支配の鎖



「かーるーろー」
「なんだ、煩い」
「なによぅー、つれなーい。
 姿が見えないと思ったらフラッと戻ってきて、心配したんだからぁ」
「見え透いた嘘は止めておけ」
「ぶーぶー」
 レース本番を三日後に控え、各々マシンの最終調整に余念が無い中で、米国、独逸と並び称される優勝候補チームのイタリア代表ロッソストラーダでも随一の変わり種の少年が、リーダーであるカルロ・セレーニに背中からしなだれかかっていた。
 二人がいる場所はチーム専用会議室。
 チーム戦が大前提としてある世界グランプリにおいても、イタリアチームは特に『個人』の考え方が強い。最も、個人技に特化している点では、マシンすら個々に用意してある日本チームが異端の代表格ではあるが。チームとしての連携が特に重要視されるWGPで、個人技を駆使して勝ち抜く日本勢の姿は、ミニ四駆レーサー界の風雲児として観客を熱くさせている。
「それより、他の連中はどうした」
「ん? ああ、来ないわよー。緊急招集なんて、真っ赤な ウ・ソ だもの」
「…どういう事だ、」
「だからぁー、会議室に集まれって言うのはアタシの吐いた嘘だってば☆
 もう、鈍いんだからぁ、カルロってばかーわいーい」
「……ジュリオ」
「ああん、待ってよ! まだ怒らないでッ!
 嘘吐いたのは悪かったけど、二人っきりで話したかったんだもん、仕方無いじゃない?
 施設も屋外も何処に人の目があるか分かったもんじゃないし。
 かと言って、アンタの部屋に押し掛けても入れてくれないでしょお〜?」
「…用件は何だ。下らない話じゃねーだろうな」
「あらん、とぉーっても大事な話よぉ?」
 チーム内の関係が最悪であるだけに、各々の性格を熟知しているカルロとジュリオは、互いのカードを目の前で切って見せた。
 基本的にロッソストラーダの面々は打算的且つ効率及び利益重視だ。その『益』の部分が個人の莫大な富であるのか、レーサーとしての華やかな名声であるのか、故郷へ築く確固たる地位であるのか、何れを選択するのかは各自の自由範囲だが、どちらにしろ、ジュリオとて計算高い人間の内の一人。チームのリーダーとは言え、裏の年若いギャングの中でも特に頭角を現していた男へ掛札をチラつかせるからには、それなりの勝算があっての事だろう。
「アタシさ、まだカルロにお礼を言って無かったじゃない?」
「…何の話だ」
「んー? 忘れちゃったのぉ? 相変わらず、つっめたーいんだから。
 でも、そういうトコも大好きよ、カ・ル・ロん♪」
 背中に回り込んでしなだれ掛ってくる、男のそれとは思えない弾力のある腕を乱暴に振り払い、カルロはガタ、ン、と派手に会議室の椅子を鳴らして立ち上がった。
「おい。まさか、それが用事だって言うんじゃないだろうな…?」
「やっだぁ、まさか! 本題はこれからだってば、キレちゃいやーん、こわーい」
 不穏な空気を感じ取るジュリオは慌てて両手を振ると、これ以上の引き延ばしは得策ではないと判断して本題を切り出した。
「で、その時なんだけどぉ。アタシ、偶然こーんなもの見つけちゃったのよねーえ?」
「………」
 起立姿勢のカルロの背後から腕を回し、肩を軽く押さえて着席を促すのに、暴れ馬と名高いロッソストラーダの中でも、特にキレた奔りを魅せる銀髪の少年は、舌打ちと共に承服して掛け直す。
「うふ、アリガト。やっぱり、腕っ節だけのノーミソ空っぽ野郎とは違うわ〜、惚れ直しちゃう」
「…見え透いた世辞はいい。用件を言え」
「アラ、お世辞じゃないわよぅー? アタシは、ホ・ン・キ。
 だから、今回の事だって誰にも言わずにぃ、直接持ってきてあげたんじゃなぁい?」
「………」
 整った造作の貌に化粧を施し、素顔と本心を巧妙に隠し抜いて生きてきたネイビーベイビーは、チームのリーダーであり、また初恋の相手でもある孤高にして唯一無二の存在へ、そっと、しかし確実に王手を賭けた。

 カルロって、意外とイイ表情(カオ)するわよね?

 愛玩動物に毛が生えた程度と軽視していた生物(ジュリオ)の舌舐めずりは、
 捕えた獲物(こうぶつ)の胎肉に喰らい付く野獣の本能、そのままの生々しさだった。

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「――で、何で俺のトコにくるんだ?」
「うん。それは仕方ないね。だって、君達のリーダーが元凶なんだから」
 恨みがましく不貞腐れるエッジの肩を、ぽんぽん、と軽く叩いて宥めるのは、折角の休暇に頭の痛い話をわざわざ御運びあそばされた人物――、WGP優勝候補として名を挙げ連ねられるチームのひとつ、独逸の強豪『鉄の狼』(アイゼンヴォルフ)が誇る天才レーサー、時の人であるミハエル・フリードリヒ・フォン・ヴァイツゼッガー、その人だ。
「…いや、それはまぁ…、
 …………否定できねーけど、………。
 否定できねーけど、俺はかんけーねーだろっ、俺はッ!!」
 ガチャン!!
 思わず手にしていた珈琲のカップを猫足のカフェテーブルに叩きつけて、中身を零してしまう。
「あちっ!!?」
 大きく飛び上がった芳醇な香りをさせる液体は、カップの持ち手を握り締めていた当人へと襲い掛かり、見事に因と果の関係性を成立させた。
 泣きっ面に蜂とはこのことだ。
 赤く腫れた右手をプラプラとさせながら、天を突く自慢の鋭角ヘアスタイルをへにゃりと寝かせ、重苦しい溜息と共にエッジはその場に突っ伏した。
「…勘弁してくれよ〜…、マジで〜…」
 過密なスケジュールで世界中を巡る少年レーサー達へ、クールダウンの為にと。ブラジル戦を終えてから、WGP大会本部は三日間の完全休暇を通達した。レースの後片付けや前準備に追われる関係者は兎も角、選手達はミニ四駆への一切喝采を忘れて休暇を楽しむ事、との仰せだった。
 自国の威信を賭けた戦いの最中で不謹慎では無いかとの外野の声が聞こえてきそうだが、各国を代表する選手達とは言え、やはりそこはまだ彼等はジュニアスクールの年代なのだ。
 それに、昨日のブラジル戦は結果が成績(ポイント)に影響しない親善試合的意味合いのもので、内容も競争を意図しない、エンターテイメント性の高いそれだった。
 大会本レースであれば、走行妨害であるとの批判因子にしかなりえないジェット風船は空を自在に飛び交い、専用機からはカラフルな紙吹雪を降らせるパフォーマンスが繰り返され。
 ミニ四駆の試合内容といえば、スピードを競うのでは無く、借り物競争であったり、二人三脚的なものであったり、他には世界各国の代表であるレーシングマシンの模型展示や、各国の代表選手との握手会、数々の出店も立ち並んで、まるでカーニバルの国に迷い込んだような、華やかで楽しげな熱狂に会場が包まれたのはつい昨日の事だ。
 道楽好きな性分の『アストロレンジャーズ』の2エッジ・ブレイズは、前日の熱に浮かされたまま、今日は地元の女の子達でもナンパして、キャアキャア騒がれながら豪遊と洒落こもうかと、街角の小奇麗な観光客用のカフェで遅めの朝食を摂っていたところだった。
 何より有難いのは、猛烈トラブルメーカーであるリーダーが目下張り切って謹慎中である事実だ。WGPのチームメンバーであり、同期の宇宙飛行士訓練生である立場からすれば何とも冷たい言い草に聞こえるかもしれないが、レースに支障が無ければ永遠に封印されておいて欲しい位だった。
 毎度毎度、王様の勝手都合に振り回されていては身が持たない。あの天然ドSの腹黒キングが、何処の馬の骨に懸想しようが、その相手というのが実は野郎だろうが、その上対戦チームの強豪イタリア・ロッソストラーダのリーダーだという衝撃的事実があろうが、この際問題では無い。
 個人の性的思考に口を挟む無粋な趣味は持ち合わせていないのだ。下らない細事に逐一拘る小物と見くびって貰っては困る。
 そんな事よりも。
 兎に角、何を差し置いても。
 心身ともに健康健全な青少年であるエッジ・ブレイズが、切実に願うのは唯ひとつ。
「……なんでもいいから、俺を巻き込んでくれるなよ〜……」
 この一点に尽きるのだが、未だかつて適った例(ためし)が無かった。

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 各国の代表選手である少年少女達が出払いガランとした仮寄宿舎で、只今謹慎中であるアメリカ代表チームの要選手ブレット・アスティアは大人しく私室に籠もっていた。彼の猛々しい王者の気質を知る者には意外とも思われる従順さだが、明哲保身、"子ども"という絶対的な"弱者"のカテゴリへ強制的に位置せざるを得ない今の己の"分"を熟知するからこその、実力成果主義の世界を勝ち抜いてきたブレットらしい巧みな処世術だ。
「……ふぅん?」
 そんな抜け目の無い未来の宇宙飛行士たる少年は、ゴロリとベッドに仰向けになりながら、昨日行われたブラジル戦の新聞記事に目を通していた。
 お遊び要素の強い親睦試合とは言え、世界中が注目するWGPの舞台のひとつだ。それに、ここまで大会の規模が大きくなると、純粋なミニ四駆好きよりも、選手のファンだという、所謂"にわか"がファン人口の大半を占めるようになってくる。そんな観客達にとっては何よりのイベントになったであろう先日のレースに、――馴染みの名前が見当たらなかった。
「……選手達は普段とは違うリラックスした表情を見せ、ファンも大いに盛り上がった。
 滅多に無い機会だけに、独逸の双璧と謳われるシュミット・ファンデルハウゼン・フォン・シューマッハ選手と、エーリッヒ・クレーメンス・ルーデンドルフ選手の両名が欠場は大変惜しまれ、特に女性ファンから落胆の声が多く寄せられており――…、か」
 遣えるべき主君であり、魂ごと魅せられ囚われる運命の恋人――であるはずのシュミットの本音(ココロ)を理解出来ずに、不安に震える褐色の毛並みも見事な躾の行き届いた飼い犬の様子が余りに可愛らしくて、ついつい無体な悪戯を仕掛けてしまったのは、ブラジル戦の三日前。あれから、今日も入れてしまえば丸五日という計算になる。そろそろ本格的に旗色が悪くなる頃合では無いかと、新聞の四隅を合わせ几帳面に畳み直してから、無造作にダストボックスへ投げ捨てた――瞬間を狙ったかのように、チリーン、と部屋のベルが実に涼やかな音色を響かせた。
「…来たか」
 ご機嫌状態のエッジが出掛けてから二時間弱、大方予想通りの展開だと、ブレットは会心の笑みを浮かべた。

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 ブレットの読みに違わず、チームメンバーであるエッジに連れられてやってきたのは、目立たないようにと変装を施してはいたが、見間違えようもなく、独逸の天才・今大会ナンバーワンと称されるミハエル・フリードリヒ・フォン・ヴァイツゼッガー、不敗神話を持つ少年レーサーだった。
「やぁ、こんにちは。久しぶりだね、ブレット」
「ああ、お前の天才面を随分久しぶりに拝んだ気がするな。
 何せ、此方は謹慎中の身の上だから仕方ない。全く、不自由で困る」
 ワザとらしい大層な帽子を片手で持ち上げながら、酷く薄っぺらな挨拶を交わすミハエルに、ブレットも人を食った調子で鷹揚と応じた。
「あはは、全然困っているようには見えないけど? 相変わらずのマイペースだなぁ、君は」
「天才の誉れ高いミハエル殿にお褒めに預かるとは、光栄の至り」
「どーでもいいから、サッサと中に入ってくれよ〜。…マジで。頼むから。
 こんなトコ他の奴らに見られでもしてみろ、WGP出場権永久停止とか、シャレになんねーよ」
 変装の為にと長い黒髪のウィッグを被り、ツバの広い帽子を目深にして、目の色を誤魔化す為にその辺の露天で間に合わせた安物のサングラス。まさかこれが独逸の天才レーサー『ミハエル』だとは誰も思わないだろうが、部外者を施設へ招きいれている時点でアウトなのだ。幾らほぼ無人状態の寄宿舎とは言え、用心を重ねるに越したことは無い。周囲を警戒した様子で、エッジは些か乱暴に招かれざる客の背中を押した。
「はいはい、心配性だなー、エッジ君は」
「意外と小心者だからな」
「お前らの間隔がズレてんだよ!」
「ほら、騒ぐと見つかるぞ」
「……ぐ。」
 的確に諌められて反射的に言葉を飲み込んでしまうのは、エッジ・ブレイズという人間が真に常識人である為だ。下町…スラムの片隅の小汚い教会、痛々しく両手両足を磔にされたカミサマとやらの前で、幾らかの金を握らせた女の尻をファックするチンピラの姿を見て育った、完璧な叩上げエリートのブレットとは根本から異なっており、彼のその人の好さがブレットに好かれる理由であり、付け込まれる要因でもあった。
「さ、ミハエルお前も中に入れ。どーせ、シュミットの件だろ?」
「うわ、お見通しか。やだなー、ホント怖いよね、君って。
 敵に回したくないレーサーナンバーワンだよ」
「無敗神話の天才に言われると、世辞も厭味だな」
「あはは、天邪鬼だなぁ。素直に褒め言葉として受け取ってくれればいいのに」
 招かれるままに部屋の奥へと入ってゆく変装を施した小柄な少年――の背中を見送って、エッジはぐるりと裏返った。通路側に開け放った扉へと向かう足が一歩を踏み出した時点で、右肩には強烈な圧力が掛かった。穏やかな、しかし決して無碍に振り払えない恐怖の一手がそこにあった。
「…どうした、エッジ? まだお別れの時間じゃないぜ?」
「あ、いや。…ちょっと、ボク、トイレ」
「俺の部屋のを使え。オナるなよ」
「…できるかっつーの…」
 どう足掻こうとも、天性の王者のカリスマである傲慢・唯我独尊男に敵うはずがない。
 WGPのレーサーの中でも特に女性関係が健全に派手なナンパの伝道師は、これまで培ってきた経験から早々と逃走を諦め降参の白旗を揚げた。謂わば、魔窟。その表現が決して大袈裟では無く寧ろ的確ですらある、悪魔二匹が待ち構える悪意の部屋の中へと、エッジは大口を開け待ち構える狼の口へと自ら身を投げる仔羊のような心地で飛び込んでいったのだった。

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「―― それで、どうなっているんだ?」
 カツン、とソーサーに珈琲を置きなおし、ブレットはデスクチェアに鷹揚と腰を落ち着け、対戦チームの将である二つ年下の少年へ状況確認及び情報提供を促した。
「それが、僕も彼らの現状を把握出来ているわけでは無いんだ。
 シュミットはエーリッヒを連れてシューマッハ家が用意した専用車両に籠もってしまっていてね。
 残念ながら、ヴァイツゼッガー家の権力(ちから)を以ってしても、解決は難しいようなんだ」
 憂いを帯びた苦笑を浮かべ、ミハエルは長嘆息を披露した。彼なりに色々手を尽くしてみたのだろうが、この様子では全て徒労に終わったようだ。ブレットの元を訪ねたのは最終手段なのだろう。
「…エーリッヒのやつ、監禁でもされてる、とか?」
 壁際で気乗りしない調子ながらも、生来の御人好しとお節介な性分から耳を傾けていたエッジが、表情を曇らせて口を挟む。
「……かもね。確かめる術を持たない以上推測に過ぎないけど…。
 二人とも、安易にレースを放棄するような性格じゃないんだ。
 けれど、ブラジル戦を欠場した。その意向を伝えてきたのはシュミットなんだ。
 ――それだけ思い詰めているかと思うと、ゾッとしないね、正直な話」
 視界を臙脂の色で遮る慣れないサングラスを外しながら、ミハエルは眉を潜め極めて深刻な様子でエッジの疑問に答えた。
「独逸政府はどう判断しているんだ?
 国家を代表するWGPの選手が私的な事情でレースを欠場、寛容されざる事態だと思うが?」
「それは勿論、こんな事を正直に報告すれば――、
 エーリッヒは兎も角、シュミットは間違い無く代表選手から除外されるよ。
 だから、今のところは内々に処理してあるんだ。
 幸い、先日のブラジル戦は交遊目的のものだったから巧く切り抜けられたけど――…」
「上を誤魔化すのも、そろそろ限界、ってことか?」
「…ご明察。丁度、今回の休暇が終わる頃に政府から定期視察の人間が寄越されるんだ。
 流石に、彼らの目を晦ますのは難しくて…、ね。
 あの連中ときたら嫌になるほど鼻と目端が利くんだよ。
 しかも、融通が利かない堅物だから手に負えないよ、ホントに」
「まさに、政府の狗、だな」
「うまい事言ってないで、どーにかしてくれると助かるなぁ。
 そもそも、今回の件は君の行動に起因してるんだからね?」
「…ちょっとした悪戯のつもりだったんだが」
「君にはね。シュミットもエーリッヒも真面目なんだから、からかって遊ぶのは程々にしてね」
「………あのー。」
 互いの事情に精通しているらしい訳知り顔のリーダーズの会話に、恐る恐ると挙手をして割り入るのは、半強制的に問題に巻き込まれた苦労人の少年だ。意思の強い四つの瞳に一斉に向き直られて一瞬ギクリと身を強張らせるが、疚しい事があるわけでもなし、と己を奮起させ言葉を続ける。
「盛り上がってるトコわりーけど、…その、リーダー?」
「うん? どうした?」
「一体、アンタ何したんだ? 悪戯とか何とか…、
 ミハエルには大雑把な説明しか受けてないし、その辺聞いておきたいんだけど」
「なに、大したことじゃない。
 エーリッヒと俺のラブシーンをシュミットに見せ付けただけだ」
「思いっきり、これ見よがしにね。
 あの時僕がシュミットを止めてなかったら、どーなってたことか」
 悪びれない様子で言い放つアメリカチームのリーダーに、ミハエルは呆れたとばかりに溜息を吐いた。
「どうせお前が止めるだろうと思ったが…、別に殴りかかられても構わなかったぜ?」
「っじょーっだん。そんなコトになったら、今度はシュミットが出場停止を喰らうよ。
 どう転んでも自分に益がゆくようにって、本当にいい性格してるよね」
「性格の悪さはお互い様だな、ミハエル・フリードリヒ・フォン・ヴァイツゼッガー」
「……いやいや、え? …は? え? ……ええ??」
 互いの性根の悪さを指摘しながらも、何処か楽しそうに軽口を叩き合う規格外のリーダーズ。そんな二人の傍で、WGPの著名レーサーにしては常識を弁えた赤毛の少年が、何やら切羽詰った様子でブツブツと独り言を呟いていた。
「うん? どうした、エッジ」
「――ッ! どぉした、じゃねーだろ〜〜〜〜ッ!!
 なんで、そんな無駄に常時爽やかなんだよ、アンタ!
 エーリッヒとのラブシーンってどういう事だよ!? どーなっちゃってんの、アンタ!??
 イタリア美人にマジボレしてんじゃなかったのかよ、一発ヤッたらもう浮気か!?
 しかも、元・恋人の前でイチャつくとか、どーゆー神経してんだよ!鬼畜か? ドSか!?
 リーダー頼むから人としての道を真っ直ぐ歩いてくれよぉ〜〜!!」
「いや、ちょっと待て。落ち着け、エッジ」
 両肩を力一杯捕まれ、ガクガクと前後に揺さぶられるブレットは、当惑混じりの溜息を吐く。
「えっ? 何々、どういうコト、イタリア美人って、あれでしょ? カルロ・セレーニ。
 シュミットから聞いてはいたけれど、ご執心って話は本当だったんだねー。
 で、何? 最後まで? あの暴れ馬をよくオトせたよね。ちょっと詳しく話してよ」
 そして、意外にゴシップ好きな金髪碧眼パーフェクトスマイルの幼い王子様は、興味津々の様子で、ブレットの左腕を掴んでグイグイ引っ張り、事の次第い対する説明を強請る。
「…ミハエルも、今はそれどころじゃないだろう?」
「それどころじゃないけど、それどころでもあるからいいのっ! ほら、早く!!
 体位とかそういうのも、赤裸々に話してもらうからねー」
「りーーーだぁーーーー! 今度という今度は、アンタを見損なった!!
 俺はっ、俺はっ、そりゃー、散々犯罪の片棒担がされたけれど、それもこれもアンタが本気でアイツの事が好きなら、そりゃしょーがねーって男を見せてきたんだぜ!
 なのに、今になってエーリッヒに乗り換えなんざ、どぉいう了見だよ!? え!!? そりゃ無いだろ!?
 しかも、よりにもよってライバルの恋人を寝取るなんざ、アンタ最低だ! 最低過ぎるぜ!!」
「……いや、だから」
「で? どういう感じに口説いたの? やっぱ、正攻法? それとも、イキナリ押し倒したとか?
 あーゆースレたタイプって意外とストレートな攻めに弱いんだよねー、ね、どうだった?」
「リーダー…、最悪だ、アンタほんとに最悪だよ…。
 俺はもうアンタとこの先やっていく自信が無くなった。
 色々キレてるヤベー奴だけど、それでもいい奴だって思ってたのに…、俺…、俺……」
「お前ら、話を聞けと言って――…、」

 ガンッ、ゴン、ガンッ。

「「「!!?」」」

 仮の寄宿舎として借り上げられている建物――選手用の本寄宿舎は日本に設置されている――の三階、ブレットの部屋の窓に突然何かが激しくぶつかる音が響き、三人とも一瞬で静まり返った。少年等が秘密裏に集まる部屋が高層ビル群の一室であれば、これが窓に激突した鳥の仕業と結論付けられるのだろうが、現状に於いてはその可能性は限りなく低く、人為的なものを考えざるを得ない。

 ゴンッ、ガン。

 時を止め静まり返る室内に、再び同じような音が響いた。視界にハッキリと映り込む小枝の存在。部屋の主であるブレットは、エッジは兎も角、 "居るはずの無い" 部外者に目配せをしてから、締め切っていた窓を左右へと開け放ち、緑の濃い地面へと警戒の視線を差し向けた。
「………っ」
 そうして望んだ先に、想像だにしない光景を認めて、思わず息を呑む。
「……カルロ…」
 たった今客人との話題にも上っていた、銀褐色の毛並みも麗しいイタリア産の暴れ馬。広野の果てまで駆け渡る高潔の輝きは、目も眩む程の美しさで天上の陽に映える。威嚇の意にギラきながら見上げる、磨き抜かれた刃紋の鈍光を連想させる双眸は、美しい憤怒の炎に燃え立っていた。

 正しく、問答無用の不意打ち。
 獲物を捉えた肉食の獣の如く薄く収縮する虹彩。
 驚きに見開かれる対の黄金が、餓えを自覚すると同時に朱に染まる。
 欲望の滾りを感じた瞬間、既に両腕は窓枠を掴み、片足は窓縁を飛び越えようと――。

「ばっ! なにしてんだよ、リーダー!?」
 突然の乱心に顔色を失くすのは、破天荒な人物を身内に持って心労を重ねる常識人エッジだ。今にも三階の窓から飛び降りようとするブレットを背中から抱き止める形で制止して、余りの衝撃にひっくり返った悲鳴を上げる苦労人。
「…いいから放せ、邪魔をするな」
 鬼気迫る形相でトチ狂った内容を口走るのは、アメリカチームの基本戦法であるデータ・ランの要としてリーダーの任を戴く、自他共に認める冷静沈着の少年だ。
 膨大な情報を解析する事により得られた結果。そのデータに基づいて展開される計算され尽くした隙の無い走り。これがアメリカの得意とする戦術であったが、データ・ランとて万全では無く、不測の事態に脆いとの致命的な欠点がある。その弱点を補う意味で、多少の揺らぎなどモノともしない不動の自信を根底とする絶対的な存在――、チームの楔としてブレット・アスティアが選ばれたのだ。その、泰然自若を絵に描いたような人物が、何をどう思ってか、三階の窓から飛び降りようとしていた。
「放したら、アンタ飛び降りるだろ!? ここから!!」
「愚問だな」
「愚問じゃねーつの! リーダー、アンタ正気かッ!!?」
「下らん質問をするな、いいから放せエッジ」
「放せるかっつーの! なんで、飛び降りなきゃなんねーんだよ!
 フツーに階段使って行けよ! アンタ、マジでバカだろ!!?」
「バカはお前だ、エッジ。俺は謹慎中で部屋の外には出られん」
「だからって、窓から飛び降りるバカがいるかよ!!
 ああもうっ、ミハエル! おい、ミハエル!! 止めるの手伝ってくれよ!!」
「…ブレットは、意外とバカ、っと…」
「ミハエル〜! メモなんか取ってねーで、どーにかしてくれって!!」
 我関せずを決め込むミニ四駆界の貴公子、独逸代表の気品溢れる風貌の少年に、エッジは恥も外聞も無く必死に頼み込む。すると、可愛らしく口唇を尖らかせるという年相応の仕草で、ミハエルは満面の笑みを浮かべて恐ろしい事を平然と口にした。
「えー、いいんじゃない? 面白いから、そのまま飛び降りさせれば?
 ブレットだし、きっと平気だよ。そのままカルロ君を襲う位やってのけるんじゃない?」
「それはそれで問題だろ! 頼むから手伝ってくれって!
 あいつ等のコトはどーすんだよ!?」
「あ、そっか。じゃあ仕方ないなー」
 あいつ等、つまりは独逸の双璧として抜群の活躍を見せるシュミットとエーリッヒの二人の事である。流石にチームメイトの件を持ち出されれば、冷徹無情の天才少年とて面白半分でブレットの無謀を静観しているわけにもゆかず、てこてこ、と小さな歩幅で無駄な愛らしさを演出しつつ、窓際で膠着状態に陥っている二人へ近付いた。
「!」
 そして、エッジには聞き取れぬ小声で、何事かをブレットの耳元に囁く。
「…本当だな?」
「うん、約束する。けど、その為にはコッチの問題も片付けて貰わないといけないけどね」
「……OK。そういう事なら。
 但し、カルロをここに連れてきてくれ。
 空腹は自覚すると駄目だな、格別に強烈なアッパーを食らった気分だ」
「いいよ。どーせ、彼も君に用事なんだろうし。
 何なら、協力してくれると嬉しいなー」
 ミニ四駆世界グランプリレースWGPでも、一、二位を争う腹黒リーダー達の盟約は密やかに交わされた。常人には耐え切れぬドス黒い瘴気を孕んだ空気の中で、どう転んでも巻き込まれるしかない苦労人エッジは、破天荒ぶりを見せ付けるリーダーの背中に張り付きながら特大の溜息を吐いたのだった。

 
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 酷く重たい目蓋を持ち上げて見上げる天井に、変わり映えなどあるはずも無く。
 身動ぎと同時に響く金属音に、未だ枯れず抱き続けた希望が今日もまた絶望に塗り替えられた。
「………」
 シューマッハ家が手配した特別なトレーラー車の中は、まるで一流ホテルのような内装が施されており、何時如何なる状況であろうとも、名家の家督を継ぐ人物として相応しい環境をと、何一つ不自由の無い暮らしを約束されるシュミットの立場を羨んだ事もなければ、嫉んだ事も無かったが、今回ばかりは、彼の背後にある無闇な権力に恨み事を口にしたくなる、と無体な拘束を受ける少年――褐色の肌を乱れたシーツでしどけなく覆うエーリッヒは、綺麗な弧月を描く柳眉を潜めた。
(……今日、は…、 何日目 に…… )
 なるのだろうか。
 ブレットとの間柄を不義のそれと邪推され、強引に連れ込まれたシューマッハ家の専用車両。それでも幾許かの冷静さを残していたのか、数年前のように直接的な暴力に依る制裁が加えられる事態だけは免れていた。  しかし、だからと言って現在が楽観視出来る状況であるはずも無く、何らかの手段で外と、ミハエルと連絡を取れないだろうかと考えを巡らせるものの――…、
(……これでは、外へ出るのは……、 難しい )
 シーツの端から伸びた瑞々しい褐色の脚、その細括れの部分を捕える無粋な金属の輪。それは頑丈な鎖と繋がっていた。ならば鎖を断ち切れないだろうかと思案するところだが、当然ペンチやそれに相当する工具が見当たるはずも無く。鎖を根元から引っ張って千切れないかとも試してみたが、残念ながら長く伸びた鎖の先は車両の内壁に埋め込まれており、ビクともしなかった。
(………。それに、拘束が無かったとしても、こんな格好じゃ…)
 衣類の類は根こそぎ剥ぎ取られ、成長期の少年特有のしなやかな四肢を覆うのは、頼り無いシーツ一枚だけだ。除湿機能付きの冷暖房完備な車内での愛玩動物生活に、温度や湿度の煩わしさは一切感じないが、それとこれとは別問題だ。下着の一枚でもあれば随分と安心感に違いがあるのだろうが、それすら許されない環境にエーリッヒは押し込められていた。
「………」
 ふぅ、と思わず洩れた吐息、目端に映る己の姿、ベッドの上から右に視線を流せば大きな姿見が用意されていた。煌々と明るい車内の蛍光灯に照らされ、毎夜『躾』の名目で身も世も無く蕩かされる艶事の痕跡がくっきりと見て取れ、エーリッヒは思わず新しいシーツを首元まで手繰り寄せて、初夜を越えた新妻のように初々しく頬を染め上げ、小さく縮こまった。
(〜〜〜っ、こ、こんな……、 身体中っ……、 ―――ッ )
 全身の至る所へ咲き乱れる仄かな花弁は、特に敏感な部位に色濃く際立ち誇っていた。
 首筋、鎖骨、脇腹、腕の内側、大腿、全てに残される侵略の爪痕を改めて見せつけられ、居た堪れなさに、エーリッヒは慌ててベッドの周囲を覆う遮光カーテンを下ろした。
(………)
 最悪、――考えうる限りの最悪なシナリオだが―― WGPの委員会からの圧力や、国家権力の介入で開放されたとして、しかし、こんな、あからさまな姿を見も知らぬ不特定の人間の前に晒すかと思うと――、
(……考えるだけで、顔から火が出そうだ……)
 脱出という選択肢は従順な少年の中には存在せず、外との連絡方法も皆無。
 となれば、堅固な鉄の檻で厳重に飼われる、灰の毛並みも美しい狼(ペット)に残された手段は、唯一つだけ。
「……、………」
 主人の誤解を解いて機嫌を直して貰い、許しを頂く、円満解決の道標だ。
 しかし――…、
(………それが何より難しい…、か。
 ああなったシュミットは、俺(ペット)の話になんて、……耳を貸してくれるはずも……)
 せめて冷静な第三者――この場合はミハエルが最適か――に仲裁役として立ち会ってもらうか。一種の賭けにはなるが、当事者であるブレットから直接関係を否定して貰えれば、違う局面が見えるのだろうが、とぐるぐると考え込むエーリッヒの耳許に、飼い主の無情な声が完全に不意打ちの形で届いた。
「…何を考えている? エーリッヒ」
「ッ!!」
「…何を考えている、と言った。正直に答えろ。三秒以内だ」
「――…、シュ、ミ、ット……」
 思考の迷路に嵌り込んでしまい、不覚ながらシュミットの帰還に気付けなかったようで、思わず全身を強張らせるエーリッヒに、シュミットは酷薄な笑みを無機質な風貌に張り付けた。
「…三秒経過。フン、お前はまだ俺の所有物(ペット)としての自覚が足りないな?」
「――…、シュミット…ッ、お願いですから話を聞いては頂けませんか…っ」
「お前とブレットの関係についてなら、却下だ。
 …堅物のお前が遊びでブレットと関係を持つとは思えない。
 ――…なら、本気という事だろう?
 お前には、以前(まえ)から伝えていたはずだ。
 俺から離れるなんて、 "赦" さない と」
「…っ、シュミット…! 私と彼との間柄を疑われるのはおやめ下さい!
 今も昔も変わらず私が恋い慕うのは、貴方だけです…!!」
「俺を恋い慕うというなら、俺の全てを受け入れてみせろ。
 …勘違いするなよ。これは罰じゃない」
 ぐ、と片膝をベットへ乗り上げ、シュミットは一糸纏わぬ姿でいる愛しいペットへ横暴に腕を伸ばした。引き寄せられるまま身体を倒せば、冷徹な炎を灯す裂帛の瞳に居抜かれて、エーリッヒは言葉を喪った。
「これは、お前への褒美だ。
 今日も存分に可愛がってやるからな、エーリッヒ…?」
 潔癖な堅物で冷静そうに見えて意外と激情直下型、時に利の為に情を切り捨て踏み躙る無慈悲な部分もあり、上流階級特有の傲慢さで従者を翻弄する誰よりも愛おしい主人が、二人だけの子ども騙しの愛の儀式で永遠を誓い合った幸福の記憶が、

「……シュミッ、…ト… 」

 クダケル、音ガ、キコエタ。

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初稿2009/11/23