
「どうした――随分と…気前がいいな?」
 俺に触れられるのも嫌がっていただろう、と、揶揄る響きを含んだ台詞に、銀の毛並みをした極上の獲物は甘く、残酷に喰らいつく。
「今、犯らねェッてンなら、…俺はお前の吐く言葉全てを否定する」
「………」
「――…早く、決めろ」
「…我が儘放題、だな…」
 効きすぎた冷房が少し肌寒い、本能に近い場所にある欲望がズクリと疼いた。
「……カルロ」
 耳元へ直接吹き込むような囁きは、酷く淫蕩で。
「――…抱くぜ…?」
「……フン、キチガイ野郎が」
 応酬の悪態にも、熱が伝染うつっていった。

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「え――、ブレット君達、帰っちゃったんだ?」
「あー…、ああ。その、急用が出来たみたいで、うん」
 無事全ての組が肝試しを終えた後、NAアストロレンジャーズのメンバー、赤い髪に菫色のタレ目が人目を惹くエッジが、日本のチームリーダーである少年を引きとめていた。
「そっか…急用なら仕方ないよね。折角だから、もっと色々話してみたかったんだけど。あ、エッジ君とジョーさんはまだいれるんだよね?」
 告げた内容といえば、ブレットからの伝言で。

 『カルロを連れて抜けるから、後は適当に言っておいてくれ』

 というそれだった。
 勿論、レーサーとして一級品の腕の持ち主であるリーダーの、その破綻した性格を如実に表す台詞を、そのままに伝える勇気は無くて。急用などというベタなウソで事情を誤魔化したところだった。
「ああ、俺とジョーなら大丈夫。最後まで世話になるけど、ヨロシクな」
「ううん、大歓迎だよ。このあと、キャンプファイアーと花火があるから、一緒に楽しもうね」
「…ああ、サンキュ」
 にっこり、と。
 まるで邪気の無い人懐こい笑顔を向けられて、つられてエッジもへらっと表情を崩す。
 本当に、ウチのリーダーにもこの十分の一でもいいから、純粋さだとか純真さだとか純朴さだとか、そういうものの持ち合わせは無いものだろうかとしみじみと思って――自分の中で思い描いたリーダーの姿に、エッジは眩暈を感じた。
(……キモチワル)
 今、この時ばかりは、己の逞しい想像力が恨めしい。
「? エッジ君、どうかした?」
「あ、いやいやいや。なんでもないって、ヘーキヘーキ。まぁ、そういうわけなんで、リーダーのこと、鉄心のじーさんとかに伝えてくれないか?」」
「うん、了解。それじゃ、心配するといけないから早速伝えてくるね」
「ああ、よろしくな」
 キャンプファイアーを囲んで、今大会の台風の目とも言われる星馬豪を中心とした一際賑やかな連中が、物真似だとか一発芸だとかをお披露目するのを見るともなしに見遣って、不意に近づく気配にエッジは視線を其方へ寄越した。
「なんだ、ジョーかよ」
「なんだとはご挨拶ね? まぁいいけど。それより、通信ってリーダーからなんでしょ?」
「……まぁな」
「景気悪い顔してるわね?」
 呆れるジョーに、エッジは仕方ねーだろと、大仰にため息を吐く。
「カルロと中抜けするんだと」
「…ふぅん…、大丈夫かしらね」
「リーダーならヘイキだろ」
「え? 何言ってるの?」
 カルロの心配に決まってるじゃない? と、事も無げに言ってのけるチームの紅一点に、手前勝手な恋に盲目中のリーダーに振り回されるエッジは、軽い眩暈を覚えたのだった。

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 ――…熱が、煽られる。

 直接的な愛撫に、半ば強引に高められてゆく感覚。
 同意の上とはいえ、世間一般でいう恋人同士の逢瀬とはほど遠い、互いの喉笛を狙う、生死を駆けた屠りあい。
 愛情などではない、最も近しい言葉を捜すなら、ただの欲情。そのはけ口。
 男に暴かれるのは初めてじゃない、その日の糧を得るために、強者の庇護を得るために、足を開くことなど、日常茶飯事で。
 慣れた感覚――けれど、行為の後は必ず、胃液だけになっても吐き続けていた。
 その内、嘔吐する自分自身にも慣れて、情事の前に物を口にするのは、避けるようになった。
 そんな野良犬のような日々が過ぎて――街角で春を売る貧相なガキは少しずつ頭角を現し始めた。痩せた体には狂犬のような闘争本能と、戦闘力。肉体的な不利を覆すために、手段を選らばぬ非情の、徹底振り。
 やがて、腐り切った街の片隅に生まれた一つの若年グループ、そのトップの座についたのは、最早必然の出来事だ。俺以外に誰が上に喰らいつける。そう不敵に問えば、どいつもこいつも押し黙った。傲慢で貪欲で冷徹な、唯一絶対の支配者――。

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「………」

 歌 … 

「………」

 が、聞こえる。
 低く響く声はゆったりと一定のリズムを刻んで、流れてくる。
 車内の上部小窓から差し込む月の青白さに照らされて、その横顔は物憂げに映る。

「……起こしたか?」
 此方の視線に気付いて、歌は止んでしまった。
「………」
「まだ夜明け前だ…もう少し休んでいろ」
 応えない相手をどう受け取ったのか、気遣うように乱れた銀の髪を撫でて、甚く満足した様子のケダモノは滑稽な程優しく囁いた。
「………」
 ここ数年全くご無沙汰の行為に、全身の倦怠感が酷かった。流石に、明日一日は腰が重いのだろうと、少し憂鬱になる。此方から誘い込んだ時に、ある程度覚悟は出来ていたが。
(………最悪)
 歌が――少しずつ遠ざかる。
 透明な浮遊感。
 まるで、無音の水底へ吸い込まれてゆくようだと。
 最後に思う意識は、より深い場所へと沈むように、手放された。

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追い詰められた猫=カルロ