飴と鞭



 イタリアチームといえば、その一人一人が無名のレーサーの集まりでありながら、世界の強豪チームと堂々と肩を並べて、トップの座を狙う優勝候補チームだ。  紳士的な態度、クリーンな試合内容、実力も申し分無し。それに加えて、メンバーの容姿に刹那的でいて退廃的な華やかさがあり、世界のマスコミが大きく注目していた。
 故に、申し込まれる取材の数は途方も無く、WGPで活躍するレーサーたちの寄宿舎にも、大会委員会から禁止されているにも関わらず、記者が殺到することも、しばしばだった。
 無論、記者達の目的はイタリア『ロッソストラーダ』だけではなく、今大会におけるNO.1レーサー、シュミット率いる独逸の『アイゼンヴォルフ』、王者のカリスマ、ブレット・アスティア率いるアメリカの『アストロレンジャーズ』も、含まれていた。
「あーあーあー、今日もいるいる。今日も猫被んなきゃイケナイかと思うと、ウンザリだわ〜。いい加減、どーにかならないかしらね、アレ」
 ビジネス――互いに、金で結ばれた関係でしかないチームメイトと、面白くも無く朝食を採りながら、イタリアのレーサーが一人、独特の口調と華やかな外見で特にメディアの注目を集めるジュリオが、窓の外を眺めウンザリと溜息を吐いた。
 だが、彼のぼやきを宥める者も、訊き咎める者も、この場には存在しない。
 誰もが己の食事に集中し、他人のことなどに構っていないといった様子であった。
「ちょぉっとー、なーによ、アンタ達。
 アタシを無視するなんて、どういう了見なワケ? つーか、辛気臭いわね、っとに!」
 場の重さに耐え切れず、ジュリオはヒステリックな金切り声を上げる。流石にそれには皆、耳障りだとばかりに眉を顰めるが、それでも彼の機嫌を伺う人間など、ここには一人としていなかった。
「まったく、ヤになっちゃうわー。
 中のチームメイトは根暗。外には、ハイエナのよーに群がるブンヤ。全く、ストレスでアタシの美貌が翳ったらどーしてくれるってのよ、ホントにもぅ」
 ……それだけ好き勝手に大声で喚いておいて、ストレスなど溜まるものか、と。
 皆が一様に同じ感想を抱くが、やはり黙って食事を進める。下手に口出ししようものなら、確実に『百倍返し』が待っているからだ。触らぬ神に祟り無しの精神である。
「って、ゆーかさぁ。ナニ? カルロはどーしちゃったわけ。アタシ達の麗しのリーダー様は。ねェ、ルキノ。アンタ何か知ってる?」
「……ンで俺に訊くんだ」
「どーもこーもないわよ、アンタ、妙にカルロに敵愾心バリバリでしょーぉ? だから訊いてんのよ。
 気になってしょーがないから、イジワルしちゃうなんてコドモよねー。アンタ本当はカルロに惚れてンじゃないのぉー?」
「ッテメェ、ケンカ売ってンのか!!」
 事態を面白がるような、挑発的な口調に、ルキノは色めき立つ。
「――なによ、売って欲しいワケ? いいけど、安くは済まないわよ」
 しかし、ジュリオとて貧民街上がりの、ストリートチルドレンだ。見た目こそ華奢で、そよと風ふかなば、手折れそうな印象ではあるが、決して美しい風貌通りの人間ではないことは、チーム内では周知の事実である。
「おい、やめとけよ。チーム内での揉め事はご法度だぜ。お前ら上位レーサーが潰れるのは願ってもないことだが、生憎、WGPはチーム対抗レースだ。俺達までレースに出場できなくなるのは困るんでね」
 チームの中でも底辺に位置するレーサーが、低く、二人を諌める。その冷静な弁に、気概を殺がれたジュリオは、ふ、と息をついて頭上で片手をヒラヒラとさせた。
「あー、バカバカしいッ。ヤーメタヤメタっと。さ、時間もきたことだし、アタシは一足先に部屋に戻らせてもらうわ。外も記者で一杯だしさ。これじゃ、ウィンドウショッピングにも行けやしない」
 一人ぷりぷりと腹を立てながら席を立つ特異な性癖の持ち主に、声を掛けフォローする者はいない。ロッソストラーダは基本的に個人主義の集まりだ。チーム戦という縛りが無ければこのように定時で集まり顔を突き合わせる事すらない為、当然の反応とも言える。
「…フン。俺もいくぜ。
 話し合いに監督もリーダー様もいないんじゃ話にならねーな。…ったくよ」
 続けざまに席を立つルキノを、やはり咎める者はいなかった。それぞれが同じ事を思ったのか、次々と無言のままで管理室から出てゆく。所詮は品行方正な期待の新星チームを演出する為のカモフラージュ定例会だ。時間さえ過ぎれば問題ない。本当に重要な事項は上層部で勝手に話し合われて、ご大層な札束と一緒に鼻先に一方的に突きつけられるだけなのだから。

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 悪夢の一夜が過ぎ去り、明日の腰痛を覚悟して眠りについたまでは――…、千歩譲って由としても、そこからまさか熱を出してしまうとは予想していなかっただけに、色々と落ち込み中の伊代表チームのリーダーである鉛色(にびいろ)に反射するナイフのような少年だ。
(………最悪だ…)
 微熱程度なら無理を推してでも寄宿舎へ戻るつもりだったが、熱は高く、情けなくも腰が抜けて一人では歩けない程だった。監督――名目上のお飾りでしか無いが――にだけは携帯で連絡をし、単独での諜報活動中だとそれらしい云い訳をして無理やり話を終わらせた。
(……くそ…、 熱…なんて、 何時以来だよ……)
 完全に昨夜の性行為の影響だけに羞恥も煽られようというものだ。この程度の事で体調を崩すなんて昔なら考えられない。腑抜けている証拠だと己自身が酷くもどかしく、歯痒く、悔しい気分にさせられる。当然、好き勝手突っ込んだ相手は溌剌とさえしていて忌々しいことこの上無い。
「…カルロ。大丈夫か?」
「………」
 ギッ、と簡易ベッドの端が軋んで、負荷の方向へ沈むのを背中に感じ、カロルは寝た振りを決め込んだ。声の主が誰であるかなど、愚問以外の何物でもない。USBチームのレーシングカーには、昨夜性交を許した憎々しい男しかいないのだから。
「……寝てる、か。まさか熱を出すとは思わなかったな。
 無理、させたよな。次はもう少し手加減しないとな」
 ――…次があってたまるか、と胸中で激しく毒づくが、面倒なのでそのまま瞳を閉じたままでいる。全身の倦怠感と解熱剤の影響もあって緩やかに眠りの底へと引きずり込まれるようだった。
「…たく、厄介な相手に惚れ込んだもんだ。
 Baby,love you …」
 囁くような愛の言葉を叩き付けるように全力で否定してやりたかったが、瞼は酷く重い。仕方ないのでそのまま意識を穏やかな泥の中へと手放して行く。甘い告白など虫唾が走る。排泄行為に理由をつける馬鹿はいない。性欲処理も然りだ。下らない感情に浸る暇があるなら、富を貪る豚どもから金を毟り取る算段でもつけた方が建設的だ。
「 love …you…」
 繰り返される愛の言葉に全力で唾を吐きかけてやりたい。次に目が覚めたら、必ず実行してやる、と何処か子どもじみた決意を固めながら、ゆるゆるとカロルは意識を手放した。

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 WGP――ミニ四駆世界選手権における試合はチーム戦かつ、順位ポイント制だ。
 勝ち抜きトーナメント戦では無いため、一度や二度の負け程度ならば、充分に取り戻す事は可能だ。逆に言えば、一度や二度の連勝で浮かれていては足元を掬われる、という事でもあるのだが。
 長期間に渡って開催される過酷な世界グランプリにおいては、その途中、選手やマシンの不調において欠場も決して珍しい話では無い。特に、選手においてはまだ成長期の子ども達であるが故に、万全を期していても、止むを得ない状況というのは発生する。
 無論、国の威信と名誉を背負って奔る以上、欠場の決断はとても重いものであり。
 選手が『そう』した時には、何らかの重大な問題が発生していると言っても過言では無い。
 だからこそ、アメリカチーム代表――かつチームのリーダーでもある人物、ブレット・アスティアの次レースの欠場の報告は直接レースへ関わるレーサーやスタッフのみならず、関係各所へも大きな衝撃を与えた。
「…驚きですね。一体、どういうことでしょうか」
 アメリカチームからの正式な会見や発表が行われず、様々な憶測が飛び交う中、世界グランプリでも米国と並び称される優勝候補チームであるアイゼンヴォルフの一員である落ち着いた物腰の少年が、所謂恋仲にある気位の高い恋人へ、食後のお茶を用意するという甲斐甲斐しさを発揮しながら、そう声を掛けた。
「…さぁな」
「……?」
 寝起きの所為もあるだろうが、何時にも増して不機嫌さを前面にして素気なく応じるシュミットへ、褐色の肌に銀の絹髪という人目を惹く容姿のエーリッヒは、違和感を感じて首を捻る。
「珍しいですね」
「何がだ」
「いえ…」
「言いたい事があるならハッキリ言え」
「…そう、ですね。申し訳ありません」
 クールな外見に反してシュミット――シュミット・ファンデルハウゼン・フォン・シューマッハ、名門シューマッハ家の後継者である少年は、苛烈な性格をしており、一度火が点けば誰の手にも負えない。唯一、彼が認めるチームのリーダーであるミハエルの言葉には従うのだが、そのミハエル自身が騒動を面白がる節がある為、常に全ての皺寄せは自他共に認める苦労人のエーリッヒへ行くことになるのだ。
「ブレットに会いに行かないのですか?」
「そんな必要が何処にある」
「……いいえ」
 やはり、らしくない。
 米国選抜チームのリーダーである王者のカリスマを備えるブレット・アスティアへ対して、シュミットは異常なライバル心を燃やしていた。チームとして勝利の重要性は十分承知しているが、それでも、尚、個人として彼との勝負に固執していたはずだ。世界グランプリは二年に一度の周期で開催される予定となっており、自身もブレットも年齢的に次の機会は用意されていない。

 カタン。

「…シュミット?」
 突然に席を立つ恋人は、やはり、不機嫌そうに表情を曇らせていた。何かあったのは確実なのだろう。それが、ブレットの欠場と関与している可能性が高い事も、察して。けれど、自ら話してくれるのを待つしか無い――…己の無力が、ひどく、もどかしい。
「少し、出てくる」
「…はい」
「お前はついてくるな」
「分かりました」
 予想通りの言葉に落胆は無く、強く胸が締め付けられる心地をただ静かに呑みこんだ。

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 WGP――ミニ四駆世界選手権の選手寄宿舎の入り口が俄かに騒がしさを増し、午前中のトレーニングを終えて部屋へ足を向けていたシュミットは、ふと、視線を向けた。
 衝撃のニュースの影響で、寄宿舎の前にはマスコミが張り付いている。レース本番を三日後に控え、それぞれ調整に集中しなければならないWGPレーサー達にしてみれば、非常に迷惑な話だ。何度か大会運営委員の人間が群がるマスコミ連中を追い払おうと試みても、その彼らにさえ事情を聴こうとマイクを向けてくる始末。最早、大会運営側では手に負えず、事態が見守るという方向の体の好い放置状態になっているのだが――…、そのマスコミの只中を掻き分けて、誰かが寄宿舎へとやってきたようだった。
 玄関ホールのガラス扉を開けて一斉に喧噪を増すが、直ぐに外界の声は遮られ、悠々とした足取りで近付いてくる影に、エーリッヒは一瞬息を呑む。
「ブレッ…、 ト…?」
「Hey, What went wrong(ああ、どうかしたのか)…、っと、済まない」
「いえ。それより、どうかしたかは此方の台詞です。
 貴方がまさか堂々と玄関から入ってくるなんて思いも寄りませんでした」
「コソコソするのは性に合わなくてな。
 しっかし、外のアレは幾らなんでも大袈裟だと思うんだが。
 お陰で時間を取られた」
 優勝候補として名を挙げ連ねられているチームの、それもリーダーが世界グランプリレースへの欠場を発表したとあっては、騒ぎになって当然だ。その落ち着き払った態度に、エーリッヒは肩透かしをくらった気分となり、変わらぬブレットの様子に安堵を覚え、多少の呆れも含んだ苦笑を浮かべた。
「ふふ、貴方らしいですね」
「………」
「ブレット?」
 コツッ、とリノリウムの床を小気味良く靴底が弾く音が思わぬ距離響く。そのことに、敵チームであるアメリカのNAアスロトレンジャーズのリーダーを務める人物が、直ぐ傍まで近付いてきた事を察してエーリッヒはその意図を探るように窺いをたてた。身長差から期せずに少しだけ視線を下へ――…、抜群の存在感の所為で気付きにくいが、自身よりも少し低めの背丈に今更ながらに驚く独逸チームの良心的存在の少年は、続く言葉に軽く衝撃を受けた。
「何かあったのか?」
「え?」
「随分、浮かない表情をしてるな。
 …シュミットがらみか?」
「……!」
 確かに多少精彩に欠ける顔色だったやもしれないが、意気消沈の様をまさか殆ど交流も無い敵チームの人間に見抜かれるとはつゆとも思わぬだけに、油断していた。図星を突かれて、エーリッヒは分かり易く狼狽えてみせた。
「そっ…、んな事は…」
「あるさ。大体、お前が一人でウロウロしてるのも珍しいしな。
 大抵、シュミットかミハエルと一緒だろ」
「………」
 指摘通り、その平等で紳士的な態度から高い実力とも相まって、一般には勿論、敵チームのレーサー達にまで好まれる彼が、一人で行動すること自体稀な事だった。  独逸選抜チームを纏める上位三名―― つまりは、リーダーであり不敗神話で語られる生きる伝説ミハエル・フリードリヒ・フォン・ヴァイツゼッガーと、彼を尊敬するチームのナンバー2、シューマッハ家の嫡男であるシュミット、そしてエーリッヒ・クレーメンス・ルーデンドルフとは、互いに敬意を払い合う間柄であり、特に、思慮深く謙虚なエーリッヒはチームのトップを立てようと率先して補佐的な役割へと自身を割り振る。その彼が、レース本番を控えた時期にミハエルやシュミットと行動を共にしていない、それ自体が異常と言い切っても良い。
「…貴方こそ、一体どうしたんですか。
 レース欠場なんて…」
 普段のエーリッヒならば決して他人のプライベートへ踏み込むような迂闊な発言はしない。それ程に、追い込まれているのだろう。どうにか話題を逸らそうと口から出た言葉は、完全に墓穴だった。
「なんだ、何も知らされていないんだな」
「え?」
 驚きを隠そうともせずに、蒼月の華のような薄く儚い色合いの瞳を大きく見開くだけのエーリッヒに、やれやれとブレットは肩を竦めて、ついてこい、と顎をしゃくって見せた。

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 半ば強制的に連れてこられた場所は、寄宿舎の裏手の鬱蒼とした林の中だった。人目も人気も無く、潜んで事を運ぶだけの物陰には恵まれている為、密談にはうってつけだ。軽い既視感に、そういえば、ブレットとカルロ・セレーニの衝撃的な会話を聞いたのはここだったと、思い出す。

「…この辺りでいいか。さて」
「………」
「交換条件だ。お前から先に話せ」
「…何を、ですか?」
 惚けているわけではないのだろう、キョトンとした表情に嘘は感じられない。こういうトコロか、とある意味納得しながら、ブレットは補足を加えた。
「落ち込んでる理由、だ」
「…私的な事です。お話するような内容では…」
「知りたくないのか?」
「……」
 ぐ、と言葉に詰まるエーリッヒに、勝ち誇った表情のブレット。そもそも、基本的に誠実で人の好い独逸チームの良心が、アメリカチーム随一の実力派腹黒リーダーに舌戦で敵うはずが無い。
「…本当にお話するような事ではありませんよ。
 少し前からなのですが、シュミットの様子がおかしく感じられる…それだけです。
 …私を避けたり、とか…、人払いをするくせに、ミハエルは部屋に呼んだり…しますけど。
 別に特筆するような事なんて…」
「At all(全く)…。最も、シュミットはお前のそういうトコを気に入ってるんだろうがな」
「…ブレット?」
「何でもない、一人事だ。
 それより、俺の話だが――…」
「ええ」
「俺は施設で育てられたんだが、そこの管理人の男がしみったれた小悪党でな。
 二週間程前になるが、WGPのレーサーとして華々しく活躍している俺にあやかろうと、金を無心してきた」
「…誇りの無い方ですね」
 宇宙飛行士としての将来を嘱望されているアメリカチームのリーダーの、その出生が決して恵まれたもので無い事は知り得ていたが、養父とも呼ぶべき相手にたかられてたとはつゆ知らず、不義を不徳として断ずる性質の鉄の狼が一員たる少年は、不快そうに眉を顰めた。
「…大した額でも無かったんだが、あの手合いは一度調子に乗せると厄介だからな」
「断られたのですね。賢明な判断です」
「Thanks, ま、その腹慰せでそいつがWGP運営委員にあること無いことタレ込んでな。
 只の場末の正体の知れないチンピラなら歯牙にも掛けられないトコだが、生憎あれでも名目上は俺を育てた人間だ。事実関係を確かめるべきじゃないかって、物議を醸してな。で、俺は取り合えず次のレースは欠場を言い渡されてる」
 大袈裟に肩を竦めて道化染みたパフォーマンスを披露するブレットに、気落ちする様子は微塵も感じられない。レースへの復帰を確信するかのような強い姿勢に、あらゆる意味で手強い相手だと、エーリッヒは微苦笑を浮かべた。
「事情は理解しました。しかし――…」
 今の話と、独逸チームが誇るトップレーサーの二人、シュミットとミハエルの二人が申し合わせたかのように、余所余所しい態度でいる事との接点を見いだせない。戸惑うエーリッヒへ、ブレットは謎かけのような言葉を投げ掛ける。
「…今度の件だが、是非を問うべきだとの意見を強く推してるのは、独逸チームの連中だ」
「え――…」
「品行方正、頭脳明晰な将来を有望視されている宇宙飛行士と、場末のチンピラ崩れの正体も知れない男と、どちらを信用するかと問われれば、言うまでもないだろ。それに、俺にはアメリカという国がバックについてる。参加国の殆どが今回の問題を取り合おうともしなかったそうなんだが、独逸チームから異議があがったそうだ」
「…そう…なんですか」
「資金面での出資が大きいのは開催国である日本と――…、俺達アメリカ、それにヨーロッパ諸国も大きい。その分、発言力もある。独逸はお前たち強豪『鉄の狼アンゼンヴォルフ』の故国だからな、それだけに運営側も慎重に対応せざるを得ない、って話だ」
「…知りませんでした。…そんな…」
 その優秀さを謳われる独逸の双璧を成す少年とて、まだ充分に子どもと分類される年齢だ。資金の問題や国政、外交の問題など噛み合う問題になれば、口を閉ざすしかない。ただ、誰よりも疾く長く遠く、風を全身に感じてサーキットを駆け抜けていたい、それだけが、難しい。
「ミハエルとシュミットは知っているんだろうな。
 本来なら、独逸の双璧としてシュミットと並び称されるお前も知るべき内容だと思うが…、敢えて伏せられた、といったトコロなんじゃないのか」
「…もし、そうだとして。何故、そのような事を…」
 襲いくる疎外感に寂しさを覚えつつも、それが戦術的・戦略的に必要と判断されたのであれば、当然の措置であると、そう弁えられるだけの器を持ち合わせる銀の髪の少年は、戸惑いながらも、彼らの意図に正当性を求めるべく耽った。
「気になるなら、当人達に訊けばいい。一人で悩むだけ時間の無駄だ」
「………」
 強豪と称されるアメリカの頂上へ立ち、チームを纏め上げる若きカリスマリーダーだけあり、ブレットの言い分は至極最もであった。他人(ひと)の心は知り得ぬもの、邪推は良からぬ結果にしか繋がらない。理屈で理解していても、感情がそれを拒むのを、エーリッヒは苦さを以て受け止めた。
「…そうですね」
「気にはなるが、とても訊けない、か。
 鶏鳴の助もいいが、時には正面からぶつかるのも必要だ。
 そうしないと、気付いた時には修正不可能な位にすれ違ってたりするからな」
「……含蓄のある言葉ですね。ご自身の体験に基づく忠告ですか?」
「Ha! なかなか言うな。流石は独逸の双璧だけある」
「…ブレット、?」
 不自然に距離を詰められて、厚いゴーグルで隠された素顔が木漏れ日に僅かに透けて見える。想いを募らせる恋人とは趣の異なる、人の上に在るべき風格を兼ね備えた凛々しい顔立ちに見惚れる一瞬の隙に、顎を、指先で持ち上げられる。そこに至ってもまだ事態を把握しない独逸の銀狼に、これでは狼の皮を被った子羊だと、口の端を持ち上げながら、ゆっくりと鼻先を寄せてゆく。
「……ッ、ブ、ぶれ、ット…、な、なにっ……」
 互いの吐息を直に感じ合う程の密着に、流石の天然狼も、何やらマズイ状況なのではないかと、狼狽し、困惑しながらも抵抗の意を示して見せた。アメリカチームを率いる金髪の王者の、その意図が窺い知れぬものであるだけに、明確な拒絶も出来ずに間誤付く様子がいじらしい。妙に加虐心を揺さぶってくれる存在だと、反応を面白がりながらブレットは耳許へ囁いた。
「Keep quiet.(静かに) 心配するな。Kissのフリだけ、だ」
「……キ、スのふり…、です、か?」
 何故そのような事を、と訊ねようとして、ふに、と口唇に触れてくる指先に遮られた。そしてそのまま、間接的ではあるにしろ、恋人ではない相手との――…、
「目、閉じておけ…」
 強張る背中を宥めるように優しい手つきで撫でられながら、当然のように命令されて、背徳の行為から逃れるように、震える睫毛をそうと伏せるエーリッヒに、ブレットは至極満足そうに何度も何度も、唇を重ねる――素振りをして見せた。

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 ブレット・アスティア――世界各国の情報システムをバックに集積された膨大なデータと、幾多のレースを制覇してきた経験に裏付けられる実力、王者のカリスマを兼ね備えた米国のチームリーダー。WGPでも五本の指の中に名を連ねるトップレーサーである彼の人は――…、随分と奔放な人格なのだと、今更ながらの事実に本日何度目かの溜息が零れて落ちるエーリッヒだ。
「…どうかされたんですか?」
「あ、…いえ、何でもありません。気を遣わせて申し訳ない」
 見兼ねた様子で新二軍チームのメンバーが声を掛けてくるのも、もう何度目になるのか、覚えていない。
 ――…あれから、愛し合う恋人同士が逢瀬を惜しむように、繰り返し指越しのキスを繰り返された後、軽く重ねられていた指先が漸く離れ、漸く解放されるのかとほっと肩の力を抜いたところを、濡れた舌先でペロリと口唇を舐め上げられた。仰天して背後へ飛び退いたエーリッヒに、ブレットは一目でそれを分かる程の上機嫌で、さながら、仕留めた獲物の極上の味に舌鼓を打つ百獣の王。その嫋娜(じょうだ)な勇壮さは、獅子というよりも――…、
(まるで、ライガー、か。虎のように無情に鋭く、王獣のように雄々しく猛々しく…。
 全く…底の知れない人だ。シュミットが拘るのも当然、か)
 記録スコアに残される客観的な数値では到底測りようの無い、不気味な"強さ"、がブレット・アスティアたる人物には確かに存在している。完全にダークホースであった日本選抜チームのレーサー達の健闘ぶりといい、今大会へは少しの驕慢きょうまんも許されない、と気を引き締め直すエーリッヒに、周囲の喧噪が大きく届いた。
「……?」
「エーリッヒはいるか!?」
「…! シュミット!」
 独逸チーム専用のレーシングサーキットへ荒い足取りで飛び込んで来たのは、唯我独尊を絵に描いたような名家の良子。互いの立場上、口にするのは憚られるが『恋人』の間柄にある少年が、肩で息を吐きながら、遠目でもそれと分かる怒りの形相で真っ直ぐに睨んでくるのに、エーリッヒは思わずたじろいでしまう。何事かと物見高い周囲の視線を露とも気に留めずに、シュミットはズカズカと目標へ近付いた。
「シュ…、シュミット? どうし、……ッ、」
「いいから来い!」
 抵抗の暇すら与えられずに、独逸の双璧を担うチームのNO.3は、気真面目だが破天荒な黒髪も美しい少年へ半ば引き摺られるようにして、連れ出されていった。

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「……ッ!」
 シューハッマ家の嫡男であるシュミットはWGPの寄宿舎にも専用の部屋を用意させ、寝具や棚、果ては茶器の類までをも全て好みのそれを揃え、まるで独逸の自室をそのまま再現したような具合に仕立て上げていた。その高級品だらけという何とも落ち着かない場所のベッドの上へ、乱暴に突き飛ばされ、エーリッヒは背中からスプリングへ沈み込んだ。
「シュミッ…、」
「服を脱いで、足を開け」
「………え、」
「脱げと言ったんだ。それとも、無理やり犯されるのが好みか。エーリッヒ」
 理由も告げずに高圧的に見下ろされ、一方的に与えられた命令は到底従える内容では無く、エーリッヒは耳朶までもをふわりと朱色に染め上げて、慌てふためきながら上体を起こす。
「シュ、シュミット? 服、って…、急にどうしたんですか?」
「…エーリッヒ」
「は、はい」
 訳が分からず狼狽えるばかりの恋人の姿に、益々苛立ちを覚えてか、シュミットは普段は高めの声を地の底を這うそれのように抑えて、ぐ、とベッドの上のエーリッヒの胸を膝で抑え込んだ。
「ッ…、シュ、ミッ……」
 息も継げない程の圧力に眉を寄せ苦しげに喘いで見せながらも――…、微塵の抵抗も無い健気さに溜飲が下がるのを感じて、シュミットは攻めの手にほんの僅か酌量の余地を与える。
「俺の性格は知っているな、エーリッヒ」
「……存じ上げている、つもり…ですが…」
 激しい意思を秘めた菫色の瞳に強く射竦められて、弱々しく、蒼の双眸を逸らしてしまう愛しい恋人に、シュミットは容赦無く牙を突き立てた。
「俺は俺の所有物ものに勝手をされるのが何より嫌いだ」
「はい」
 それは、――知っている。
 というよりも、恋人に至るまでの長い付き合いの間で十二分に思い知らされた。
「なら、何故お前はあの男にカラダを許している」
「……え」
 予想外の言葉に自分の上に圧し掛かる恋人をバッと見上げるエーリッヒだが、その反応を事実の肯定と受け取ってか、シュミットは苛立った様子で指先をスウェットパンツの中へと潜り込ませた。
「! シュ、シュミ…ッ、な、急に何をッ……!?」
 敏感な場所に直接触れられ、当然の如く狼狽するエーリッヒに、シュミットは淡々と事を進めてゆく。まるで品定めでもするような情の無い手つきには甘さなど微塵も含まれはしない。どちらかと言えば、エーリッヒは潔白で禁欲的な性質だ。肉体の快楽に惰性で流される事は無い――ただ代わりに、精神的に攻められれば即座に陥落してしまう――ので、無理やりに熱を煽ろうとしても、難しい。
「黙れ。ブレットとは何時からだ。こんな事なら、お前だけ先に行かせるんじゃなかった。
 ――…、くそっ…!」
「シュミット!? 何を言っているんですかッ!
 私とブレットはそのような関係では!!」
 寧ろ、ブレットへ執着していたのは貴方の方ではありませんか――と、叫びそうになる衝動をグッと堪えて、エーリッヒは必死で関係を否定した。名実共に独逸のNO.1の地位にあるミハエル・フリードリヒ・フォン・ヴァイツゼッガ。彼以外のレーサーなど眼中に無いと傲慢不遜に構えていたシュミットの口から、幾度と無く米国チームの若き獅子の名を聞かされ、その度に嫉妬の念が胸の最奥で疼くのに、酷い誤解だ。どう曲解すればそんなとんでもない結論に至るのか疑問で仕方がない。
「ほぉ? ならお前は、今日の昼に何処で何をしていた」
「……え?」
 昼――…、と具体的な日時を指定されて、直ぐに思い当たったのがブレットとの――、
「あっ…、あれは違いますッ!
 彼とは偶然に逢って少し話をしていただけ――…」
「なら何故――、」
「ッ! ……しゅ、シュミットッ!」
 在らぬ事態に委縮するばかりの先端を指先で捏ねまわされ、鋭く息を呑むエーリッヒに、シュミットは酷薄な笑みを貼り付け続けた。
「キスなんて、していた?」
「……! みて…いたんですか?」

 ――完全に、失言、だった。

 その場にシュミットが居たという事実に気を取られ過ぎて、質問への肯定と取られ兼ねない返答が口をついていた。撤回を試みるも時既に遅く、特別に甘え支え合う関係となってからは一度も向けられた事の無い、無機質で冷酷な眼差しが真上から降り注いだ。
「…エーリッヒ」
「――…、シュミ…っ、ちが…、」
 ふるり、と大きく全身を震わせて脅える哀れな獲物に、綺麗で残酷で傲慢な黒の獣は、恐怖を煽るように殊更ゆっくりと、舌舐めずりした。

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現場を見ていたのに怒鳴り込んで来なかった
そんなシュミットの態度にショックを受けるエーリッヒ
愛故に苛めたくなるキャラNO.1

エーリッヒはシュミットのお陰で
俺様キャラには本能的に逆らえないので
ブレットには激弱くて流されるという体たらく